表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第二章 2つのラプソディ
35/100

総支配人の依頼①

 翌日、達也は朝から栄一の事務所へ出勤し、雑用をこなした。


 雑用をしつつ、達也は事務所の顧客情報をこっそりと調べてみた。あの中津川が「事務所の客」という話はうそとしか思えなかったが、万が一本当に事務所の客である可能性もある。


 くまなくデータを調べたが、顧客の中に中津川に該当する客はいない。


 達也は「やっぱり……」と、思わず独り言を呟いてしまった。


 今日、百合は朝から事務所に来ていない。


 達也は百合のスケジュールを調べてみた。昼間は一日外回りで、夜は真っすぐイリーナ・ホテルへ行って、ピアノを弾く予定になっている。


(――もう一回、百合にあの中津川との関係を訊いてみよう)


 また、はぐらかされるかもしれない。でも、もう一回直接百合に訊いてみよう。達也はそう決めた。



 その日の夜、達也はイリーナ・ホテルのラウンジ「リリア」を訪れた。


 ラウンジの中に入ると、百合が奏でるピアノの音が流れるように耳に入って来る。


 達也は窓際のソファ席に座り、いつものようにアールグレイとショートケーキを頼んだ。


 百合のピアノの演奏は相変わらず美しい。


 あの中津川のことを考えると心がざわざわするが、百合のピアノの音を聞くと心が安らいでいくのがわかる。


 達也は軽く瞼を閉じて、ピアノの音にじっと耳を傾けた。



 百合が出番を終えてピアノの前から去ると、達也も「リリア」を出た。


 楽屋の前へ行くと、達也は意を決してドアをノックする。


「――達也なのね? どうぞ」


 楽屋の中から声が聞こえたのでドアを開けて入ると、百合はすでに演奏用のドレスから普段仕事で着ているオフィスカジュアルに着替えていた。


「どうして、僕だってわかったの?」


 百合は自分がラウンジ「リリア」に来ていることはわかっているだろうとは思った。しかし、自分が楽屋に来ようとしていたことは知らないはずだ。


「ノックの音でわかるけど。でも、今日はいつもよりもノックがちょっと早いような。何かあったの?」


 百合がさっきまで着ていた演奏用の黒いドレスを畳みながら、何でもないような表情で答えた。


 百合のピアノを聴いて心が落ち着いたと思っていた達也だったが、やはり、百合と中津川の関係が気になって焦っていたらしい。そのせいでノックがいつもよりも早くなっていたのだろう。


 ノックの音で誰かわかるだけでなく、いつもよりノックが早いことまでわかるとは。やはり、百合はすごい。


「いや、その……」


(――ここまでお見通しなら、僕が今日来た理由もお見通しとか?)


 いや、さすがにそれはないだろう。


 達也は百合に近づくと、思い切って口を開いた。


「その、ちょっと、訊きたいことがあるんだ」


「訊きたいこと? 別にその内に事務所で会うのに、わざわざ今日訊きに来るなんて、何?」


「その、この間のパトリック・エヴァンスのライブの日に、僕たちに声をかけてきた中津川と言う男の人なんだけど」


 中津川の名前が出た途端、達也は部屋の空気が変わるのを感じた。


 百合が「中津川」という名前を聞いた瞬間、少しだけ表情を変える。


 すぐに百合はいつもの無表情に戻ってしまったが、百合が表情を変えた瞬間、部屋の空気が緊迫したものに変わった。


 他の人はわからないかもしれないが、達也には空気が変わったのがはっきりとわかった。


 百合が今は無表情でも、彼女が内心それなりに動揺を感じているのがわかる。


「中津川さん、事務所のお客様だって言ったじゃない。それがどうしたの?」


 百合の口から出てきた言葉も普段の彼女のそれと同じだった。


 達也は一瞬「本当に事務所のお客様なのだろうか」と勘違いさせられそうになったが、頑張って次の言葉を繋いだ。


「いや、でも、違うよね? 僕、今日、事務所で顧客情報見たけど、そんな人いなかったよ」


「特別なお客様だから、達也が情報を見られなかっただけじゃないの?」


「それに、あの男の人、僕たちが幼馴染ってことも知っていたようだけど」


 口の固い百合が事務所の客に西村財閥の御曹司と幼馴染だというわけがない。


「それは、西村のおじ様と関係のある方からのご紹介だからよ。達也は知らない方だけど」


 西村のおじ様とは、達也の父親のことだ。百合のいう通り、達也の父親は時々栄一に客を紹介している。


 百合は達也から視線を逸らすと、無表情のままドレスをバッグに入れ始めた。


(――違う)


 達也の勘が働く。


 百合は誰かに親切にする時、照れ隠しで人から視線を逸らす。


 しかし、今、自分から視線を逸らしたのは照れ隠しではない。中津川のことを誤魔化そうとしたのだ。


 あの中津川は栄一の事務所の客ではないんだ、と達也は確信したと同時に、自分の無力さを思い知った。


 自分に百合や栄一くらいの洞察力があれば、百合に証拠を突きつけて真実を語らせることができるかもしれない。しかし、自分の勘だけで「それは違う」と言っても説得力はない。


 証拠に百合は無表情のまま視線を逸らして、自分の勘からするりと抜け出してしまった。


(――でも、本当にあの中津川って何者なのだろう)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ