第11話 熱を帯びて
もう、こんな時間か……腕時計を確認すると、既に時刻は午前1時を回っていた。
佐々木さんと話し込んでいたら終電を逃してしまった。
自宅アパートの階段を登る。
「うおっ!」
可愛らしいヒールサンダルから伸びる白い足。
慌てて視線を向けると、明里ちゃんが体育座りで顔を伏せていた。
「明里ちゃん……?」
顔を近づけるとかすかに寝息が聞こえる。
突然の来訪に驚きが隠せない。
このままにしておくわけにもいかないよな。
「明里ちゃん……明里ちゃん……」
彼女を揺らすが起きそうにない。
はぁ……仕方ない。
僕は鍵を開けて、明里ちゃんを抱きかかえる。
そのまま寝室に運んだ。
彼女の素肌は汗ばんでいて、熱い。
熱中症か?
僕は、慌てて氷枕を首と太ももの下に通した。
ダメ押しで冷却シートを額に貼る。
「本当は水分も取ってほしいけど……起きないとさすがに無理か」
この子は本当に何なんだろう。
ただの悪女ならどれだけ扱いやすかったか。
人の家に勝手に来て勝手に倒れて……
彼女の目尻から涙が落ちる。
「また、泣いている……」
人に弱みを見せないって、佐々木さんが言っていたのに、僕の前では泣いてばかりだ。
ハンカチで涙を拭いてあげる。
彼女の頬はほんのり赤く、寝苦しそうだった。
さすがに服を脱がすわけにもいかず、
空調の調整だけして、寝室を後にした。
「ふあぁぁぁ……疲れた……」
重くなる瞼に耐えきれず、僕はリビングのソファーで眠りについた。
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翌朝、軽くノックする。
……返事はない。
「入るね」
扉を開けると、明里ちゃんはまだ夢の中だった。
彼女の額のシートを剥がして、手を当てる。
「うん、熱くはないな」
そういえば、ろくに食事も取れてないって言ってたっけ。
「……ん……あれ?
晴人くん……」
「あれじゃないよ。人の家の前で倒れて」
「ごめんなさい……」
彼女の声は震えていて弱々しかった。
「すぐに……帰るから……」
彼女は体を起こそうとする。
彼女の額を指で軽く押さえ、そのままベッドに寝かせた。
「僕の服で良かったらそこに用意しているから、着替えな。昨日は汗だくだったから。朝食作るから待ってて」
「……うん。ありがと」
僕は寝室を後にして、冷蔵庫を開ける。
「……何もない」
冷凍うどんを土鍋に入れて沸騰させる。
仕上げに卵とネギを入れて二人分の朝食を作る。
野菜ジュースとスポーツ飲料を机に並べる。
完全に男飯だけど、仕方ない。
僕は寝室をノックする。
「ご飯できたよ」
「うん、行くね……」
明里ちゃんが寝室から出てきた。
「って、なんだよその格好!」
僕は慌て視界を覆った。
ダボついた僕のTシャツだけで、ズボンは履いていなかった。
なんとか下着は隠せてはいるものの、
絶対領域から白い太腿が伸びていた。
「ごめんね。ぶかぶかすぎて、ズボンが落ちるから」
別に怒ってはいない。
むしろ、その格好は嬉しいけど。
「と、とりあえず座ってよ」
座ってしまえば見えないし、僕も平常心を保てる。
「とりあえず水分をとりな」
僕はスポーツ飲料と野菜ジュースを差し出した。
「いいの?」
「いいの!」
強めに返答すると、彼女は小さく「ありがとう」とこぼし、飲み始めた。
その間にうどんを小皿に注ぎ分ける。
「いただきます」
彼女はうどんを一本ずつ啜りながら、
えずき始めた。
「大丈夫? まだ、きつい?」
「ううん。晴人くん……本当にごめんね……」
「それは、もういいから。今は元気になることだけ考えてよ」
互いに知らない仲ではない。
弱った明里ちゃんを見捨てることはできなかった。
彼女の涙の理由もここに来た理由も何一つ分かっていない。
これからどうしようか。
……会話もなく気まずい沈黙が続く。
「あっ!」
僕は、緊張のあまり箸を落としてしまった。
慌てて机の下の箸を取る。
ふぅ……何やってんだ、僕。
顔を上げると、かすかに白い三角地帯が見え隠れしていた。
えっ……これって……
そう思った時、明里ちゃんがシャツの裾を伸ばしてそれを隠した。
「晴人くん……見てたでしょ……」
僕は慌てて机の下から這い出る。
「み、見てないよ! 僕は紳士なんだよ!」
あからさまに挙動不審だったが、勢いで誤魔化せないかと強く否定する。
「色は?」
「白」
「晴人くんのエッチ……」
明里ちゃんは頬を赤らめ上目遣いで睨む。
「ご、ごめん……いや、ありがとう?」
「なんで、お礼を言うんですか!」
「ごめん……」
なんだよ、このラブコメ展開は。
目の前の明里ちゃんが可愛すぎる。
このまま相手のペースに乗せられるわけにはいかない。
「明里ちゃん。食べたら……話があるから」
「うん。私も話したくて来たから……」
食事を済ませて、互いに並んでソファーに腰掛けた。
「それで、話っていうのは?」
「うん……」
彼女はどう切り出そうか迷っているみたいだった。
明里ちゃんは呼吸を整え、ようやく決心したように口を開いた。
「私……晴人くんのことが本当に好きなの。
でも……この前のプールの時、奏ちゃんと楽しそうにしているのを見て、これ以上私が邪魔しちゃいけないなって」
「うん」
「だから……身を引きます」
「そうなんだ……そのためにいきなり来たの?」
「ごめんなさい。晴人くんの顔、最後にちゃんと見ておきたくて……それで……晴人くんの話って……」
僕は、明里ちゃんの本心が知りたかった。
でも、今の話を聞いた後じゃ……本心が分かっても余計につらくなるだけだ。
「いや、奏ちゃんのこと聞きたくて……」
咄嗟についた嘘。
明里ちゃんの眉が、かすかに歪んだ。
「うん。二人が上手くいくようにフォローするから、また……連絡してよ」
明里ちゃんの声が震えていた。
「晴人くん……うどん美味しかった。
なんか、子どもの頃を思い出しちゃった
今まで、ありがとう……そして、今までごめんなさい」
明里ちゃんは、それだけ言い残し、服を着替えて出ていった。




