求婚状を、解雇規定で査定する
「ロザリンド様宛て、本日また十七通でございます」
朝の執務室。事務官の若い男が、両腕で抱えた書状の束を、机の端に積み上げた。封蝋の色は赤、青、深緑、銀──いずれも貴族家紋、差出人ごとに違う。
ロザリンドは試算表から顔を上げて、その山を一瞥した。
「……十七通」
「先週から、合計で六十二通になります」
「仕分けの人員を増やしましょうか」
真顔だった。
事務官は、何か言いかけて、止めた。それから、視線を泳がせて、扉の外のオズワルドに助けを求めた。
「……ロザリンド様、その、縁談のお返事は、いかが──」
「縁談?」
ロザリンドは怪訝そうに眉を寄せ、書状の山を指でさした。
「これは外交文書では?」
オズワルドは、無言で天井を仰いだ。
***
夜会から、一週間。
あの夜に肩へ掛けられた漆黒のマントは、翌朝には事務官の手で大公の私室へ返却され、ロザリンドの机にはいつもと同じ温度のティーポットだけが置かれていた。
──寒さ管理は労務管理の一環。閣下は合理的な上司ですわね。
ロザリンドは本気でそう処理して、その日の業務に入った。
ところが三日と経たないうちに、社交界では別の処理が始まっていた。
「ねえ、聞いた? あの夜、閣下が」
「ご自分のマントを、わざわざ……」
「あの方が、女性に……?」
囁きは扇の陰から、廊下の角から、茶会の席から、波のように広がっていく。広がるたびに形を変え、最終的にこう着地した。
「氷の大公を溶かした女」
そうなれば、社交界の計算は早い。
国内の令嬢たちは、これ以上は無駄打ちと悟って一斉に手を引いた。氷の大公を溶かしたのが自分でない以上、列に並んでも順番は回ってこない。
代わりに動き出したのは、国外だった。
──あの大公が囲い込む前に攫えるなら、外交的に大金星。間に合わずとも、大公国と縁を結ぶ糸口にはなる。そして何より、ヴェルナント大公国の財政を一年で立て直した「経済顧問」その人を自国に引き抜けるなら、それだけで国家事業に値する。
三方向の打算が、すべてロザリンド一人の机の上に集約された。
***
「ハインリヒ伯爵令嬢、クラリッサ嬢、オフィーリア嬢、本日付でいずれも縁談取り下げの申し入れがございました」
午後の執務室で、側近のディーター卿が、ルーカスの机の前に立って、淡々と報告を上げていた。
ロザリンドは隣の小机で、関税試算の二枚目を広げている。書類の角度を直しながら、何気なく顔を上げた。
「縁談、ですか」
ディーター卿は、ぴたりと口を閉じた。
ルーカスは、書類に目を落としたまま、わずかに肩を動かした。
「……国内の整理が進んでいるという話だ。気にしなくていい」
「左様でございますか」
ロザリンドはあっさり頷き、試算表に視線を戻した。
ディーター卿はルーカスに一礼し、退室前にもう一言付け加えた。
「閣下。他国からの打診状は、引き続き、こちらでお預かりしてよろしいので?」
「そのままで」
短い、いつもの返事だった。
ロザリンドは、書類の角を揃えながらぼんやり思った。
(他国、というと……何か外交案件が立ち上がっているのかしら。後で議事日程を確認しなくては)
──完全に別件として処理した。
***
打診状の束を改めて見せられたのは、その翌日の朝だった。
「これは……?」
差出人の封蝋を、ロザリンドは一通ずつ、指で並べていく。
クラルク王国第三王子。ノルデン伯領。南方諸侯連合。海峡対岸のラインバッハ公爵家。──聞き覚えのある家紋ばかりだった。けれど、宛名はすべて、
「経済顧問 ロザリンド・エイベル殿」
(……あら)
ロザリンドはしばらく無表情で封蝋を見つめ、それから労働対価表を引き寄せて、頭の中で換算を始めた。
(クラルク王国第三王子……継承順位的に実権なし、領地の収支は健全。雇用契約に置き換えれば基本給はそこそこ、ただし解雇規定が一方的ね。違約金条項の文言が緩い。お断り)
(ノルデン伯領は財政再建中。報酬の安定性に難あり。お断り)
(南方諸侯連合は……雇い主が複数の合議制。前世なら労組のない多重派遣ですわ。論外)
ロザリンドは封蝋ごとに小さな付箋を貼っていった。
「お断り」
「お断り」
「お断り」
執務机の前で、書記官のオズワルドが、書類の束で口元を押さえた。
──婚姻の打診を、雇用契約の解雇規定で査定する顧問を、彼は人生で初めて見た。
六十二通の求婚状を労働対価表で査定する顧問に腹を抱えたら【笑える】、その鈍感さに改めて驚いたら【びっくり】を! ★は、付箋を貼る彼女への一票でそっと。




