第59話:おばあちゃん、世界樹の桜を「特製の肥料」で満開にする〜
1.沈黙の巨木と「春の足音」
「あらあら、まあ。……セシルさん、リタさん、スノウさん。見てくださいな、あちらの山の頂で、大きな桜の木が、まだ冬のお布団を被って、ぐっすりと眠っていらっしゃいますよ。……もう四月だというのに、少しだけ寝坊助さんですねぇ」
四月の初旬。魔王城(隠居所)の物見櫓。私は、目に手をかざして、遠くの天を突くような巨木を見つめて微笑みました。
この世界において、その木は『世界樹・桜』と呼ばれ、その開花は「世界の魔力の循環」を意味する最も重要な事象。
しかし、今年はあまりの寒暖差と、人々の心に溜まった「昨年の澱み」のせいで、世界樹は蕾を硬く閉ざしたまま、枯死の危機に瀕していました。
運営の本来の設定では、ここで「世界樹防衛戦」が発生し、プレイヤーは枯れかけた枝を狙う魔物たちと戦い、犠牲を払って『生命の雫』を捧げなければならないという、悲痛なレイドイベントが予定されていました。
「はい、キヨ様。おしとやかな女性として、春の主役を華やかに舞台へ送り出すのは、生命を慈しむ者の誇りですわ。……ですが、あちらの桜嶺、地脈がカチカチに凍りついており、世界樹様が『喉が渇いて力が出ない』と、地底で細い声を上げて震えておりますの。……おしとやかに、特効薬を処方して差し上げる必要がありますわね」
セシルさんは、おしとやかに微笑みながら、異界の『春の調停者』を召喚し、地脈の淀みを「浄化の魔力」で押し流そうとしていました。
彼女の召喚術は、今や地球規模のインフラ管理システムですが、根深い「土の冷え」までは治療できませんでした。セシルさんの額に浮かぶ一筋の汗が、事態の深刻さを物語っていました。
「……桜。……ピンク色の、お花。……私、見たこと、ない。……私の、氷、みたいに、ずっと、咲いていれば、いいのに。……でも、おばあちゃんは、散るから、美しいって、言ってた。……私、その美しさ、見てみたい。……おばあちゃんと、一緒に、お花見、したい」
スノウさんは、無表情ながらも瞳に切なる憧れを宿し、世界樹に向かって小さな手を伸ばしていました。彼女の純粋な魔力は、周囲の空気をダイヤモンドダストのように輝かせ、寒さを美しさに変えていましたが、桜を咲かせるための「生命の熱」は持っていませんでした。
スノウさんは、自分の冷たい手が、世界樹をさらに凍らせてしまうのではないかと、不安そうに指を組み替えていました。
「ちょっと! 運営のメインサーバーから警告音が鳴り止まないわよ! 『世界樹の生命活動が0.01%以下に低下。このままでは世界から【春】という季節が削除されます』って! プレイヤーたちもパニックよ、武器を捨てて世界樹に祈ってるけど、ちっとも咲く気配がないわ! キヨ、このままだと一生冬が続く暗黒時代に突入しちゃうわよ!」
リタさんが、世界樹に捧げるための「聖なる水」を桶いっぱいに汲み上げ、必死の形相で駆け込んできました。
2.「おばあちゃんの知恵袋(特製肥料編)」
「あらあら、まあ。……お花さんもね、ちょっと自信をなくして、恥ずかりがっているだけですよ。……大丈夫、美味しいご飯を食べて、みんなに『綺麗ですよ』って声をかけて貰えば、すぐに元気になります。……よし、それならね、私がとっておきの『栄養剤』を作ってあげましょう」
私は、魔王城の地下にある秘密の貯蔵庫へ向かいました。そこは、おばあちゃんが一年をかけて集めた「世界の宝物」――つまり、日々の暮らしの中で見つけた、なんてことのない、けれど大切なものが詰まった場所でした。
「はい、これをこうして……。去年の秋に集めた『落ち葉』と、冬の間に熟成させた『お味噌の澱』、そして皆さんの『笑顔の欠片』を混ぜ合わせて。……セシルさん、この肥料を、世界樹さんの『根っこの一番深いところ』まで、お薬として届けてくださる?」
私は、割烹着のポケットから「古びた如雨露」――実は第1話で龍がくれた、生命を活性化させる聖具――を取り出し、特製の液体肥料を満たしました。
「かしこまりました、キヨ様。……おしとやかに、古の『根源再生・生命の躍動』の術式を、おばあちゃんの愛情たっぷりの肥料に封じ込めさせていただきますわ。……お目覚めの時間は、今この瞬間です」
セシルさんが優雅に指先を躍らせると、如雨露から零れた一滴の雫が、黄金の龍のような輝きを纏い、大地を透過して世界樹の心臓部へと突き進んでいきました。
【ユニークスキル:おばあちゃんの知恵袋(春のお節介)が発動】
【特製肥料が『創世の呼び声・万開の雫』へと昇華されました】
【効果:世界樹の『枯死判定』を強制消去し、周囲1000km以内の全植物に『無限の生命力』を付与する】
3.「ハナマル」の蕾と春の爆発
私が、世界樹の根元へ向けて、竹箒で「サッサッ」と大地を掃き清め、最後にハナマルのスタンプを地面にポンと押した、その瞬間。
ドォォォォォォォォォン!!
地響きと共に、枯れ木同然だった巨木の幹が、内側から溢れ出すピンク色の魔力で脈打ち始めました。
一瞬の沈黙の後。
『パチンッ……!!』
一つの蕾が弾けたのを合図に、数億、数兆という桜の花が、まるで春の嵐が逆流したかのように、一気に枝を埋め尽くしていきました。
その圧倒的な色彩は、王都を、魔王領を、そして世界の果てまでをも淡い桃色に染め上げ、凍てついていた人々の心に、最高に強烈で、最高に温かな「生への希望」を叩き込みました。
「……な、何これ!? 咲いた……咲いたどころじゃないわ! 世界中が、お花見会場になっちゃった! 運営のログが『エラー:美しすぎて処理できません』って言ってるわよ!」
リタさんは、空を覆い尽くさんばかりの桜吹雪の中で、口を開けて呆然と立ち尽くしました。
おばあちゃんの「肥料」は、世界の寿命を数千年単位で延長し、絶望を「最高に贅沢な春の午後」へと塗り替えてしまったのです。
「ふぅ。皆さん、綺麗に咲いて良かったですねぇ。……スノウさん、これがあなたがずっと見たかった、本物の『桜』ですよ」
私は、震えるスノウさんの肩を優しく抱き寄せました。スノウさんは、初めて見るピンク色の世界に、瞳を潤ませながら、小さく「……おばあちゃん。……綺麗。……私の氷より、ずっと、ずっと、温かくて、眩しい。……私、この景色、一生、忘れない」と呟きました。




