表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/64

初めての夜会

「業務命令、ですわね」


執務机に置かれた一枚の招待状を、ロザリンドは羽根ペンの先で軽く押さえた。金箔(きんぱく)で縁取られた厚手の紙。来週、大公宮(たいこうきゅう)(もよお)される晩餐会(ばんさんかい)への、経済顧問あての公式招待状。差出人は、ルーカス・ヴェルナント大公(たいこう)


「随行、というよりは、単独招集の形ですわね」


書記官オズワルドが、机の向こうで微妙な顔をしていた。


「……ロザリンド様。一応、申し上げますが」


「はい」


「これは、業務命令、ではあります。が」


「が?」


「経済顧問が公式夜会(やかい)に正式招待されるのは、当大公国(たいこうこく)の歴史上、初でございます」


ロザリンドは三秒ほど沈黙して、招待状の文面を二度目に読み直した。


「初、というのは、業務上、参考になる情報ですか」


「……たいへん、参考になる情報かと存じます」


「では、覚えておきますわ」


オズワルドは天井を見上げた。──この(あるじ)は、何を覚えても意味の半分も把握(はあく)していない。最近、彼は(ひそ)かにそう思い始めている。


***


夜会前日。


侍女頭がロザリンドの私室(ししつ)に運び込んだのは、深い青のドレスだった。


「閣下のご指示でございます。経済顧問のお立場に、ふさわしいものを、と」


ロザリンドは布地(ぬのじ)を指でつまんで、わずかに(まゆ)を寄せた。


「……いささか、上等すぎませんこと?」


「ふさわしいもの、との仰せでしたので」


「業務用の制服扱いで、よろしいのね?」


「……ええ、まあ、お好きに」


侍女頭が最近覚えた言い回しだった。()()()()。この主の鈍感(どんかん)さに正面から答えると、こちらの寿命(じゅみょう)が縮む。


ロザリンドは布地を肩に当てて、姿見(すがたみ)の前に立った。銀髪に深い青がよく映える。──前世の田中律子(たなかりつこ)が、一度も着られなかった色だ。


(経費で上等な服が支給される。悪くない労働環境ですわね)


そう結論を出して、彼女は満足した。


***


晩餐会当日。


馬車から降りた瞬間、ロザリンドは大広間(おおひろま)の入り口の空気を、二秒で読んだ。


(……ああ、これは)


扇で口元を隠した令嬢たちの視線。一斉にこちらを向き、一斉に()らされる。低く抑えられた(ささや)き。


(──お局様(つぼねさま)派閥(はばつ)挨拶(あいさつ)を入れ忘れた、月曜の朝の空気そのものね)


ロザリンドの内側で、田中律子が勝手に翻訳していた。


「あら、あの方が……」

「祖国を、追われたとか」

「氷の大公が、何をお考えで……」


扇の(かげ)の声は、わざと聞こえる距離まで押し出されている。()()()()()()()()()。前世の給湯室(きゅうとうしつ)で何度も聞いた音色だった。


ロザリンドは表情を動かさず、宮内官(くないかん)(うなが)されるまま大広間の中央へ進んだ。


(参加者名簿、各家の領地収支(りょうちしゅうし)当主(とうしゅ)の派閥、(とつ)いだ娘の交友(こうゆう)。──準備はできてる)


業務モードに、入った。


***


会場の奥の扉が、静かに開いた。


ルーカスが入ってきた瞬間、ロザリンドにも、空気の変化が分かった。


ドレスの(すそ)が一斉に動いた。十数人の令嬢が同時に姿勢を整え、扇を持ち直し、最も美しく見える角度に首を傾ける。会場の温度が、ほんの少し上がった気がした。


(……うわぁ)


田中律子が、思わず声を上げた。


(新任のイケメン部長が初出社した日の、営業二課の女子と、同じやつ……)


ルーカスは、その視線のひとつも拾わなかった。


会場の中央を、誰も見ずに()っ直ぐ歩いてきて、ロザリンドの隣で足を止める。


「準備はいいか」


短い、いつもの問い。


ロザリンドは小さく頷いた。


「ええ、業務開始ですわね」


ルーカスはわずかに視線を落として、ロザリンドの肩のあたりを一秒だけ見た。それから、何も言わずに視線を前に戻す。


令嬢たちの扇が、もう一度一斉に動いた。先ほどとは違う意味の動きだった。


ロザリンドは気づかない。


***


晩餐(ばんさん)の席次が告げられる前の、立食(りっしょく)の時間。


人波が、ゆっくりと割れた。


割れた先から、深い紫のドレスを纏った令嬢が、ひとり、こちらへ歩いてきた。


栗色の巻き髪、扇の縁から覗く青い瞳。歩き方ひとつに、家格(かかく)と慣れがにじんでいる。


「ハインリヒ伯爵家(はくしゃくけ)のご令嬢、ベアトリス様」


オズワルドが、ロザリンドの(なな)め後ろから、ごく小さな声で告げた。


「先月の関税改定(かんぜいかいてい)で、最も大きく収益を落とされた家、のご長女(ちょうじょ)でいらっしゃいます」


(──ええ、存じておりますわ)


ロザリンドは、その家の収支報告書(しゅうしほうこくしょ)を三回読み直していた。前月の麦の関税収入、対前年比17%減。鉱物商(こうぶつしょう)の引き上げ二件。回復見込み、三年後。


ベアトリスがロザリンドの正面に立つ。完璧な角度で微笑んで、扇をほんの少しだけ口元から下げた。


「まあ、エイベル様。お初にお目にかかりますわ」


声は、蜜のように甘く、計算されていた。


「お噂は、かねがね。──祖国では、ずいぶんとご苦労をされたとか?」


会場の音が、一段低くなった。


近くの令嬢たちの扇が、聞き耳を立てる角度に動く。


ロザリンドはゆっくりとベアトリスの瞳を見返し、ほんの少しだけ首を傾けた。


(──ああ、これも知っているわ)


前世の歓迎会(かんげいかい)で、お局様が新人にかける最初の一言と、まったく同じ温度。


ロザリンドは口角を、業務用にわずかだけ上げた。


「ご丁寧に、ありがとうございます、ハインリヒ様」


声は、淡々として、整っていた。


「ところで──先月のハインリヒ伯爵領(はくしゃくりょう)、麦の関税収支のお話。少々、ご相談させていただいても、よろしいかしら」


ベアトリスの扇が、空中で止まった。


会場の音が、また一段低くなる。


ルーカスは半歩後ろで、静かにワインの杯を傾けていた。


業務開始、ですわね──と、内側で田中律子がにやりと笑った気がした。


扇の陰の嫌味に「麦の関税収支のお話、ご相談しても?」と返す業務モード起動に、にやりとしたら、【びっくり】か【いいね】を! ★は開戦のゴングを鳴らす拍手がわりに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ