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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第二章 2つのラプソディ
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暗い影①

 客室の扉が閉まると、百合はそのまま真っすぐエレベーターに向かって廊下を歩き始めた。そして、「達也」と振り返らずに後ろを歩いている達也に声をかけた。


「何?」


「一緒にラウンジ『リリア』の楽屋に来て。今聞いた話を整理するから」


「うん、わかった」


 多分、そう言われるだろうと達也は思っていた。これから美優子のカメリアの指輪を見つけるための作戦会議を開く、と言ったところだろう。


(――でも)


 達也は少しだけ、自分の胸が痛むのを感じた。


 普段なら、百合とラウンジ「リリア」の楽屋で二人きりになるなんて、単純にうれしかった。そして、うれしくもあり、帰り際はいつも悔しい気持ちになった。


 百合と二人きりになれるチャンスなんて、あまりない。このチャンスを活かして百合を食事に誘うか、百合に告白してしまうかといつも考えた。


 結局はどちらもできなくて、百合と別れた後にため息を吐くだけだ。


 しかし、今は百合と二人きりになれるチャンスが訪れたというのに、百合を食事に誘うこともできないし、告白することなんてもっとできない。


 あの中津川のせいなのだろうか、と達也は心の中で自分らしくもない言葉を考えそうになる。百合と恋仲かもしれない中津川を悪く言いそうになったが、やめた。


 百合を食事に誘えないのも告白できないのも、すべては自分のせいだ。


 達也は自分の思考を遮るように首を横に軽く振ると、百合の少し後ろをそのまま歩いて行った。



 ラウンジ「リリア」の楽屋。


 百合は楽屋に入るなり、持っていたバッグをテーブルに置いた。


 バッグの中に入っていたノートパソコンを取り出す。


 パソコンを立ち上げると、そこには達也のスマホに送られてきた笠原美優子の情報が並べられていた。


「さっきの美優子さんの話」


 百合がパソコンの画面から目を反らさずに言う。


「えっ?」


 突然話しかけられて、達也は慌てて百合の方に顔を向けた。


「さっきの美優子さんの話、どう思う? 何でもいいから、感想を聞かせて」


 ああ、いつもの質問か。達也はさっきまで一緒にいた美優子のことを頭に思い浮かべた。


 探偵事務所の仕事でお客様と面談すると、百合はよく「さっきのお客様の話、どう思う? 感想聞かせて」と言う。


 自分の感想なんて役に立つのだろうか。むしろ、百合は彼女自身の感想を大切にした方がいいのではないだろうか。


 達也はいつもそう思うが、意外と百合は洞察力も記憶力もない自分の感想を参考にしている。


 百合だけでなく、彼女の父親である名探偵の栄一までもが達也に感想を求めて来るのだ。


 達也はいつも疑問に思いながら、素直に自分の思った感想を述べる。


 百合も栄一も達也の感想をかなり参考にしており、時々「あの時は役立った、ありがとう」と言ってくるのだ。


(――ええと)


 達也はイスに座りながら、美優子と対面した場面を頭の中で再生した。


 再生するとは言っても、達也の記憶力では一字一句再現するのは無理だ。達也は美優子との会話よりも、美優子と過ごした時の場面や雰囲気、美優子の仕草を断片的にしか思い出せない。


 美優子とは初対面ではなかった。以前、栄一と一緒にラウンジ「リリア」に来た時、指輪をなくした彼女と会っている。


 ラウンジ「リリア」で会った時は非常に美しい、上品な情勢だと感じた。実際に間近で見て会話しても、その「美しい女性」「上品な女性」という印象は変わらない。


 達也は探偵の仕事の場だというのに、和服を着ている美優子を主人公にした大正ロマンの長編小説を思い浮かべそうになったほどだ。


 美優子は受け答えがしっかりしていた。元々記憶力が良く聡明な女性なのだろう。百合の質問にも何でも的確に淀みなく素早く答えている。


 美優子が途中で「夫が女性と一緒にいるのを目撃した」と言ったことには驚いた。多分、指輪をなくした原因は夫の不倫現場を目撃してしまったからなのだろう。


 美優子と対面した場面を思い出してみると、彼女の話には何も疑問は思い浮かばない。


 夫からもらった指輪をなくしたので探してほしい。ただ、夫には指輪をなくしたことを知られたくない。夫に怒られてしまうという理由もあるが、一番は夫が不倫している同時刻に同じホテルにいたことがバレたくない。だから指輪は内密に探してほしい。


 普通の夫婦はパートナーの不倫がバレたら離婚を考えるかもしれない。しかし、美優子や水人ほどの資産家の夫婦なら、離婚となるといろいろな利害関係が出てきそうだ。美優子は事を荒立てるよりも、夫の不倫を見なかったことにしようと決めたのだろう。


 それだけのことだ。おかしい部分は何もない。


 なのに、達也は美優子の話を聞いていて、妙なものを感じたり喉のあたりが(つか)えたような感覚になった。


 この感覚は何なのだろうか。

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