王族の膝は、臣民のものですわ
迎賓室の扉が開いた瞬間、ロザリンドは予定表の余白にペンを走らせていた。
午後三時、二十分。
それが、本日の議題に割り当てた全時間だった。
入室してきたアルフレッド王太子は、入口で足を止めた。
応接卓の主席にロザリンド。その斜め後ろに、当然のようにルーカスが立っている。書記官二名、衛士二名、記録係一名。
面会者ではなく、被聴取者の席次だった。
「……ロザリンド」
主の許可を待たずに、王太子は中央の椅子に腰を下ろした。背もたれを軋ませる音が、応接間の静寂に妙に大きく響いた。
「正直に言おう」
切り出しの声は、思いのほか強気だった。
「お前のような冷酷な女が国を出ていって、清々したのだ。心からそう思っていた」
ロザリンドはペンを止めない。
「……だがな。今日は、俺の寛大さで、お前を許しに来てやった」
***
ロザリンドの右斜め後ろで、ルーカスが半歩、机に近づいた。
「お言葉ですが、王太子殿下」
低く、感情の温度が抜け落ちた声だった。
「我が国の経済顧問への侮辱は、外交問題として処理いたしますが、よろしいですか」
アルフレッドの喉が、こくり、と動いた。
ルーカスはそれきり、何も言わなかった。記録係のペン先が、その一往復をきっちり書き留めている。
ロザリンドは予定表の隅に短く書き加えた。
> 我が国の経済顧問を侮辱。外交問題としての処理を確認(閣下)。殿下、無回答
──業務上の同席として、見事な牽制ですわね。
胸の内ではそう処理する。守られている、とは露ほども思わないまま、ロザリンドはペンを次の項目へ移した。
「殿下、本日のご用件は祖国の経済支援要請、と承っております」
ロザリンドはようやく顔を上げ、貴族令嬢として完璧な角度の微笑を作った。
「本題に入ってくださいませ。二十分しかございませんの」
***
アルフレッドが、虚勢の表情を、一度、塗り直した。
「ロザリンド。本当はずっと……お前のことを」
声色が変わった。
「あの婚約破棄も、お前への愛ゆえに、お前を試そうとして……」
ロザリンドの内心で、前世の田中律子が、ひっそりと額に手を当てた。
──あー……出た、ナチュラル責任転嫁。「お前のためを思って」。この種類の上司、ホント変わらないわね。
──前世の課長もそうだった。終電後に業務をぶち込んでおいて、後日しれっと「君を成長させたかった」。
表向きは、まばたきひとつしない。
ロザリンドはペンを置いた。
そして、王太子の目を、まっすぐに見た。
「殿下」
「あ、ああ」
「愛情の真偽は、契約解除の条件には含まれておりません」
応接間の空気が、一拍、止まった。
「……は?」
「条文に書かれていないものを、議題に上げることはできませんわ」
衛士の一人が、視線を伏せたまま、ごく小さく息を吐いたのが見えた。
ロザリンドは三枚目の書類を、王太子の前に滑らせた。
「契約書の三条二項を、お読みになりましたか。本日の議題は、祖国の経済支援要請。返答はすでに書面で。三通、お送りしておりますわ」
「ロザリンド、聞いてくれ。俺は──」
「殿下、本題に」
二度目の同じ台詞が、応接間の温度を、半度、下げた。
***
アルフレッドの表情から、二枚目の仮面も、ずるりと落ちた。
椅子を引き、立ち上がる。
そして、両の膝を、床に落とした。
頭が、深く垂れる。額が絨毯に触れるほどに。
「……国のためだ。頼む」
書記官のペンが、止まった。
「祖国の民が、飢えている。お前の力が必要だ」
ロザリンドは、ようやく、ペンを置いた。
応接間に、長い、長い沈黙が下りた。
「殿下」
ロザリンドの声は、責めても憐れんでもいなかった。
ただ、業務上の確認として、まっすぐだった。
「土下座は撤回なさってくださいませ」
「……なに?」
「王族の膝は、王族のものではございません。臣民のもの、ですわ」
ロザリンドは、紅茶のカップを、一度、ソーサーの上に戻した。
「それを今、私のような一介の経済顧問のために折るのは──臣民への侮辱ですわ」
一拍、置いて。
「それに──民の話を、殿下のお口から伺うのは、初めてですわね」
王太子の肩が、わずかに揺れた。
「愛情の真偽は、契約解除の条件には含まれておりません」の一刀両断に胸がスッとしたら、【びっくり】か【笑える】を! ★は彼女の事務処理能力へのご祝儀に。




