異邦人の弔い
八月下旬。容赦ない猛暑が世界をじりじりと焼く日の午後、俺は喪服に身を包み、都内の斎場にいた。
八木兼人先生の通夜・告別式。
天野法律事務所を代表して、俺が一人で参列していた。瀬尾と猿渡には、事務所の留守番を頼んである。
受付にいたのは、八木先生の娘さんだった。そして喪主の席に座っているのが、その兄にあたる息子さん。二人とも40代半ば、遠方に居を構えて何年も経つ、俺より少し上の世代の大人たちだ。
「この度は、本当に御愁傷様でした。天野法律事務所の天野です。八木先生には、生前言葉では言い尽くせないほどお世話に……」
「あ、天野先生。わざわざ恐れ入ります」
喪主の息子さんは、疲れ切った顔で事務的な一礼を返してくれた。その表情には、長年離れて暮らしていた父親を亡くした悲しみよりも、突然の葬儀の手続きに追われる慌ただしさのほうが色濃く滲んでいるように見えた。
挨拶を軽く済ませ、俺は親族に案内されて、式場の奥にある小さな控室へと向かった。出棺の前に、八木先生の顔を拝ませてもらうためだ。
静かにドアを押し開けると、冷房が白々しく効いた部屋の奥、白い布がかけられた棺の脇に、ぽつんと座り込んでいる人影があった。
夕凪だった。
彼女は1週間前のお見舞いの時と同じ、黒い地味な私服のワンピースを着ていた。パンダ耳も外したままだ。夕凪は丸椅子に深く腰掛け、まるで魂が抜けてしまったかのように、じっと棺のフチを両手で握りしめている。
「……夕凪」
俺が静かに声をかけると、彼女はゆっくりと首を動かし、涙でボロボロに濡れた顔を俺に向けた。
「あ……天野、先生……」
「大丈夫か。しっかりしろ。ずっとここにいたのか?」
俺のねぎらいの言葉に、夕凪はただ小さく、コクンと頷いた。
その時、俺の後ろから入ってきた喪主の息子さんが、夕凪の背中に、冷ややかで、ひどく排他的な視線を突き刺したのが分かった。
「天野先生。……その子、ずっとそこにいるんですよ。親族の制止も聞かずに、病院からずうっと。父の遺産が目当てなのか何なのか知りませんが、正直、気味が悪くて……」
息子さんは声を潜めてはいたが、部屋が静かなせいで、その冷徹な言葉は夕凪の耳にも確実に届いていた。夕凪は小さく肩をすくめ、さらに棺にしがみつくようにして身を縮めた。
遠方に住み、たまにしか連絡をよこさなかった実の子供たち。そして、身元も素性もよく分からない謎の少女。彼らが夕凪に向ける「不可触の汚物」を見るような軽蔑の目は、残酷なほどに鋭かった。
「あの、天野先生。つかぬお伺いしますが」
喪主の息子さんが、俺の袖を軽く引いた。
「父の遺品整理の件なのですが……。私たちは明日には遠方の自宅へ戻らなければならず、父の生前のオフィスの書類や、部屋の片付けをする時間がありません。弁護士の守秘義務が絡む書類もあるでしょうし、元部下である天野先生に、遺品整理とオフィスの立ち退き手続きを丸投げするような形でお任せすることは可能でしょうか? もちろん、費用は実費でお支払いしますので」
「……ええ。私でよければ、責任を持って引き受けます。八木先生の書類の整理は、こちらで進めておきましょう」
「助かります。本当に、あの父には最後まで振り回されっぱなしで……」
息子さんはホッとしたように溜息をついた。
実の子供たちにとって、八木先生の死は「早く片付けるべき面倒な手続き」であり、夕凪にとっては「世界の終わり」だった。その埋めようのない温度差が、この狭い控室に充満していて、俺の胃のあたりが重く痛んだ。
やがて、告別式は無事に終わり、出棺の時間が訪れた。
八木先生の遺体を乗せた霊柩車が、静かにエンジンをかける。親族たちは、火葬場へと向かう用意されたマイクロバスへと次々に乗り込んでいく。
当然、そこに夕凪の席はなかった。
「……夕凪、お前は」
俺が声をかけようとしたが、親族たちの流れに押され、気づけば夕凪との間に距離ができていた。
ガタリ、とバスのドアが閉まる。俺はそのまま、足を止めた。
やがてマイクロバスと霊柩車が連なって走り去り、斎場のロータリーには静寂だけが残った。
うだるような夏の陽射しが照りつける中、黒いワンピース姿の夕凪が、ただ一人立ち尽くしている。親族たちの冷たい視線に晒され、火葬場への同行すら許されなかった22歳の少女が、俺の隣にいた。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
遠ざかっていく霊柩車のテールランプを見送りながら、俺は胃の重さを抱えたまま、ただ前を向いていた。




