表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第二章 2つのラプソディ
55/100

暗い影⑩

 ラウンジ「リリア」の楽屋に行くと、百合はイスを並べて簡易ベッドを作ってくれた。達也はそこにしばらくの間横になった。


 百合は「そのままで寝ていて。私は適当に仕事しているから」と言い、ノートパソコンを開くと何かしらをキーボードで打ち始めた。


(――情けないな)


 本当に情けない、と達也は心の中で何回も呟いた。美優子と水人と鈴子の関係を考え過ぎてめまいを起こしてしまうなんて。自分の精神の弱さにはあきれてしまう。ついさっき、百合に注意されたばかりだというのに。


 この間は百合に「ずいぶん頑張るのね」と言われたが、まだまだ頑張らなくてはいけないと痛感する。


 めまいを起こしたのは、執筆活動で睡眠不足だったのもあるかもしれない。達也はそのまま眠ってしまった。


 達也がふと目を覚ますと、百合は相変わらずノートパソコンで何かしらを打っている。


 自分の身体にはどこから調達して来たのか、薄いブランケットがかけられていた。百合がかけてくれたのだろう。達也は百合のさりげない優しさが嬉しかった。


 達也がイスから起き上がると、めまいはほぼ収まっていた。


「目が覚めた?」


 百合がキーボードを打つ手を止めずに言った。


「ごめん、ありがとう。もう大丈夫だと思う」


「そう、よかった。私こそごめんなさい。ついてきてもらって、こんなことになってしまって」


 百合は手を止めて達也を見た。百合の表情は少し安堵しているようにも見える。達也は首を横に振った。


「ううん、気にしないで。もう大丈夫だから」


 百合は再びキーボードを打ち始めた。


 百合は達也が美優子と水人と鈴子の関係について考え過ぎて、めまいを起こしたことを知っているだろう。栄一の探偵事務所で仕事を始めた頃は、今みたいなことがよくあった。


「そういえば、あの時、どうして後ろに下がったの?」


 達也は百合に訊こうとしたことがあったのを思い出した。


 水人がアルテミス像の前で鈴子と会う直前だ。百合はいつのまにか生け花の位置から下がった場所に行った。あの行動は一体何だったのだろうか。


「下がったって、水人さんと鈴子さんが会う前のこと?」


「そう」


「私が下がった位置、どこかわかる?」


「どこかって言われても」


 百合が後ろに下がった位置は、ただ生け花から離れた位置というだけで、特徴は何もない。水人が鈴子と待ち合わせしていた場所のように何かの像があるわけでもないし、ロビーの床に特徴的な模様が描かれているというわけでもない。


(――あっ)


 達也は思い出した。百合が後ろに下がった位置は、確か美優子が生け花のデモンストレーションを見ていた場所だ。


 美優子はあの位置で生け花のデモンストレーションを見ている途中、夫の水人と鈴子が二人でいるところを目撃したのだ。


 達也が何かを思いついた表情をすると、百合は軽く頷いた。


「そう、あの位置で美優子さんは生け花のデモンストレーションを見ていたの。夫の水人さんが鈴子さんと一緒にいるのを目撃した位置ね」


「でも、どうしてあの位置に行ったの?」


「あの場所から見えるかな、と思って。アルテミス像が」


「アルテミス像?」


 今度はなぜアルテミス像が出て来るのだろうか。


「私、鈴子さんがイリーナ・ホテルの近くの生け花教室に通っていると知った時、その帰りにホテルで水人さんと会っているんだろうなと思ったの。実は3日前、鈴子さんが生け花教室へ行く日、今日みたいにイリーナ・ホテルで待ち伏せしたのよ」


「じゃあ、今日待ち伏せしたのは2回目?」


「そう。1回目の時も水人さんはあのアルテミス像の前で待っていて、そこに鈴子さんがやってきた。その時の二人の様子が自然だったから、もしかすると二人がイリーナ・ホテルで会う時は、いつもアルテミス像の前で待ち合わせしているのかなと思って。


 だからもう一回、二人が待ち合わせするところが見たかったから、今日は達也を呼んで2回目の待ち伏せをしたのよ」


「でも、どうして、そんなにあのアルテミス像にこだわるの?」


 アルテミスはギリシャ神話の狩猟と貞潔の女神だ。不倫している水人と鈴子がアルテミス像の前で待ち合わせするのはいささか皮肉めいているが、百合がアルテミス像にこだわる理由はないような気がする。


「美優子さんが生け花のデモンストレーションを見ていた位置から、あのアルテミス像が見えたのよ。像が大きいから見えただけでなく、水人さんも鈴子さんもしっかりと見えた。


 あの様子だと、生け花のデモンストレーションで人が集まっていても、美優子さんの位置からは常にアルテミス像だけでなく、水人さんも鈴子さんも見えていたはず。


 達也も美優子さんがいた位置から、水人さんも鈴子さんもアルテミス像も見えたでしょ?」


「確かに見えた」


「そうよね? 私は裸眼でも視力が良いけど、達也はコンタクトレンズをしても、そこまで視力は良くなかったわよね?」


「えっ? うん」


 百合の言う通り、達也は視力が悪い。家では眼鏡、出かける時はコンタクトレンズをしている。矯正視力でも、百合の裸眼より悪かった。達也は眼が良く見えすぎると余計なものまで見えてしまうような気がして、わざと矯正度数を高くしていないのだ。


「美優子さんの視力が相当悪くない限り、美優子さんが生け花のデモンストレーションを見ていた位置から水人さんや鈴子さんも見えていたはずよ。


 毎回アルテミス像の前で待ち合わせしているとなると、きっと生け花のデモンストレーションの時も同じ場所で待ち合わせしていたんでしょう。そうだとすると、美優子さんは夫に気づいていてもおかしくない。


 今までの傾向から推測すると、待ち合わせのアルテミス像の前には水人さんが先に来て、少し経ってから鈴子さんが来ている。水人さんが一人でいるのを見かけたら、普通妻なら夫に声をかけるでしょう。でも、美優子さんはどうして夫に声をかけなかったの?


 しかも、美優子さんは生け花のデモンストレーションが始まって、水人さんと鈴子さんが生け花の近くに来てから二人に気づいたと言っている。ちょっと不自然だと思わない?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ