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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第一章 乙女の祈り
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ライブ当日⑦

 次に目を覚ました時、達也はベッドの上だった。


 多分、イリーナ・ホテルの客室だろう。目を覚ましてすぐ、達也は自分がどこにいるのか、なぜ横になっているのか、すぐには理解できなかった。


 そういえば自分はエミの元カレから百合をかばうために二人の間に飛び込んだんだ。達也は慌てて飛び起きた。


(――そうだ、百合は? 西園寺さんは?)


 起きた瞬間、左腕に痛みを感じる。思わず痛みが走った部分を手で押さえる。


 達也はいつの間にか、客室備え付けのパジャマに着替えていた。左腕には包帯がぐるぐる巻きにされている。


 達也は元カレにナイフを振り下ろされた瞬間、今までの人生で初めて「命の危機」を感じた。


 しかし、外傷はこの腕の傷だけで済んだらしい。この痛みなら、かすり傷程度だろう。


 達也はベッドから降りると、とりあえず百合とエミの安否を確認しようと客室を出ようとした。


 達也が客室のドアノブを開けようとした瞬間、扉が開く。


 入ってきたのは百合だった。


「百合!」


 達也は入ってきた百合を思わず抱きしめた。


 百合が無事でよかったと心の底から思った。そして、やはりあの時、自分が百合と元カレの前に出て行ってよかったとも思った。


 自分は臆病なせいでいつも行動に移せないが、時には何も考えずに飛び出すことは大切なのだ。


 あの時、自分が飛び出さなければ百合はどうかなっていたかもしれない。多少自分に何か傷つくことがあっても、飛び出さなくてはいけない時もあるのだ。


「達也、ちょっと、離して!」


 百合の言葉に達也は慌てて百合から身体を離した。


 あまりにも百合が自分の目の前に無事な姿を見せてくれたのがうれしすぎて、我を忘れてしまった。


「ごめん、百合が無事でよかったと思って」


 身体を離してみると、達也は百合の目が赤くなっているのに気付いた。


 まるで泣いた後のようだ。


 達也の覚えている限り、百合がこんな目をしているのを見たことはなかった。


「達也こそ、大丈夫なの?」


「うん、腕が傷つけられたみたいだけど大したことないよ。さっきまで気は失っていたけど」


「よかった」


 百合はクールな中にも安堵の表情を浮かべた。「今、達也のお父さんに電話してきたの。あと、パパにも。謝ってきたの」


「えっ? 謝った?」


 百合は何も悪くないのに、と達也は思った。自分がケガをしたのは、あのエミの元カレのせいだ。


「だって、達也にケガをさせてしまったもの。私とパパは達也のことを預かっているんだし……」


 もしかすると、だから百合は泣いていたのだろうか。


 百合は何に対しても責任感が強い。幼馴染とは言え父親の親友の息子にケガをさせてしまったことに、責任を感じたのかもしれない。


「それで、父さんはなんて言ってた?」


「達也のこと、褒めてた」


「褒めてたって……」


「うん。『女性を助けようとしてナイフ持っている男の前に飛び出すなんて、あいつも強くなったな』って笑ってた」


 達也は嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気持ちになった。


 達也の父親は達也のことをあまり褒めない。達也はそこまで承認欲求の強い方ではないが、それでも普段褒めない父親に物足りなさを感じることもあった。


 しかし、実際に褒められると恥ずかしいもののようだ。


「そうだ! 西園寺さんは大丈夫だった? あと西園寺さんの元カレは?」


 元カレはなぜ再びエミの前に現れたのだろうか。しかも、ナイフを持ち歩いていたなんて、何かあるはずだ。


 百合はずっと何かわかっているようなそぶりを見せていた。達也はいい加減、あの元カレが何者なのかが知りたかった。


「西園寺さんは大丈夫、ケガは何もない。それも含めて、これから全部話すから」


 百合と達也を客室の奥の窓辺にあるソファに向かい合って座った。


 達也が何気なく窓の下を見ると、イリーナ・ホテルの前には数台のパトカーが停まっている。


 まあ、確かにホテル内にナイフを振り回す男がいたら、通報されるだろう、と達也は思った。


「あのパトカー、百合が通報したの?」


「うん、でも警察は私が朝から呼んでいたの。あのパトカーは後から来たみたいだけど」


「えっ? 朝から?」


 では、百合はあのエミの元カレが危険人物だと最初から知っていたのだろうか。


「そう。達也が気を失ってすぐ、警察が駆け込んできて、元カレを取り押さえてくれたの。西園寺さんの元カレのせいで、今日のパトリック・エヴァンスのライブは中止」


「中止……」


 達也はさっき見た百合の緑色のドレス姿と、エミが笑顔で「ライブ楽しんでいただけるように頑張ります」と言った言葉を思い出した。


 百合は小さくうなずくと、少し赤い目のまま、いつも通りの無表情で達也に今回の件について語り始めた。


 百合が静かに語る声は、まるでいつもラウンジで奏でている百合のピアノの演奏の音のように静かに達也に響いていく。

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