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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第二章 2つのラプソディ
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暗い影⑥

「この映像を見た高畑さんが、お得意様の水人さんが映っていることに気づかないわけないじゃない。でも、高畑さんは『私が気になるようなものは、特に映っていなかった』と答えたのよ。


 ということは、高畑さんは水人さんが映っていることを知っていながら、私には何も言わなかった。女性と並んで映っているから、水人さんの不倫を隠そうとしたのね。


 まあ、私は美優子さんから話を聞いていたし、水人さんを知っていたから気づいてしまったけど」


「確かに」


「高畑さんが水人さんのことを言わなかったのは、わざとよ。私に水人さんが不倫していることを知られたくなかったからね。私が知ったら美優子さんにバレる可能性が出て来るから。


 この映像を見ただけだと、美優子さんが水人さんがいるのに気付いていなくなったのかどうなのかまでわからないから、高畑さんは水人さんの不倫は隠し通そうと思ったのね。


 少しおかしいと思っていたのよ。あんな高価な指輪がなくなったのに、高畑さんの口から『警察に届ける』という話が何も出てこなかったから。美優子さんと同じように、警察に届けて水人さんの不倫が発覚するのを恐れたんじゃないのかな? だから、私に依頼して来たんだ」


 お得意様の家庭の事情を考慮して、高畑は指輪のことを警察に届けずに百合に依頼したということか。


 指輪がなくなったこと自体は水人には関係のないことだ。しかし、警察に届けたら必然的に水人を巻き込む形になる。


 水人が妻以外の女性と一緒にいる時間に美優子もイリーナ・ホテルにいたことが知られてしまう。高畑は警察に届けないことで笠原夫妻の崩壊を防ごうとしたのだ。


 さっき、高畑が紅茶を注いでいる時、一瞬手元が乱れたように見えた。


 あの時、百合に「不審な人物とか気になる人物は映っていましたか?」と訊かれて、高畑は防犯カメラの映像に映っている水人を思い出したのだろう。一瞬の動揺が、あの手元の乱れの原因だったのだ。


「次にわからないこと。ここだけど」


 百合は防犯カメラの映像を、美優子が画面から消えるところまで巻き戻して再生した。夫と女性の存在に気づき、美優子が生け花のあるロビーから立ち去ったところだ。


「ここのどこがわからないの?」


 達也は再生された映像を見たが、百合が何に対して疑問を抱いているのかわからなかった。


「この美優子さんの動き、不思議だと思わない? だって、女性と一緒にいる自分の夫が右側にいるのに、右側のエレベーターに乗ったのよ?」


「あっ」


 百合の言う通りだ。普通、誰かを避ける時はその人物とは反対の方向へ行くだろう。この場合、美優子は夫と女性を避けたいから、通常なら夫がいる場所とは反対の方向、つまりは左側へ行くのが普通だ。


 しかし、美優子は右側のエレベーターに乗った。そして、「フルール・ド・コルザ」へ行って身を潜めた。防犯カメラの映像でも美優子が右側へ姿を消しているのがはっきりと映っている。


「どうして美優子さんがこんな動きをしたのか、今はわからない。でも、この依頼、どうも単純に『指輪探し』だけではないような気がする」


 百合は言いながら、防犯カメラの映像を停止し、ノートパソコンからUSBメモリを抜いた。


 紅茶を一口飲み、皿に乗っていたスコーンをつまみ上げて口に運ぶ。


「もう遅いし、続きは明日以降ね。これ食べたら今日は帰ろうか? 達也も食べたら?」


「うん」


 達也は急に空腹を覚えた。指輪を探すのにあれだけ動いたのだから、お腹が空いていないわけがない。


 スコーンを口に入れてみると、ほどよく崩れてほどよく甘い。疲れた身体に優しくしみわたっていく。


 達也は疲れも百合と中津川の関係もしばし忘れ、スコーンの味に酔いしれた。表情に自然と笑みがこぼれてくる。


 ふと気づくと、百合が自分をジッと見ているのに気付いた。


「どうかした?」


 達也が訊くと、百合は無表情で首を軽く振った。


「ううん、別に。ただ、達也はおいしそうに食べるんだなって」


 そうかな、と達也は思った。百合のように普段無表情な人間からすると、自分は「おいしい」とかそういう感情を表情に出す人間なのかもしれない。


「だって、このスコーンも紅茶もすごくおいしいから。百合もおいしいって思わない?」


「もちろん、おいしいけど」


 百合はスコーンを一口かじると、彼女にしては珍しく表情を緩ませた。楽屋中の空気が、さっき口に運んだスコーンのように少し崩れたような気がした。


 少し前の自分なら「今なら百合に告白できるかもしれない」と思っただろう。しかし、そのプランはしばらくお預けだ。百合とあの中津川の関係がどうにかなるまでは。


(――その間に何とか百合に頼られるような人間にならないと)


 達也はそう考えながら、再びスコーンを口に運んだ。

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