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何年でも、続けるつもりで

夕刻。執務室に戻ったロザリンドは、机の上に未処理のままだった書類束を、最後にひと束だけ片付けようとしていた。


ペンを走らせながら、起案日付に、ふと目が止まる。


案件発生の、三日前。


(……当たり前のこと、なのよね。本当は)


王宮で婚約者だった頃、アルフレッドの机から回ってくる稟議は、いつも「前夜」起案で、決裁期限が「翌朝」だった。徹夜で帳尻を合わせて回しても、御前会議では「私が手配した」と、彼が涼しい顔で報告していた。


ペン先から、その記憶が、ふっと染み出してくる。


独り言が、自然と漏れた。


「あー……無理。あの王太子、本気で何もわかってなかったわね……」


筆は止めずに、口だけが動く。


「こっちが徹夜で回してたのに、自分の手柄(てがら)って顔して、よくもまあ……」


「だいたいねえ、稟議の起案を前日の夜に投げてくる時点で、社会人として──」


戸口で、空気が止まった。


ロザリンドは、ペンの先で気配(けはい)を感じて、ゆっくり顔を上げた。


ルーカスが書類を手に、戸口に立っていた。半歩踏み込んだ姿勢のまま、固まっている。


二人の目が合った。


ロザリンドは、無表情のまま、一拍だけ置いた。


「閣下」


「……」


「今のは、独り言の範疇(はんちゅう)です」


ルーカスの口角が、わずかに動いた。


ほんの一瞬、本当に、わずかに。


「……構わない」


低く、短く、それだけ言うと、彼は書類を机の隅にそっと置き、無言で背を向けた。


退室するルーカスの背中を、廊下の侍従が遠目に見送っていた。


すれ違いざま、侍従のクラウスは、書記官のオズワルドの(そで)を引いた。


「……書記官殿」


「言うな」


「閣下、いま、笑いを(こら)えていらっしゃいませんでしたか」


「気づかなかったことにしておこう。お互いのために」


二人はまた、別々の方向へ散っていった。


***


夜。


ヴェルナント大公(たいこう)の私室。


ルーカスは、机の上に広げた大陸の地図に、細い印を一つずつ落としていた。祖国アルバート王国の街道筋(かいどうすじ)海峡(かいきょう)対岸の港。教会領(きょうかいりょう)の境界。


側近のディーター卿が、書状を一通、机の端に置いた。


「閣下。祖国の使者の動きと、聖女(せいじょ)ミリア・ロウ嬢の体調変化、いずれも、例の網から続報が届いております」


ルーカスは地図から目を上げずに、印を一つ、置き直した。


「読み上げてくれ」


「は」


ディーター卿は書状を開き、低い声で要点をなぞっていく。ルーカスは時折(ときおり)短く頷きながら、最後まで聞いた。


聞き終えて、彼はペンを置いた。


諜報網(ちょうほうもう)は、続けてくれ」


「は」


()()()()()()()()()()()()()()()()()


短い。けれど、それはいつもの事務的な返事とは、少し違っていた。


ディーター卿は書状を閉じ、退室の間際、戸口で振り返った。


「閣下。──聖女候補ミリア・ロウ嬢の件、侍医を呼ぼうとして呼べずにいる、と。月のものが、止まっておられるご様子」


ルーカスのペンの先が、地図の上の一点で、止まった。


海を越えた、祖国の王宮。


「……承知した」


「もう一件。三年前のあの夜会(やかい)の件は、ロザリンド様には」


ルーカスは、ペンの先で、地図の別の一点を、軽く押さえた。


それは、三年前、ロザリンドが初めて社交界(しゃこうかい)に出た夜の、ちょうどその会場だった。


「──まだ、いい」


短く、それだけだった。


ディーター卿は深く一礼して、退室した。


扉が閉まると、ルーカスは椅子の背にもたれて、しばらく天井を見上げた。


机の端には、昼間、ロザリンドが返し忘れたペンが、一本だけ置かれている。


明日の朝、執務室に着いた時に、彼女の机に戻しておくつもりだった。


焼き菓子の包みと、紅茶と、そのペンを。


その横に、ちょうど良い角度で添える短い書き込みを。


──たかが、その程度のこと。


ただ、その「程度のこと」を、彼は、これから何年でも続けるつもりでいた。──3()()()()()()()()()の時間の、続きとして。


──ロザリンド本人だけが、今夜も(・・・)、何も、知らない。


本人の前での恨み節全開に噴き出したら【笑える】、「何年でも続けるつもりで」にきゅんとしたら【にこにこ】を! ★がひとつ増えるたび、明日の更新が早足に。

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