表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第二章 2つのラプソディ
44/100

総支配人の依頼⑩

 やっぱり、そうか。達也は心の中で呟いた。


 つまり、美優子はたまたま出かけたイリーナ・ホテルで、夫の笠原水人が自分以外の女性と一緒にいるのを目撃したのだ。


(――もしかすると、指輪をなくしたことよりも、こっちの方がショックだったのかも)


 達也は美優子の心情を察すると、何とも言えない悲しい気持ちになった。さっきまで自分が美優子の話を聞いていて感じた「影」の正体は、美優子の夫の不倫から来ていたのかもしれない。


 美優子に同情して表情を曇らせた達也と違い、百合は表情を全く変えない。栄一の事務所の仕事でこのような不倫関係の仕事はたくさん見てきたのだろう。


 達也は「百合は相変わらずクールだな」と思ったが、今この場での百合の表情は仕事をする上では合っているのかもしれない。


 百合の目的は「美優子の指輪を探し出すこと」だ。


 その目的を果たすためには、美優子の夫の不倫話を聞いただけで表情を崩すようなことはしていられないだろう。


 部屋の中はしばらく沈黙が訪れた。美優子は俯かせた顔を上げない。


 最初に沈黙を破ったのは百合だった。しばらくの間、あまりにも音が聞こえなかったので、達也は百合がしゃべろうと息を深く吸い込む音まで聞こえた。


「笠原さん、それは突然のことで辛かったですね。もしかして、それで驚いて指輪をなくしてしまったのでしょうか?」


 百合は相変わらず無表情だが、彼女の口から出てきた言葉には何かしらの同情の気持ちが読み取れなくもなかった。言葉を選んでいるのか、百合の口調もいつもよりゆっくりしているように感じる。


 美優子は「すみません」と言いながら、顔を上げた。うっすらとアイシャドウが塗られている目元には、まだ涙がにじんでいる。


 美優子はバッグからハンカチを取り出すと目頭を押さえた。


「すみません、こんなお話までしてしまって」


「いえ、ここでは何を話してくださってもかまいません。決してこのことは口外いたしませんので」


「ありがとうございます」


 美優子は心を落ち着かせることができたのか、もう、目元に涙はにじんでいなかった。それでも、いくらか濡れたような瞳をしている。


 皮肉なことに、悲しい涙を流した後の瞳は美しくキラキラと輝いていた。


「主人と一緒にいた女性が誰なのか、私にはわかりません。ただ、私よりも年上でかなり親しげなのはわかりました。多分、主人と女性は私には気づいていないと思います。人がたくさんいて、かなりの距離もありましたから。


 私、主人とその女性を見て、思わずその場から立ち去ってしまったんです。夢中になって立ち去ってしまったので、指輪はその時になくしたんだと思います」


 なるほど、と達也は思った。


 美優子の話をまとめるとこうだ。美優子は久しぶりに訪れたイリーナ・ホテルのロビーで、夫の水人と女性が一緒にいるのを目撃した。


 美優子は突然の水人の不倫現場に驚き、その場から急いで立ち去る。


 その時に今回依頼したカメリアの指輪をなくしてしまった、そういうことなのだろう。


 美優子が夫の水人や警察に指輪のことを話したくなかったのも、ただ単に「夫に怒られてしまう」という理由だけではない。


 指輪をなくしたと言えば、必ず「いつ、どこでなくしたのか?」と聞かれてしまう。そうなれば、水人が女性と一緒にいた日時に美優子も同じイリーナ・ホテルにいたことがバレてしまう。


 美優子が内密に指輪を見つけ出したいと思ったのには、自分が水人の不倫現場を見てしまったことを知られたくない、という理由もあったのだろう。


「わかりました。確かにロビーから立ち去った時に指輪をなくされた可能性が高いですね」


 百合は無表情のまま、ゆっくりとした口調で言った。「もう高畑さんが探していらっしゃるとは思いますが、その辺りをもう一度探してみましょう。


 ちなみに指輪をなくされたと気づいたのはホテル内でしょうか? それとも、ご自宅に帰られてからですか?」


「いえ、実はすぐには家には帰らなかったんです。このイリーナ・ホテルの16階に『フルール・ド・コルザ』というカフェがありますよね? そちらにいました。その、すぐに家へ帰る気になれなくて……」


 夫の不倫現場を見て、いつも夫と過ごしている家に帰るのに気が引けたのだろうか、と達也は思った。


「そのカフェの奥の席でジッとしていたんですが、しばらく経っていい加減帰ろうと思ったんです。それで会計をしようと財布を出した時、指輪がないことに気づきました」


「そうすると、指輪はホテルのロビーから『フルール・ド・コルザ』の間でなくされたということになりますね」


「はい、そうです」


 美優子が頷いた。


 百合はバッグからクリアファイルを取り出した。ファイルの中に入っていた紙を広げて、目の前のテーブルに置く。


 その紙はイリーナ・ホテルの間取り図だった。


 イリーナ・ホテルのホームページには、ここまでの間取り図は載ってなかった気がする。多分、百合は総支配人の高畑からこの詳細な間取り図を用立ててもらったのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ