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対外通商の再設計

「で、君はこれをいつから始める?」


反対意見でも、修正指示でも、検討委員会(けんとういいんかい)への差し戻しでもない。()()()()()を訊かれた。


ロザリンドが、初めて、ルーカスを「優秀な決裁者(けっさいしゃ)」として認識した瞬間だった。


──時間を、少し巻き戻す。


***


翌朝の執務室は、いつもより静かだった。


ロザリンドが提出した提案書は、三枚。羊皮紙ではなく、安価な厚紙を選んだ。署名を入れるためだけに高い羊皮紙を使うのは、前世の癖から言って許せない。


──稟議書は中身で通すもの。装丁(そうてい)で通すものじゃない。


事務官長が、その三枚を(うやうや)しく執務机へ運んでいくのを、ロザリンドは自分の席から眺めていた。


ルーカスは、提案書を受け取ると、片手で執務机の上に広げた。


一枚目。


二枚目。


三枚目。


ページをめくる音だけが、執務室に(ひび)く。


事務官長が、ロザリンドのそばで石像(せきぞう)のように立っていた。横顔が、汗ばんで見える。


──そんなに緊張する案件かしら。


ロザリンドは椅子の背に体重を預けて、ルーカスの読書速度を測っていた。


一枚あたり、おおむね四十秒。視線の往復から推測(すいそく)するに、節を飛ばしていない。要点だけ拾う読み方ではなく、条文(じょうぶん)を頭から()めている。


――優秀な決裁者だ。内心、メモを取った。


***


──三枚の下敷(したじ)きには、父が三年かけて(そろ)えてくれた、あの羊皮紙の束があった。


大公国側の、ここ五年の貿易収支と、主要貴族の名簿。出立(しゅったつ)前夜に書斎で受け取って、馬車の中で読み始め、着任までに粗筋(あらすじ)は頭に入れていた。


(お父様の三年分が、ちょうど提案書三枚に(たた)まれたわ)


書斎の窓から見送ったはずの父に、ロザリンドは、心の中で一度だけ、令嬢の礼を返した。


***


ロザリンドの提案は、(せん)じ詰めれば三点だった。


ひとつ。他国──中立国(ちゅうりつこく)ポルトを筆頭(ひっとう)に、南海諸国(なんかいしょこく)東部商業同盟とうぶしょうぎょうどうめい──と、相互(そうご)に関税を引き下げる通商協定を新規に結ぶ。鉄鉱・銀鉱・毛織物の三品目を、祖国一国の独占から、複数国の競争市場(きょうそうしじょう)に開く。これだけで、祖国が事実上享受してきた独占価格は、競争原理によって、自動的に崩れる。条約を破棄(はき)するのではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。法的にはどこからも文句が言えない設計だ。


ふたつ。鉱物・繊維の調達ルートを、祖国経由の陸路一本から、ポルト経由の海路を主軸とする複数ルートへ多元化(たげんか)する。海賊・港湾事情・季節要因のリスクを分散できるよう、最低三ルートを並列で運用する。


みっつ。祖国産の鉄鉱・銀鉱・毛織物への大公国側の輸入関税を、現行水準から段階的(だんかいてき)に引き上げる。祖国経由の宰相府十パーセント手数料は、()()()()()()。──直接交渉(ちょくせつこうしょう)で廃止させるには、まず祖国に「廃止してでも売りに来たい」と言わせる必要がある。そのための圧力(あつりょく)を、関税で作る。


三枚目の最後の行を読み終えたところで、ルーカスは顔を上げた。


「で、君はこれをいつから始める?」


ロザリンドはわずかに首を傾げた。


反対意見でも、修正指示でも、検討委員会への差し戻しでもない。()()()()()()()()()()


条文整備(じょうぶんせいび)に七日、布告(ふこく)と通知に三日、計十日でございます」


「わかった」


ルーカスは、机の端の羽根ペンを取り、一枚目の右下に、署名と決裁印(けっさいいん)を押した。


二枚目、三枚目も、同じ動作で押す。


所要時間、概算(がいさん)で二分。


事務官長の喉が、ごく小さく鳴った。


ロザリンドは、それを横目で見て、内心で短く感想を述べた。


──決裁速度、優秀。書類が机で寝ない職場って、こんなに気持ちいいんですわね。


***


ルーカスが、ペンを置く前に、一言だけ補足を加えた。


「ポルト経由の海路は、夏に海賊(かいぞく)が出る季節がある。護衛艦(ごえいかん)の手配は、私のほうでやる」


ロザリンドは、軽く頷いた。


「ありがとうございます。助かりますわ」


「君は、条文に集中しろ」


「承知いたしました」


そう返してから、ロザリンドは少しだけ、引っかかった。


護衛艦の手配は、本来、外務省(がいむしょう)海軍局(かいぐんきょく)合議事項(ごうぎじこう)。大公自らが「私のほうでやる」と言うレベルの案件ではない。


──海賊案件、つまり危険度(きけんど)が高い。閣下は損失最小化のために自分で動く判断をした。合理的だ。


ロザリンドの処理は、そこで終わった。


事務官長は、ロザリンドの背後で、もう一度、喉を鳴らした。


──閣下が、ご自分から海軍局の領域(りょういき)に手を伸ばされるのは、初めてのことでございますよ、ロザリンド様。


口には出せない。


「で、君はこれをいつから始める?」——能力を恐れず、まるごと信じて任せる速さが効いたら、【にこにこ】か【いいね】を! ★は決裁印を押す手にそっと添えて。

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