第12話 波間
9月になり後期課程が始まった。
「晴人せーんぱい!」
キャンパス内を歩いていると奏ちゃんの声が背後から響く。
「奏ちゃん……あれ、僕のこと名前呼びだったっけ?」
「この方が、喜ぶと思いまして」
なんてあざといんだ。
僕じゃなければ、いちころだった。
「名前呼び+先輩……なんて甘美な響き」
「晴人先輩、相変わらず気持ち悪いですね」
「先輩を少しは敬いなさい」
「もう少し先輩らしく振る舞ったら考えますよ。
……今日は午前中のオリエンテーションだけですよね。午後からデートに行きませんか?」
奏ちゃん、随分積極的だな。
嫌悪感剥き出しだった先日までとは別人のようだ。
「本当に? 喜んでお供させていただきます」
「もう、なんですかそれ。
オリエンテーションが終わったら連絡しますね!」
「うん」
奏ちゃんとデートだ!
嬉しいはずなのに、どこか心が晴れなかった。
✾
オリエンテーション。
講義室は多くの生徒で埋め尽くされていた。
みんな、夏休みの思い出話に花を咲かせている。
僕だって女の子三人とプールに行ったんだぜ
……と自慢できる友達すらいなかった。
「おっ、土井じゃん!」
佐々木さんが、通路から手を振る。
「佐々木さん!
と……明里ちゃん……」
佐々木さんの背後で明里ちゃんが目を逸らす。
「ほらほら、詰めた詰めた!」
「あ、紗奈ってば、押さないでよ」
押し込まれた明里ちゃんが、僕の隣に詰めて座る。
「晴人くん……おはよう」
「うん……おはよう」
先日のこともあって、お互いに気まずい。
「オリエンテーション後に明里と昼飯食べるんだけど、晴人も行かない?
……今日は私が奢るからさ」
「もう、紗奈ってば晴人くんに悪いよ。
予定があるかもしれないし」
二人とご飯か……行きたいけど、
奏ちゃんとデートの約束してしまったし。
「二人には申し訳ないんだけど……予定があってさ」
四人で一緒に遊ぶことも考えたけど。
奏ちゃんが僕とのデートを期待してたら悪いし、
ここは断っとくのが無難かな。
「なんだ、私は晴人の呼び出しにすぐ応じるのに、こっちからの誘いは断るんだな」
佐々木さんが嫌味っぽく返す。
「晴人くん、紗奈のこと、そんなに誘ってるんだ。ふーん」
うっ……二人からの視線が痛い。
「……どうせ私は都合の良い女だからな」
「……ずるい……」
「……えっ?」
明里ちゃんが聞き取れないぐらいの声量で呟く。
「ううん。何でもありません。
もう、私たちは赤の他人だしね」
隣に座る明里ちゃんが顔を背ける。
そんな突き放され方をするとこっちだって傷つく。
「あっ……」
明里ちゃんが僕との間にボールペンを落とした。
咄嗟に拾おうと体を屈める。
ゴツっ!
「「痛ったー!」」
互いに屈もうとして、頭がぶつかったみたいだ。
二人して頭を押さえる。
「お前ら、なに青春してんだよ」
佐々木さんが呆れてため息をつく。
「ごめん、僕が拾うよ」
「私の方こそごめんね。ありがとう」
ペンを渡す時、明里ちゃんと手が触れる。
「「あっ……」」
手渡すだけなのに、互いの手が触れ合ったままだった。
「はぁぁぁ! エンガチョ!」
「いでっ!」
突然、佐々木さんのチョップが僕の右手に振り下ろされる。
「なにすんだよ」
「なんか、見ててイラッとしたから」
「もう、紗奈ってば」
気づけば三人で笑い合っていた。
互いに思うところはあるかもしれない。
それでも僕らは友達だ。
少なくとも今はそう思いたい。
✾
「晴人先輩、待たせちゃいました!」
「おい、そこはお待たせしましただろ」
「お待たせしました、ご主人様!」
奏ちゃんが大声で叫ぶ。
通りがかった学生たちの何人かがこっちを向く。
「おい、バカ! 恥ずかしいだろ」
「あーバカって言った! バカにバカって言ったら余計にバカになるんですよ」
「なんだそれ、初めて聞いたぞ」
奏ちゃんは天真爛漫な子だ。
彼女と話しているだけでこっちまで元気になる。
電車に乗り二人で町外れの海岸まで行く。
海に臨むレストラン。
「ここ、海鮮丼が名物なんだよ」
「晴人先輩、私が魚を食べれるかまず聞いてくださいよ」
「えっ、苦手だったの……ごめん」
「大好きですけど……そういう配慮も大切ですよ」
「はい、勉強になります」
「ふふ、よろしい」
二人で券売機の前に並び、食券を購入したら、二階にある座敷に腰を下ろす。
昼時を過ぎたというのに、お客さんで賑わっている。
「ここ、有名なんですか?」
「ああ、地元民の間では有名だよ。
って言ってもここら辺は漁師町だから、都心部の人が食べに来ることが大半だけどね」
「なるほど、私も勉強になります」
まったく、素直で可愛い後輩だよ。
「はい、おまちどうさま。海鮮丼定食二つね」
店員のおばちゃんがお盆を二つ、テーブルの上に並べた。
海鮮丼にクロメの味噌汁。茶碗蒸しにお新香。
丼にはお米が見えないぐらい鮮魚で埋め尽くされていて、中央には山盛りのわさびがそびえ立っていた。
「うっ……わさび……ですか」
「奏ちゃんには、まだ早いからのけといた方がいいよ」
「むっ、なんですか。子ども扱いはしないでください」
強がりつつも奏ちゃんはわさびを少しつまみ、海鮮に乗せて口に運ぶ。
「ん!? んー! んー!」
奏ちゃんは声にならない声を上げ、悶え苦しんでいる。
「だから言ったのに。ほら、水飲みな」
「むー、なんですかこれ……市販のわさびと比べて滅茶苦茶辛いんですけど」
「ああ、ここのわさびは大の大人でも残す人が多いぐらい辛いんだよ」
「ふーん。せんぱーい!」
奏ちゃんが突然、甘ったるい声を出す。
「はい、あーん」
奏ちゃんが海鮮に大量のわさびを乗せ、僕の口に運ぶ。
「か、奏ちゃん。さすがの僕でも無理かな」
「晴人先輩が苦しむ姿……じゃなかった、かっこいい姿がみたいなぁ」
「おい、今、本音が漏れてたぞ」
ったく、この子は相変わらずSっ気が強いんだから。
好感度のため、彼女の“あーん”を受け入れるか。
それとも守りに入るか。
否――男なら腹を括るしかない。
僕は思い切って口を開けた。
「あーん」
口の中に、海鮮というか、ほぼほぼわさびだけが投入される。
あれ……意外に甘っ……ん!?
「んー! んー! んー!」
呼吸をすればするほど、鼻腔を突き刺すような刺激が吹き抜ける。
辛いというか、息ができない。
「ごほっ、ごほっ、ごほっ!」
「あははははは……晴人先輩の顔、面白すぎ……しぬ……しぬ……」
「水……水……」
「私が飲ませてあげますよ」
彼女は僕の隣で、コップを沿え、水を飲ませてくれる。
「ごほっ! ごほっ! あ、ありがとう……ううっ」
「晴人先輩、よく頑張りました。偉い偉い」
奏ちゃんが僕の頭を撫でてくれた。
後輩に甘やかしてもらうってのも、悪くないな。
結局、わさびのせいで海鮮丼を楽しむどころではなかった。
✾
一通り話した後、西陽が強まる中、二人で海岸線を眺めながら石段に腰掛ける。
「晴人先輩、今日は楽しかったです」
「ああ、僕もだよ」
「その……晴人先輩に謝らないといけないことが……」
「うん、聞くよ」
「前園先輩が、この前、泣いてた件は誤解だって、丁寧に説明してくれました。
私、晴人先輩のこと誤解していました。
ごめんなさい」
「別にいいよ。僕にも悪いところがあったから」
「晴人先輩……優しいんですね。
その……一つ聞いてもいいですか?」
「いいよ」
「前園先輩と……何かありました?」
「何かって?」
「いえ……特にはないんですけど、女の勘……ですかね」
「何もないよ……何も……」
明里ちゃん……本当に僕のこと諦めるんだ。
なんだか少しだけ寂しかった。
「晴人先輩……」
「えっ……!?」
夕陽に照らされる中、奏ちゃんの唇が僕の唇に重なる。
ほんの数秒、体温が重なり……離れた。
「な、何を?」
「ごめんなさい。
こうでもしないと、振り向いてくれない気がして」
「私……晴人先輩が好きです!」
突然の告白に頭が真っ白になった。




