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面会は刻を改めて、執務時間内

アルフレッドは、顔を上げられなかった。


もう一度、深く頭を下げる。その姿勢のまま、固まった。


ロザリンドは予定表の最後の行に、短く書き入れた。


> 面会、終了。経済支援要請、却下(きゃっか)


「結論を申し上げます」


王太子の頭頂(とうちょう)を、ロザリンドはまっすぐに見下ろした。


「祖国アルバート王国への経済支援は、契約上、行えません」


アルフレッドが、伏せた顔を上げた。何か言い返そうと、唇が動く。


ロザリンドは、その一拍を許さなかった。


「両国間覚書の干渉条項。貴国が私の雇用に干渉した場合の補填(ほてん)は──貴国の財政では、お支払い不能な額に、揃えてございます」


開きかけた王太子の口が、止まった。


「そして、その『干渉』には、本日の御自らのご来訪も該当(がいとう)いたしますわ。お忘れでしたら、お帰りの馬車のなかで、ご確認くださいませ」


***


応接間の温度が、もう半度、下がった。


ロザリンドはペンを取り直し、覚書の写しの余白(よはく)に、ひと筆、引いた。


「念のため、もう一点だけ」


「貴国に残された通商の優遇枠は、あと一年でございます」


アルフレッドの肩が、わずかに(ゆる)んだ。一年。まだ猶予がある──そう聞き取った顔だった。


ロザリンドは、その期待を、静かに上書きする。


「もっとも、貴国産品の大半(たいはん)は、私の就任後にすべて別海路へ振り替え済みですわ。その枠を通る商品は、もう、ございません」


「残された一年、貴国がお持ちになるのは──()()()()()()()()()()でございます」


王太子の顔から、表情という表情が、ひとつずつ抜け落ちていった。


「お持ち帰りくださいませ」


***


壁際のルーカスが、指先を一度だけ、卓の縁で鳴らした。


それが合図だった。衛士が、王太子の両脇に立つ。


退出を促す手つきは、丁重(ていちょう)で、それゆえに容赦がなかった。


アルフレッドは、最後にもう一度だけ、顔を上げた。


「ロザリンド……せめて、俺の名前を」


「殿下」


ロザリンドは、座ったまま、動かない。


「お顔を上げていらっしゃるうちにご退室を。──王族の最後の体裁(ていさい)は、私が守って差し上げますの」


その一言が、最後の糸を切った。


「……っ、貴様」


王太子が、跳ねるように立ち上がった。


「貴様ァ……! この、冷酷な女が……! 王族の俺が、ここまで頭を下げてやったのに、無礼だろ!」


椅子が、背後で倒れた。


卓越しに、王太子の手がロザリンドへ伸び──


届かなかった。


ロザリンドの視界を、黒い上着の背中が塞いでいた。


ルーカスだった。


いつ動いたのか、誰にも見えなかった。半歩。たった半歩で、彼は卓とロザリンドの間に立っていた。


声は、なかった。


ただ、王太子を見下ろす目だけが、あった。


「氷の大公」と呼ばれる所以(ゆえん)の温度を、アルフレッドは生まれて初めて、正面から浴びた。


ルーカスは、ただ視線をひとつ、王太子の伸びた腕へ落とした。剣の柄に手をかけるでもない。それより静かで、それより明確な拒絶だった。


伸ばした手が、行き場を失って、震えながら下りていく。


衛士が、両脇を固め直した。


ロザリンドは座ったまま、ルーカスの背中の横から、静かに半身を覗かせた。それが、彼女が見せた唯一の動きだった。


「殿下。最後に、ひとつだけ」


会議の終わりを告げるときと、同じ温度の声だった。


「あの日のご決断には、感謝しておりますのよ」


「…………」


「婚約破棄。難しいご決断でしたでしょうに、衆人環視の中、よくぞ仰ってくださいました」


ロザリンドは、貴族令嬢の礼の角度で、わずかに頭を傾けた。


「おかげさまで私は、王妃という名の椅子に座らずに済み──こうして、正当な雇用主にめぐり会えましたの」


ロザリンドは、わずかに目を細めた。


「お助けしたいのはやまやまですが、経済援助は、雇用主たる大公国の利益に反します。たいへん残念ではございますが、この件は──お断り申し上げますわ」


もっとも、その言葉は半分も、アルフレッドには届いていない。半歩前に立つルーカスへの恐怖が、鼓膜を塞いでいた。


顔から、怒りの赤が引いていく。代わりに上ってきたのは、恐怖の青だった。


──たいへん残念ではございますが。


それは、律子が前世で、何十通も受け取った書き出しだった。


就職活動の春。判で押したように同じ言葉で届いた、不採用通知。


貴意に沿いかねます。今後のご活躍を、心よりお祈り申し上げます。


丁重で、優しげで、一文字も心のこもらない定型文(ていけいぶん)。あの薄い一枚に、何度、自分という人間ごと、静かに突き返されただろう。


──ねえ、律子。今度は、私たちが突き返す側よ。あのとき呑み込んだ屈辱、ようやく、果たしたわ。


王太子の喉から、声にならない音が漏れた。


それきりだった。


衛士の靴音が、彼を、扉の向こうへ運んでいく。


***


扉が閉まった。


応接間に残った、書記官・記録係・衛士たちは、誰一人、息をしていなかったように見えた。


ロザリンドだけが、いつもの呼吸で、紅茶を一口、含んだ。


それから、ふと、窓の方へ視線を投げる。


王太子の馬車は、中庭の隅へと回され、見送りの刻を待つように、ひっそりと停められていた。


ロザリンドは、口の中だけで、ひっそり呟いた。


「ご機嫌よう──は、もう少し、後で」


それは、前世の終電の中で、何度も飲み下した別れの台詞だった。けれど今日は、まだ、その時ではない。──もう少しだけ、後で。


──律子、聞こえてる? あの種類の上司、いよいよ城の外へ送り出すわよ。もう少しだけ、待っててね。


胸の内側で、田中律子の手が、ほんの少しだけ、何かを握り返したような気がした。


***


ロザリンドの右斜め後ろで、ルーカスが、初めて口を開いた。


「……ロザリンド殿。少し、休んだほうがいい」


ロザリンドは、振り返らずに答える。


「お気遣い、痛み入りますわ。ですが、午後三時二十分から、別件の決裁が立て込んでおりまして」


「……三件、俺の側で巻き取った」


「は」


ロザリンドは、ようやく振り返った。


ルーカスは、もう王太子の去った扉を見てはいなかった。さっきまで石のように動かなかった肩から、わずかに力が抜けている。その腕には、彼女の決裁書類の束が、いつのまにか抱え込まれていた。


「焼き菓子を、執務室に運ばせている。先に戻れ」


そう言うと、書類を抱えたまま、廊下のほうへ先に半歩、体を開いた。エスコートと呼ぶには、あまりに無骨な動きだった。


ロザリンドは、それを業務上の体調管理として受け取った。


──適切な労務調整ですわね。さすが閣下。


その無表情の、ほんの少しだけ柔らかい角度を、ルーカスだけが見ていた。


「向こう三年、商品の通らない優遇枠」を笑顔で進呈する数字の着弾に背筋がぞくっとしたら、【びっくり】か【いいね】を! ★は、また一人片付いた祝杯がわりに。

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