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屋台の団子と気づかない人

「現地を見ないと判断を誤る。付き合う」


執務室の扉を出ようとしたロザリンドの背中に、ルーカスの声が掛かったのは、契約サインから三日後の昼下がりだった。


ロザリンドは振り返って、わずかに首を傾げた。


「閣下。視察は事務官二名で十分ですわ。お時間を割かれるほどの──」


「現地を見ないと、判断を誤る」


二度目は、最初とまったく同じ言葉だった。


ロザリンドは三秒だけ考えて、頷いた。


「ありがたく承ります」


最近、口から出るこの言葉は、なぜか毎回、別の重みを持っていく。


(業務命令の優先順位を尊重する。これも労務管理の一環ね)


内側で、田中律子の声が勝手に翻訳していた。


***


大公国の主要商業区は、午後の日差しの中で、整然と賑わっていた。


石畳の両側に、屋台が等間隔で並んでいる。香辛料(こうしんりょう)、布、焼き菓子、果物。呼び込みの声に、客の値切りの声が混ざる。けれど、どこにも怒鳴り合いはない。ちゃんと回っている市場の音だ、とロザリンドは思った。


通商路の出入りを目視しながら、通りを歩く。ルーカスは半歩後ろを、ほぼ無言でついてくる。


ロザリンドの視線は、関税対象品目の積み下ろし、荷馬車の通行帯、商人組合の番所──職業病だ。けれど、視線の片隅に、関係のないものがひとつ、引っかかった。


白い、串に三つ刺さった、丸い菓子。


ロザリンドは、足を止めた。


***


(……団子)


声には出さない。


田中律子が終電帰りのコンビニのレジ横で、何度も見て、何度も買わずに帰った菓子に、形が似ていた。「明日の朝、買おう」と思いながら、朝には絶対に立ち寄れない時間に出社していたから、結局、十年買えなかった。


ロザリンドは無表情のまま、屋台に近づいた。


「二串、いただけますか」


「はい、毎度ぉ」


恰幅(かっぷく)のいい中年の女主人が、油紙に包んだ二串をよこす。ロザリンドは硬貨を渡し、片方を半歩後ろのルーカスに差し出した。


「これ、私の前世の好物に──」


そこまで言って、咳払い。


「いえ、なんとなく。お口に合えばよろしいのですが」


ルーカスは、一拍だけ間を置いてから、串を受け取った。


そして、一口、食べた。


「……悪くない」


短い、いつもの返答。


ロザリンドは「そうですか」と頷いて、自分の串を口に運ぶ。


ロザリンドは知らない。


この国の大公が、私的な席で甘いものをほぼ口にしないこと。事務官たちが彼の執務机に置く差し入れが、ここ七年間、塩気の利いたものだけだったこと。


知らないので、普通に二口目に進んだ。


***


「あらまあ、お客様」


屋台の主人が、ロザリンドの顔を改めて覗き込んだ。


「お顔色が、ちょっとよろしくないですよ。奥様もね、ちゃんと召し上がらないと。旦那様、奥様にもう一串、買ってあげてくださいな」


油紙に、もう一串。


主人の視線は、ロザリンドの半歩後ろの男に向いていた。


──訂正の一拍は、置かれなかった。


ロザリンドより先に否定するはずの大公が、串を持ったまま、屋台の主人にも、ロザリンドにも、何も言わない。視線も、伏せない。


ロザリンドは反射的に首を振った。


「いえ、奥様じゃありません。私は──」


そこまで言いかけて、視界の隅で、何かが動いた。


半歩後ろのルーカスの肩が、ほんのわずかに、揺れた気がした。


ロザリンドが振り向いた時には、いつもの無表情の横顔があるだけだった。


「……経済顧問の、ロザリンド・エイベルと申します。ご親切に、ありがとう」


「あらやだ、こりゃ失礼しましたねぇ、お役人様で。じゃあ、お役人様もちゃんと食べてくださいね。働きすぎはいけませんよ」


──働きすぎはいけませんよ。


田中律子が二十八年生きて、誰ひとりから、一度も言われなかった台詞だった。


ロザリンドは油紙を受け取って、軽く礼をした。


ルーカスは、串の最後のひとつを、無言で、口に運んだ。


このじれったさにニヤけたら【にこにこ】、「気づいて〜!」と笑ったら【笑える】を! ★は、鈍感ヒロインの背中をそっと押すご祝儀に。

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