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帰り道、祖国はまだ知らない

帰り道、ロザリンドの頭はすでに別の場所で動いていた。


(この通商路。やはり、祖国側を経由する設計が古い。来週には改定案を出せる)


馬車の窓を流れる夕方の街並みを、視線は半分も見ていない。


ただ、膝の上の油紙の包みの中で、おまけの一串だけが手付かずで残っていた。


「閣下。先ほどの番所の通行記録、後で写しを取り寄せても?」


「許可する」


「ありがとうございます」


ルーカスは窓の外を見ていた。


ほんの一瞬、彼の視線が、ロザリンドの膝の上の油紙に落ちた。それから、また外に戻った。


ロザリンドは気づかない。


***


執務室の戸口で、ロザリンドが書類の整理に向かう間、書記官オズワルドと若手の事務官が、廊下の角で、声を落としていた。


「……オズワルド殿」


「なんだ」


「あの、閣下が、視察にご自分から同行されたのは──」


「七年で、初めてだ」


「七年で、初めて」


「黙って数字だけ書いていろ。気のせいだ」


「……でも」


「でも、なんだ」


「閣下、屋台で、笑ったように見えたんですが」


オズワルドは書類の束で、若手の頭を軽く小突いた。


「あの方が、笑うわけがない」


「……でも、見えました」


返事はなかった。オズワルド自身、その光景を廊下の角から目撃していた。長年仕えた主の口元が、屋台の前で、半度だけ上がった。──気のせいだ、と自分にも言い聞かせている最中だった。


***


執務室に戻ると、ロザリンドは机に油紙の包みを置き、関税ルートの試算表を広げた。


夕方の光が窓から差し込み、銀髪の輪郭をなぞる。指はもう、数字の上を滑り始めている。


「……三日後に改定案、五日後に試算、十日後に閣下へ提出」


独り言は、前世のスケジュール感覚そのもの。


最後の一串は紙に包み直して、机の隅に置いた。明日の朝、温かいお茶と一緒にいただこう──ぼんやりとそう考えながら、そのまま試算表に没頭した。


***


翌朝。


執務机の隅。


ロザリンドが昨日置いた油紙の包みの隣に、誰かが用意した小さなティーポットが、湯気を立てて添えられていた。


砂糖壺と、薄手のカップも一緒に。


ポットの取っ手に、結ばれた紙片が一枚。


「冷めぬうちに」


短い、誰の筆跡とも分からない走り書き。


執務室に入った瞬間、ロザリンドは半秒、足を止めた。


「あら」


それから、いつもの調子で椅子に座る。


「気の利く事務官がいるのね。後でお礼を言わなきゃ」


──そう、本気で解釈した。


廊下の向こうで、オズワルドが無言で天井を仰いだ。


(あの閣下が、ご自分で湯を沸かされた。七年お仕えして、初めて見た)


ロザリンドの机の隅では、団子の包みと、温かいティーポットが、朝の光の中で、静かに並んでいた。


来週には、関税の改定案が出る。


祖国はまだ、何が起きているか、知らない。


きゅんとしたら【にこにこ】、「祖国、まだ知らないんだ……」と仕込みを感じたら【びっくり】を! ★がひとつ増えるたび、明日の更新が早足になります。

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