総支配人の依頼⑥
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「――ミステリー小説か、ホラー小説か」
電話を切ると、達也は独り言を呟いた。
達也はついさっきまでスマホを使って自室で編集担当者と話していた。もちろん、西村達也としてではなく、小説を書く時の名義の「柏木林太郎」としてだ。
編集担当者は「柏木林太郎はミステリー小説とホラー小説は書いていないですよね? 話題作りにちょっと書いてみませんか?」と言い出したのだ。
確かに達也は柏木林太郎としてミステリー小説とホラー小説を書いていない。理由は簡単だ。
達也が極度の怖がりだからだ。
西村財閥の頂点に立つ父親から「ここで一人暮らしをしろ」と今住んでいる高層マンションの最上階の部屋をあてがわれた時、達也は乗り気ではなかった。
高いところが怖かったからだ。
多分、父親は達也の怖がりを見通し、それを克服するためにもこの最上階の部屋を選んだのだろう。
さすがに今はなれたが、ベランダに出て下をのぞくと、未だに足がすくむ時がある。「地震が来たら」と考えると、胸がどきどきすることもある。高層階は大した震度でなくても揺れがひどいのだ。
こんな怖がりな自分がホラー小説なんて書けない。話を考えるだけでも夜眠れなくなりそうだ。
そうすると、ミステリー小説か?
最近は「人が死なないミステリー」がたくさん世の中に出回っている。怖がりな自分には、これしか選択肢がないかもしれない。
別に「話題作りにちょっと書いてみませんか?」という編集担当者の言葉を真に受けなくてもよいのだろう。ただ、担当にはデビュー以来からお世話になっているし、覆面作家として自分の素性がバレないように気を使ってもらっている。
なるべくなら、担当の提案を受け入れたい。
それに、いつまでもいろいろなことに怖がっている自分ではだめだ。もっと強くならないと。
小説だって、今の柏木林太郎は飛ぶ鳥を落とす勢いの作家だからよいかもしれない。しかし、世間は移ろいやすい。この勢いが、いつ弱まるかわからない。
その時のためにも、違う「柏木林太郎」を見せるのもいいのではないか?
達也は「どうしようかな?」と思いながらソファに横になり、東京の青い空を眺めた。
そして、ふと前にイリーナ・ホテルのフロントスタッフの西園寺エミが言った言葉を思い出した。
――桜井さん、とても素敵な方ですよね。あんなにキレイでピアノがお上手なのに、本業が探偵だなんて、まるで小説か映画の主人公みたい。
百合をモデルにミステリー小説を書くのはどうだろうか。
達也はソファから飛び起きた。
今までどうして気づかなかったのだろうか。西園寺エミの言う通り、百合のキャラクターはかなり面白い。
本業が探偵で副業がピアニストなんて、それだけでも特異だ。しかも美人で性格がクールと来ている。
主人公は少々性格が尖っている方が読者を引き付ける。
もちろん、実際の百合をそのままモデルにするのはNGだろう。例えば、設定や見た目を変えたらどうだろうか。
あのクールな性格だから、何かしらの秘密を持っている設定にすれば、もっとストーリーが面白くなるかもしれない。
達也はテーブルに置いてあったスマホを掴むと、さっきまで話していた編集担当者に再び電話をかけた。
電話の呼び出し音を聞きながら、百合のことを考える。
百合があの中津川と恋愛関係にあるのではないかという考えに至った時は、かなりショックだった。
正直、今でもショックはぬぐい切れていない。
しかし、最低な考えかもしれないが、百合と中津川がこのままハッピーエンドを迎えるとも限らない。
もしも、百合と中津川が別れることがあるなら、自分にも百合とハッピーエンドを迎えられる可能性はある。
もしもの時のために今できることは、もっと栄一の事務所でのアルバイトをきちんとやることと、作家「柏木林太郎」として名声を残し続けること。何事も完ぺきにできる百合に認められ、頼られるようなもっと強い男になること。
編集担当者が電話に出ると、達也は自分が思いついた百合をモデルにしたミステリー小説の案を語り始めた。




