総支配人の依頼⑧
「桜井さんはラウンジ『リリア』のピアニストなんですよね? あの日、ピアノを初めてお聴きしましたが、とても素晴らしい演奏でした。
でも、まさか、本業は探偵事務所にお勤めで、あの『日本一の名探偵』と言われている桜井栄一さんの娘さんだったなんて。このホテルの総支配人の高畑さんからお聞きして、とても驚きました」
「ありがとうございます。本業は探偵ですが、その合間に『リリア』でピアノを弾いています」
達也は横の百合にチラリと目線を向けた。
百合はいつも通りの無表情で淡々と答えている。客人によってはさすがに愛想笑いをする時もあるが、百合はどこに行っても誰に会ってもいつものクールな百合のままだ。
これで仕事ができなければ、百合はただの「不愛想な人間」になるかもしれない。しかし、百合は父親の栄一に負けないくらいの仕事ができる。むしろ淡々と正確に仕事を捌いていく様は、事務所の客に好感を持たれていた。
「素晴らしいわ! 私、大学を卒業してそのまますぐに結婚してしまって。いろいろなところで活躍されているなんて、羨ましいです」
達也は美優子の言葉を聞きながら、妙なものを感じた。
これはいつもの達也の勘だが、美優子のさっきの百合を称える言葉には、何かしら暗い影のようなものが見える。
美優子の表情には嘘偽りはない。本当に百合のことを「素晴らしい」と褒め称えているのだろう。
ただ、それに美優子自身の「大学を卒業してそのまますぐに結婚して」と重ねた部分が気になる。
達也は百合の美優子について調べたデータを思い出した。
美優子は彼女がさっき言った通り、都内の名門女子大学を卒業後、すぐに今の夫の水人と結婚している。お見合い結婚だ。
美優子と水人は遠い親戚に当たるらしく、ほぼ政略結婚だったらしい。
美優子は結婚以来、ずっと専業主婦をしている。まあ、主婦とは言え、水人はかなりの資産家で家にはお手伝いがいると考えられる。
特に家事に勤しむことなく、悠々自適に暮らしているのだろうことが予想された。
百合のデータには、美優子の夫の水人に関しても記載されていた。
水人の家は日本中に土地を所有している、昔からの資産家だ。
水人を調べた結果を見ても、日本有数の財閥の御曹司の達也には「そうなんだ」くらいの感想しか出て来ない。
しかし、一般の人が見れば「羨ましい」と感嘆の声が出て来そうなくらいの、俗に言うお金持ちの家柄だった。
「ありがとうございます」
ピアノの腕を手放しに褒められた百合だが、決してあのクールな表情は崩さない。
小さい頃からピアノが上手かった百合にとって、褒められることは慣れている、というところなのかもしれない。
百合の母親は世界的に有名ピアニストの桜井葵だから、その娘と言うことで、もしかすると達也にはわからない苦労もあったのかもしれないが。
「私、長らくラウンジ『リリア』にはお邪魔していなかったんです。でも、まさか、こんな素敵なピアニストの生演奏が聴けるなんて。今度、またお邪魔させていただこうと思います」
「ありがとうございます。ぜひいらっしゃってください。――ラウンジ『リリア』の話も出たところで、早速本題に入らせていただこうと思うのですが」
百合が話を切り出すと、美優子はふと目の前のテーブルに置いてあった紅茶のティーカップを手に取り、口元に運んだ。
上品なしぐさだな、と達也はしばし目を奪われた。
美優子のデータを見ると、美優子は如何にも「名門のお嬢さま」というような旧華族の家柄の出身だった。
目の前の美優子はまさにその通りの人物だ。
「はい、総支配人の高畑さんにもお話したのですが、お恥ずかしいことで申し訳ございません。実は婚約時に主人にプレゼントされた指輪をこのホテルのどこかで落としてしまいまして、その指輪を探し出してほしいんです」
百合は自分のバッグから、高畑が持ってきたあのカメリアの指輪の写真を取り出した。
「こちら、高畑さんから頂いたものです。なくされた指輪はこちらの指輪でよろしいでしょうか?」
写真を見ると、美優子は頷いた。
「はい、この指輪です」
「弊社の所長の桜井がこの指輪をラウンジ『リリア』で拾った話も聞いています。まずは、指輪をなくされた時の詳しいお話をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「はい、わかりました」
美優子は再びティーカップを手に取って紅茶を一口飲むと、話し始めた。




