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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第二章 2つのラプソディ
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暗い影②

「ええと……。美優子さんの話には確かにそうだなと思ったよ。女性と一緒にいる夫を目撃してしまったから警察には届けづらい、だから百合に依頼したというのはわかるし。


 でも、なぜかはよくわからないけど、美優子さんの話には妙というか、何かが(つか)えるような感じがしたんだ」


「そう。その妙な感じがしたのは、具体的にどの辺り?」


 百合が見事なブラインドタッチでキーボードの叩きながら、達也の言葉を(うなが)す。


「そうだな……。最初は美優子さんが百合のピアノを褒めた時だったかな? 本当に褒めているというのはわかったけど、何かしら暗い影みたいなものが見えるような気がした」


 達也は自分で言いながら、「暗い影」という表現があまりにも抽象的すぎると思っていた。自分が覆面作家をしている柏木林太郎の小説上では良いかもしれないが、「指輪を探す」という探偵業には的確ではない。


 百合に突っ込まれるだろうかと思ったが、百合は「後は?」と相変わらずの無表情で達也に続きを催促した。


「後は……。『なくした指輪は主人からプレゼントされた』と言った時。『嬉しかった』とは言っているけど、どことなく影があるように思った」


「そう。他は?」


「他は……。美優子さんとの会話が全部終わった後、やっぱり何か妙な感覚が残っていた。何か飲み込もうと思っても飲み込めないような、そんな感じ」


 達也は自分で言いながら、「何か飲み込もうと思っても飲み込めないような」とは抽象的な表現だな、とまた思った。


 百合は表情を変えず、時々達也の方をチラチラ見ながら話を聞いていた。


「『ええと』『そうだな』『後は』『他は』」


「えっ? 百合、何?」


 いきなり百合が意味不明な言葉を言い出したので、達也は驚いて思わず声を上げた。


「達也がさっきまでの会話で最初に言った言葉」


 達也はさっきまでの自分の言葉を思い出した。


 確かに美優子との会話を思い出しながらだから、会話の最初に「ええと……」みたいな言葉を言った気がする。


 俗にいう「場つなぎ表現」だ。


 記憶を言葉として表現するのには時間がかかる。だから、「ええと」みたいな前置きみたいな言葉が必要だったようだ。会話の最初にどうしても「(よど)み」が出てしまったようだ。


(――百合や栄一みたいな記憶力のよい人間なら、そんな前置きみたいな言葉は必要ないんだろうな)


 達也は思いながら、ふとあることに気づいた。


(――さっきまでの美優子さんとの会話)


 達也は美優子が百合の質問に対して、まったく淀みなく答えていたことに気づいた。


 もしかすると、美優子も百合や栄一と同じで、記憶力が優れている人間なのだろうか。


 美優子の言葉が一回だけ淀んだのは、百合が「フルール・ド・コルザ」の席の配置図を書いた時だ。あの時だけ美優子は「ええと……」とさっきの達也のように場つなぎ言葉を言った。


(――あれは一体なんだったのだろう?)


 なぜ美優子は「フルール・ド・コルザ」の席の配置図の時だけ、言葉に淀みがでてしまったのだろうか。


 達也が考えていると、百合がピタリとブラインドタッチの指を止めた。


「『暗い影』か」


 百合が独り言のように呟くのを聞いて、達也は自分の言葉の抽象さを改めて思い知った。


「ごめん。美優子さんとの話で思ったことを正直に言ったんだけど、わかりにくかったよね?」


「暗い影」なんて、まるで近代日本文学の小説タイトルか何かのようだ。


 話の感想を求められた時の返答まで文学的だなんて、自分は本当に骨の髄まで作家なのだな、と達也は思った。


「別に謝ることなんてないのに。達也がそう思ったなら、さっきの美優子さんには『暗い影』がかかっていたのよ。その表現、あながち間違いではないかもしれない」


「えっ?」


 達也は百合の意外な言葉に、また声を上げた。


 百合は普段から達也の言動を否定することはない。さすがに「暗い影」なんて文学的な表現には何かしらの揶揄(やゆ)でも言われるのではないだろうかと思った。


 意外なことに百合は「あながち間違いではないかもしれない」と言っている。


 百合は達也に手招きすると、ノートパソコンを指さして画面を見るように言った。


 達也が百合の近くに行きノートパソコンの画面をのぞき込むと、百合からふわりと甘い匂いがしてくる。クールで無表情な百合だが、彼女からは意外といつも甘い匂いがしてくるのだ。


「でも、その『暗い影』が本当に合っているかどうかは、一旦いろいろなことを調べてからじゃないとわからないけど」


「いろいろなこと?」


「スマホに送ったこれ、見てきた?」


 画面にはさっき話を聞いた笠原美優子のデータが写っている。


 達也は頷いた。支度をしながらで大変だったか、達也は彼にしては珍しく本気を出してデータを読み込んでいた。


 百合に頼られるような強い男になるために頑張ると決めたのだ。そのためにも、百合に言われたことは何でも完ぺきにこなさなくてはいけない。


「見てきたよ。でも、短時間でこんなによく調べたよね?」


 百合が送ってきたデータには、美優子のことだけでなく美優子の夫の水人のことまで事細かに調べてあった。達也は読むだけでも大変だったのに、このデータを短時間で調べた百合はやっぱりすごいな、と感心するしかなかった。


「だって、美優子さんの旦那さんの水人さん、事務所のお客様だったから」


「えっ? そうだったの?」


「うん。詳しくは美優子さんの旦那さんがお客様というよりは、旦那さんの会社がお客様。私は直接関わったことないけど、パパのお客様だったの。パパは美優子さんのことはまったく知らなかったみたいだけど。だから、美優子さんのことを調べるのは、それほど難しくなかったのよ」


 世間は狭い。まあ、それだけ百合の栄一が腕の良い探偵と言うことになるのだろうか。

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