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貨幣改革、起案いたします

「閣下。貨幣の改鋳(かいちゅう)を、提案いたしますわ」


朝一番の執務室。


ロザリンドは書類束を抱えたまま、ルーカスの執務机の真正面に立っていた。


声に、寝不足の掠れが薄く混じる。


ルーカスはペンを置き、視線だけ上げた。


「……理由は」


「三点ございます」


ロザリンドは指を一本ずつ折った。


「第一に、今の銀貨は、十枚に四枚が規格外。地方の鋳造所(ちゅうぞうしょ)が、ばらつき始めております」


「第二に、隣国の銀貨が、もうすぐ信用を失います。波が、大公国(たいこうこく)にも来ますわ」


「第三に──」


ロザリンドは机の上に試算表を一枚、滑らせた。


「今、改鋳すれば、大公国の銀貨が、大陸の基準になります。十年に一度の好機ですわ」


短い、要点だけの説明だった。


ルーカスは試算表を一瞥(いちべつ)して、それから、ロザリンドの顔を見た。


「いつから準備していた」


「三週間前から、夜の手すきに」


***


「夜の手すきに」


ルーカスは、その一語を、舌の上で転がすように繰り返した。


ロザリンドは普通に頷いた。


「ええ。日中は関税案件と縁談打診の郵便仕分け……ではなく、ええと、外交郵便の整理がございますので」


「夜の手すき」


ルーカスはもう一度、低く言った。


執務室の隅で、書類を棚に入れかけていた事務官(じむかん)のオズワルドが、ぴたりと止まった。


ロザリンドは気づかない。


「閣下。改鋳実施には、王立鋳造所おうりつちゅうぞうしょ財務監理院(ざいむかんりいん)、両方の合意調達が必要です。本日中に通達文の起案を始めれば、来月の議会で議決(ぎけつ)に間に合いますわ」


「ロザリンド」


「はい」


「今日の業務時間は、改鋳の起案だけにしろ」


「は」


「他は俺が(さば)く」


「それから」


ルーカスはペンを置いた。視線が、ロザリンドの目元の隈を、ほんの一瞬だけ通った。


「今夜以降、執務室の灯は(いぬ)の刻で落とす。寝ろ」


「……は?」


「改鋳の起案者が、机で倒れたら、計画が止まる。組織運営上の、合理的判断だ」


「食事も抜くな。経済顧問の脳に(とう)を供給するのは、大公国の戦略物資だ」


ロザリンドは三秒、考えた。


(……組織運営として、専任体制の指示は合理的。タスク集中の生産性は、分散の一・三倍)


(……それに、起案者の健康は、プロジェクト継続性の最重要リソース。糖の供給についても、生理学的に妥当(だとう)


「ありがたく承ります」


深く頷いた。


──ルーカスがオズワルドに視線で合図を送ったことには、気づかなかった。


──「戦略物資」の一語が、寝不足の脳を素通りしたことにも、気づかなかった。


***


オズワルドは廊下に出た瞬間、深い溜息をついた。


「ディーター卿」


側近の名を呼ぶ声が、ほぼ悲鳴である。


寡黙な剣の達人ディーター卿が、ちょうど書状を抱えて廊下を歩いてきたところだった。


「閣下からだ。ロザリンド殿の今日の業務、改鋳起案以外、全て俺に回せ、と」


「……はい」


「他の決裁、全部、俺」


「はい」


「夜の手すきに三週間、貨幣改革を独力で詰めていらした」


ディーター卿は書状を一度抱え直し、視線を天井へ流した。


「閣下。お顔色はいかがでしたか」


「ロザリンド様の?」


「閣下のです」


オズワルドは、半秒、無言になった。


「……静かに、ご立腹でした」


「左様ですか」


「『夜の手すき』の(くだり)で」


「左様ですか」


二人は廊下で、同時に、もう一度ため息をついた。


***


執務室。


ロザリンドの机には、いつものはずの郵便仕分け(かご)が、なかった。


代わりに、白紙の起案用紙の束と、新しい羽根ペンが二本、すでに準備されている。


(あら、準備が早いですわね)


ロザリンドは椅子に座り、両袖を(ひじ)までまくった。


前世の癖だった。


「それでは、業務を開始いたします」


誰にともなく、低く宣言する。


田中律子(たなかりつこ)の声が、頭の奥で薄く笑った。


(……三週間、夜の手すきにやってきた仕事を、今日は昼間にやらせてもらえる。──贅沢(ぜいたく)ですわね)


ロザリンドは羽根ペンを取り、最初の一行を書き始めた。


筆跡は、わずかに、震えていた。


「戌の刻で灯は落とす、寝ろ」に肩の力が抜けたら、【にこにこ】を! ★は、ちゃんと休ませてくれる職場へのご祝儀がわりに。

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