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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第一章 乙女の祈り
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ライブ当日⑩

「それで西園寺さんの元カレは、達也が西園寺さんと私を二股かけていると勘違いしたみたい。


 元カレは『二股している薄情な男にエミを渡せない』と思って、西園寺さんを連れて逃げようとしたの。エヴァンスさんの襲撃も放り出して。


 でも、西園寺さんはもう元カレを忘れつつあった。急に元カレに『一緒に来い』と言われて戸惑ったんでしょうね。それも元カレが西園寺さんと達也が付き合っていると勘違いさせたみたい。


 元カレは最後には逆上してしまったの。西園寺さんにナイフを突きつけて、達也が踏み込んできた時みたいな惨状になったのよ」


「そうだったんだ」


「でも、元カレが達也と西園寺さんの仲を疑ってくれたおかげで、元カレをおびき寄せることができたんだけどね」


「それって、もしかしてあのブローチで? 今日、朝から警察を呼んでいたし、百合はあの元カレがパトリック・エヴァンスを襲撃しようとしていたことに気づいていたんだよね?」


「そう。クラブフロアのバーで『乙女の祈り』を弾きながら考えたの。どうして、元カレは西園寺さんと音信不通になったのに、ブローチの発信機を頼りに達也をつけてきているのか。達也に嫉妬しているなら、どうして西園寺さんのことを振ったのか。


 ブローチの発信機は最初、西園寺さんが浮気してないかどうかを見張るためだと思っていたけど、その割に元カレは西園寺さんを振っているし、達也の後をつけてきている。おかしいわよね? 


 もしかすると、男が西園寺さんと付き合っていたのには別の目的があったのかもしれないと思ったのよ。別の目的とすると何だろう? 西園寺さんはエヴァンスさんのエスコート役をすることになっているけど、まさか……と。


 でも、あの元カレがエヴァンスさんを襲撃するのが目的で西園寺さんに近づいたと考えると、いろいろなことの辻褄(つじつま)が合うの。


 最初は西園寺さんがエヴァンスさんのエスコート役をするから、という目的で近づいたけど、本当に西園寺さんが好きになって、危険な目に合わせたくなくなったから離れた。でも、まだ好きだから、ブローチを持っている達也に嫉妬して後をつけているって。


 そこまで思いついた時、とりあえずブローチは達也から取り上げた方がいい、と思ったのよ。だって、達也がブローチをどこへ持っていくかわからないもの。


 エヴァンスさんを襲うような人に達也が財閥の息子だってバレたらどうなるかわからないし。でも、元カレには達也の住んでいる場所は特定されているかもしれないから、警察にはちゃんと話しておいたけど」


「うん、ありがとう」


 イリーナ・ホテルの近くにある高層マンションに住んでいることは、あの元カレにバレてるかもしれない。


 達也はため息をついた。


 まあ、バレたところで日本の最高レベルのセキュリティーが入っている高層マンションだ。侵入はされないと信じたい。


 あのマンションには場所柄、政界の重鎮や経済界の大物、有名な芸能人もたくさん住んでいるのだ。何事もなければいいが。


「だから、ブローチをずっと女子更衣室に隠しておいたの。元カレ、この間は達也がブローチを持っていたのに、今度はずっと更衣室から動かないと知ったら、絶対気になるだろうなと思って。


 エヴァンスさんのライブ当日に元カレは絶対来るから、今日あのブローチを持ってホテル中を歩いてみたの。ブローチが動いたと知ったら、元カレもついて来ると思ったから」


「確かに元カレ、僕たちについてきたね」


「元カレをおびき出したところで警察に連絡して職務質問してもらう予定だったんだけど、まさか元カレが途中でいなくなって西園寺さんのところへ行ったのは予想外だった。


 元カレがいなくなって、2階の更衣室へ行く途中に警察に連絡しておいてよかったけど……。あれは完全に私の誤算だった。


 私のせいで達也と西園寺さんを危ない目にあわせてしまって、本当にごめんなさい」


 百合はそこまで言うと、達也に頭を下げた。


 達也は突然のことに戸惑った。百合が頭を下げて来るなんて、今まであっただろうか。


 百合は彼女のピアノの演奏のようにいつも完璧で、達也だろうと他の人間に対しても頭を下げるようなミスをしたことがない。


 少なくとも、達也が知る限りは。


 あまりにも意外なことに、達也はしばらく思考回路がマヒしたような状態になった。


 達也は少しして我に返ると、慌てて首を横に振った。


「待って、百合! 謝らなくていいよ。悪いのは西園寺さんの元カレであって、百合は結果としてパトリック・エヴァンスやホテルの宿泊客を守ったことになるよ。


 西園寺さんだって無事だったし、僕のケガはかすり傷程度だし、むしろ、百合はあれくらいの被害で済ませられたんだから、感謝される方だよ!」


 百合は顔を上げた。目がまた少し赤くなっているような気がする。


「ありがとう」


 百合は仄かに口元を緩ませた。これでも普段無表情の百合の精いっぱいの笑顔だということを達也は知っている。


 達也はさっきのように百合を抱きしめようかと思った。


 百合が弱気になっているのにつけこんで、というわけではない。自分やエミを危ない目にあわせて責任を感じて頭をさげている百合が、本当に愛おしいと思ったのだ。


 百合は普段はクールで無表情で「冷淡」といわれることも多々ある。しかし、それはピアノや仕事をちゃんとしなくてはいけないという責任感の表れであって、決して冷淡なだけの人間ではない。


 本来の百合は優しくて、何事に対しても一生懸命に頑張るような人間なのだ。


 そうでなければ、エミの失恋話を積極的に聞こうとしなかっただろうし、危険な目に合わせたと幼馴染に対して頭を下げることもしないだろう。


 達也は百合の外見も好きだったが、そういう内面の部分が本当に好きなのだ。

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