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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第二章 2つのラプソディ
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名探偵登場①

 週末の昼下がり。イリーナ・ホテルのラウンジ「リリア」。


「ああ、間に合った」


 西村達也と一緒に「リリア」の入り口をくぐった桜井さくらい栄一えいいちは、うれしそうに呟いた。


 二人が入った「リリア」の奥では、黒いドレスを着た栄一の娘である百合がピアノを弾いている。


 丁度、ブラームスの「2つのラプソディ第1番」を弾いているところだった。


 百合が「リリア」に入って来た父親の栄一と達也に、ちらりと視線を向ける。


 栄一は一人娘の百合に笑顔で軽く手を振ったが、百合はすぐに視線を戻してピアノに集中し始めた。


「栄一さん、座りますか?」


 立ったままうれしそうな表情で娘を見つめ続ける栄一に、達也が声を掛ける。


 栄一は「ああ、そうだった」と、やっとソファに座った。


 ソファに座った後も、栄一はうれしそうに娘の百合がピアノを弾いている様を眺めている。


 相変わらずだな、と達也は思った。


 達也は改めて、目の前のソファに座っている桜井栄一を見た。


 百合の父親である栄一は、(ちまた)で「日本一の名探偵」と言われている。


 背が高くて細身だが、達也のように草食というイメージはない。スーツを着ていても、目の前の相手がかなり身体を鍛えているのがわかる。


 着ているスーツも仕立ての良いもので、身のこなしもスマートだ。


 普段の栄一は如何(いか)にも名探偵らしく、鋭く知的な表情をしている。もちろん、相手によっては穏やかな笑みも浮かべる。百合に比べると愛想は非常に良い。


 ただ、仕事をしている時の栄一を知っている人間は、今の栄一の表情を見たら絶対に驚くだろう。


 栄一の百合を見つめる表情は、娘を溺愛している、ただの父親の表情だった。


 百合は現在、栄一の探偵事務所で働いているが、その傍ら、このラウンジ「リリア」でピアニストをしている。


 達也も栄一の事務所で週2~3日程度雑用を手伝っている。普段、事務所での栄一と百合の関係は、どう見ても上司と部下にしか見えない。


 しかし、事務所を出てしまえば、栄一は娘を溺愛しているただの父親に戻ってしまうのだ。


 娘がピアノを弾いている姿を眺められるだけでも嬉しいらしい。


 ピアノでブラームスの「2つのラプソディ第1番」を弾き終った百合は、少しだけ間を空けると、また静かに鍵盤に指を落とした。


 ラウンジに、ピアノ曲にアレンジしたローリング・ストーンズの「悲しみのアンジー」が流れる。


 ブラームスの次にストーンズとは、随分面白い選曲だ。


 栄一は「悲しみのアンジー」が流れると、ますます嬉しそうな表情をしている。


 百合も相変わらずだな、と達也は思った。


 栄一がラウンジ「リリア」を訪れると、百合は必ずピアノ用にアレンジされたローリング・ストーンズの曲を弾く。


 栄一がストーンズの大ファンだと知っているからだ。


 栄一ほど露骨に表情には出さないものの、百合も父親の栄一が大好きだった。


 大好きでなければ栄一の好きなストーンズの曲を弾こうと思わないだろうし、ピアノの道よりも栄一の探偵事務所を継ぐという決断もしなかっただろう。


 百合はローリング・ストーンズの「悲しみのアンジー」を弾き終ると、もう今日の出番は終わったらしい。クールな表情のまま、イスから立ち上がって一礼した。


 ラウンジの客から拍手が聞こえて来る。


 一番熱心に拍手していたのは、父親の栄一だった。


 百合は栄一と達也にまたちらりと視線を向けると、ピアノの前から消えて行った。


「やっぱり、百合のピアノはいつ聴いても素晴らしいな」


 百合と入れ違いで、ラウンジのスタッフが注文したメニューを持ってきた。


 達也と栄一の目の前に、アールグレイの紅茶とショートケーキが置かれる。


 栄一は運ばれて来たアールグレイを一口飲むと、目をキラキラさせながらショートケーキをほお張った。


 達也も同じような表情でショートケーキを口に運ぶ。


 大人の男性2人、しかも、日本一の名探偵と文学界で話題の覆面作家が向かい合って美味しそうにショートケーキを食べている様は、異様にも見える。


 2人とも一番の好物がラウンジ「リリア」のショートケーキなのだから、仕方ない。


 栄一と達也はしばらくの間、「リリア」のショートケーキに夢中になり会話が途切れた。


「でも、今日は達也君が一緒で助かったよ、週末なのにありがとう」


 ショートケーキを食べ終わった栄一が、フォークを置きながらふと言った。


「いえ、そんな。僕はただ栄一さんについて行っただけで、何もしていないです」


 今日、達也は栄一に声を掛けられて、事務所のお客様の会社へと足を運んだ。


 栄一だけでなく百合も、時々達也に「一緒に来て」と言ってお客様の元へ連れて行くことがある。


 事務所には有能なスタッフが他にいるのに、どうして栄一も百合も自分について来いというのだろうか。達也はいつも疑問に思っていた。

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