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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第一章 乙女の祈り
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鋭い気配⑧

 達也が「多分、百合の言う通りかもしれない」と答えると、百合は小さく頷いた。


 そして、百合はブローチのカメオの部分を台座からはがし始めた。


「えっ!? 何しているの?」


 そのブローチ、エミの元カレの母親の形見じゃないかと達也は慌てたが、百合は相変わらず無表情だ。


 百合が少し引っ張っただけで、ブローチはカメオの部分が台座からあっけなくはがれてしまった。


 エミがごみ箱に捨てようとした時に、見えないところで亀裂が入っていたのかもしれない。


 その時、エレベーターが目的の階についたことを知らせる静かな音が響いた。


 達也は百合に連れて来られただけで、どこについたのかよくわからない。


 たどり着いた場所は、どうも宿泊客やホテルのスタッフしか入れないクラブフロアらしい。


 ここなら、あの鋭い気配の男が宿泊客でない限り来られないだろう。実際、あの男が来るような気配はなかった。


 クラブフロア内にあるバーにもピアノが置いてあって、百合は時々そこでもピアニストをしていた。そのため百合はどの階にも行けるホテルのマルチなカードキーを持っているのだろう。


 宿泊客ではないのに宿泊客以外入れない階に来ても良いのだろうか。達也はこのホテルを所有している人物の息子らしくない心配をしてしまった。


 百合がエレベーターから降りて、廊下に出る。達也も後に続いた。


 百合は達也を振り返ると、手のひらに乗せたブローチのカメオと台座の部分を達也に見せる。


 達也が覗き込んでみると、台座から外れたカメオの裏の部分がくり抜かれている。


 そのくり抜かれた部分に、何やら薄いボタン電池のような黒くて丸いものが貼り付いていた。


「何? この黒いの?」


 こんな黒いもの、カメオのブローチに必要なのだろうか。達也は当然の疑問を感じた。


 高価そうではないしにしろ、美しいカメオのブローチにその黒いものは必要ないような気がする。


「これ、発信機よ」


 百合が小声で言う。


「えっ? 何で発信機なんて、ブローチの裏についているの? あっ……」


 もしかすると、エミの元カレがエミの動向を探りたいから、ブローチに発信機をつけてプレゼントしたのだろうか。


 エミはかわいらしいし、高級ホテルのフロントスタッフをしている。たくさんの人の目に留まるから、その中の誰かがエミに言い寄って男女の仲になるかもしれない。元カレはそれを心配したのだろうか。


 しかし、ブローチに発信機をつけてまで心配するほどの相手を、あっさりと振ってしまうのだろうか。


 百合は達也の思考を感じ取ったのか、小さくうなずいた。


「そう。西園寺さんの元カレが西園寺さんの浮気を心配して発信機をつけた、と考えるのが普通よね? でも、その割に元カレは西園寺さんをいきなり振って音信不通になっている。


 心変わりしたと考えれば納得できなくはないけど、じゃあ、何でこのブローチを持っている達也を追いかけているの?」


「うん、確かに。あの男、よく考えてみると僕のこと、すごい目でにらんでいたような気がする。鋭い気配だなとは思ったけど、あれ、僕をにらんでいたと考えれば納得できる」


 達也は男の鋭い気配を感じた時、男がどのような素性の人間かわからなかった。だから、ただ単に「鋭い気配」と感じたのだろう。


 しかし、あの男が「エミのブローチをなぜか持っている男」として達也をつけていたのなら、あの鋭い気配は「にらんでいた」いうことで納得できる。


 つまり、エミの元カレは達也に嫉妬していたのだろう。


 エミが捨てたものを拾ったという事情があるにせよ、達也は元カレがプレゼントしたエミのブローチを持っている。もしも、元カレがまだエミを好きなら、いきなり現れた若い男が「母の形見」と言って恋人にプレゼントしたブローチを持っているのは絶対に気になるはずだ。


 理由はわからなくても、達也とエミが何かしらの深い関係にあるのではないかと考えるのが普通だ。


「そう、西園寺さんの元カレが達也をにらんでいたのなら、やっぱり元カレは達也に嫉妬していたのよ」


「でも、じゃあ元カレはどうして西園寺さんを振ったの? 僕を付け回すくらい嫉妬するなら、まだ西園寺さんが好きなんだよね? なのにいきなり振るなんて」


「……」


 百合は無言のまま達也に分解したブローチを渡すと、まるで達也がその場にいることを忘れたかのように突然足早に歩き始めた。


「えっ? 百合?」


 さっきは腕を掴んでくれたのに、今度は置いてきぼりなのか。達也はブローチをポケットに戻すと、慌てて百合の後を追った。


 百合は廊下をどんどん進んでいく。やがて、廊下の奥にある、何やら重厚な扉の前にたどり着く。


 百合が何の躊躇(ちゅうちょ)もせずに扉を開けると、そこはバーだった。

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