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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第二章 2つのラプソディ
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総支配人の依頼④

「あの話」


「えっ?」


「あの高畑総支配人の話、ちょっと気になるところがあるんだけど」


「えっ? そう?」


 あのラウンジ「リリア」で出会った美しい女性・美優子が、ホテルで夫からもらった指輪を失くしてしまった。夫に知られる前に内密に探し出したい。


 この話のどこに気になる部分があるのだろうか。


 達也は首をかしげたが、「そういえば」と思った。


 昨日、美優子がラウンジ『リリア』で指輪を落とす前、何とも言えない不思議な感覚が自分の身体を通り抜けて行ったことを思い出した。


 今考えてみると、あの不思議な感覚は美優子から発せられたものかもしれない。


 達也が美優子の件で気になったのは、今のところ、あの不思議な感覚だけだ。


「美優子さんという方から話を聞いたり防犯カメラの映像を確認したりしないと詳しいことはわからないけど、この話、何かありそうな気がする」


「何かって?」


「とりあえず、その美優子さんから詳しく話を聞いてみないと。達也も美優子さんの話を聞く時、一緒に来て」


「えっ? 僕も?」


「だって、達也はあの指輪を見たんでしょ? 実際指輪を見た人が一緒の方が良いもの。拾ったのはパパだから、本当はパパと一緒が良いかもしれないけど、達也は今日一緒に話を聞いたし」


「それは別にいいけど」


「じゃあ、総支配人から連絡来たら、教えるから」


「わかった」


 達也がうなずくと、百合はバッグを手に取り、イスから立ち上がった。


「私、これから用事があるの。もう、行かなくちゃ」


 百合はさっさと部屋から出て行こうとした。達也は慌てて百合を呼び止めた。


「えっ? 百合? もう行くの? どこへ?」


 美優子のカメリアの指輪の話題で話が横道に逸れてしまったが、達也にはここへ来た目的があった。


 百合とあの中津川がどういう関係なのか聞き出すことだ。


 さっきは百合に「事務所の特別なお客様」だと、はぐらかされてしまった。自分に百合みたいな洞察力はないが、何とか二人の関係を聞き出せないだろうか。

 

「事務所のお客様のところへ寄らないといけないの。楽屋のカギをかけるから、達也も出て」


「それって、中津川っていう人のところ?」


 中津川のことばかり考えていた達也は、無意識に中津川の名前を言ってしまった。


 中津川の名前が出た途端、達也は部屋の空気が変わるのを感じた。


 百合が「中津川」という名前を聞いた瞬間、少しだけ表情を変えたのだ。


 しかし、達也には百合が本当にこれから中津川と会うから表情を変えたのか、単に中津川の名前を聞いたから表情を変えたのかまではわからなかった。


「どうして、その中津川さんにこだわるの?」


 百合が達也から目をそらしたまま訊く。


「それは……」


 普段無表情の百合が会っただけであんなに驚くなんて、ただの事務所の客だとは思えない。


 もしかして、百合と中津川が恋愛関係にあるんじゃないかと気になるんだ。


 どうして、そんなことが気になるかって?


 だって、僕は百合のことが好きだから。ずっと好きだったから。


 達也は心の中で「それは……」に続く言葉を呟いた。しかし、その言葉が実際に達也の口から出て来ることはなかった。


 もし、本当に百合とあの中津川が恋愛関係にあるなら、これ以上の詮索(せんさく)は迷惑だろう。


 事情はわからないが、中津川の正体を隠そうとするには、付き合っていることを知られたくない何かがあるのかもしれない。


 どちらにしても、自分が百合に告白することも迷惑だろう。


 恋愛関係にある相手がいるのに、他の人から告白される。


 恋愛小説にありがちな話だが、ありがちということは小説の題材になるくらい厄介(やっかい)だということだ。


 達也は百合をそんな厄介ごとに巻き込みたくなかった。


 百合が本当に中津川のことが好きなら、何も知らない振りをしてそっと見守っていた方がいいのかもしれない。


 達也は考えながら、彼にしては珍しく苦々しい表情をした。


 幸いなことに、百合は達也から目を反らしたままだ。達也は表情を普段通りに戻すと、なるべく何でもないような声を出して言葉を続けた。


「ううん、何でもない」


「そう」


 百合は達也と一緒に楽屋を出るとドアに鍵をかけた。百合は「じゃあ、また」と言い残し、そのまま足早にその場を後にする。


 達也は百合の後ろ姿を見送りながら、ため息を吐いた。


 もしかすると、自分はもう百合に告白することはできないかもしれない。


 しかし、百合は「じゃあ、また」と言ってくれた。今まで通りの幼馴染で同僚の関係を続けていれば、少なくとも百合に会い続けることはできる。


 達也は肩を落とし、自分の足元ばかり見ながら帰路についた。


 時々、自分の履いているエドワードグリーンの靴がにじんで見えたが、気のせいだと思うことにした。

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