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第1話:百歳、仮想世界(せかい)でポチを拾う

1.鏡の中の「ひ孫」

 

「……あら、まあ」

 

気がつくと、私は立っていた。

 

それも、ただ立っているだけではない。ここ数十年、私を悩ませてきた膝のきしみも、腰の重みも、すべて霧のように消え去っていた。

 

見渡せば、地平線まで続く鮮やかな草原。


空は吸い込まれるような碧色で、風に乗って流れてくるのは、かつての春の北海道を思わせる、鼻の奥がツンとするような青々とした草の匂いだった。

 

「ふふ、これはすごい。本当に、身体が十代に戻ったみたいだわ」

 

私は自分の手を見つめた。

 

……そして、固まった。

 

シワがない。それどころか、驚くほど白くて、小さくて、モチモチとした、まるでつきたてのお餅のような手だった。

 

慌てて足元を見ると、そこには小さな靴と、細くて短い足がある。

 

目の前に、半透明の板(ステータス画面)が浮かび上がった。そこには、私の今の姿が映し出されている。

 

「あらやだ……可愛い」

 

そこにいたのは、十歳かそこらの、絹のような銀髪を持った、まるでお人形さんのような少女だった。

 

ひ孫のサキが小さかった頃にそっくりだ。どうやらこの機械は、中身に合わせて姿を若返らせてくれたらしい。

 

【プレイヤー名を入力してください】

 

「名前、ですか……。中身は婆様ですからねぇ」

 

私は指先で、お習字をするように空中に文字を書いた。

 

『キヨ』

 

【職業を選択してください:戦士、魔術師、盗賊、僧侶……】

 

「うーん、戦いなんて物騒なことはしたくありませんしねぇ。……おや、一番下に『隠し項目』かしら?」

 

小さな文字が目に入った。

 

それは、現実世界で「善行」という名のデータを百年間蓄積し続けた者にのみ解放される、運営すら想定していなかった隠しクラスだった。

 

【特殊職業:おばあちゃん】

 

「あら、そのまんまですねぇ。見た目は子供でも、中身はおばあちゃん。親しみがあっていいわ、これにしましょう」

 

ピッ、と指先で触れる。

 

その瞬間、私の背後に後光のような黄金の光が差し込んだが、本人は「あら眩しいわねぇ」と目を細めるばかりで、事の重大さには気づいていなかった。

 

【警告:チュートリアルがスキップされました】

【全ステータスポイントを『徳』に自動変換しました】

【ユニークスキル『おばあちゃんの知恵袋』を獲得しました】

 

2.三つの首の「ワンちゃん」

 

「さて、まずはあそこの切り株でお茶にしましょうかね」

 

私は、腰に下げていた小さな巾着を叩いた。

 

初期装備として与えられたはずの『木の棒』と『布の服』は、私の手元ではなぜか『使い込まれた竹箒ほうき』と『小花の割烹着』に変化していた。

 

小さな少女が、自分より大きな箒を持って、割烹着を引きずりながらとぼとぼと歩く姿は、シュールの一言だったが、本人は「あら、これなら馴染みがあるわ」とすっかり納得して草原を歩き出した。

 

とぼとぼと、しかし軽やかな足取りで歩いていると――。

 

「グルゥ……ッ!!」

 

突如として、大地を揺るがすような地響きとともに、茂みをかき分けて巨大な黒い獣が現れた。


身の丈三メートルはあるだろうか。首が三つ、赤く光る眼、そして口からは絶え間なくどす黒い炎が漏れている。

 

最高位の災厄、地獄の番犬『ケルベロス』。

 

本来であれば、サービス開始から半年は誰も到達できないはずの、このエリアのレイドボスである。

 

「あら、まあ。……大きなワンちゃん。お腹を空かせているの?」

 

私は、逃げるどころか、箒を杖がわりにして、にっこりと微笑んで立ち止まった。

 

ケルベロスは困惑したように三つの首を交互に傾げた。 目の前の小さな少女から、恐怖心も闘争心も微塵も感じられないからだ。


それどころか、彼女から溢れ出す圧倒的な「徳」のオーラに、殺気そのものが霧散していく。

 

「そんなに吠えたら喉が枯れてしまいますよ。はい、お座り。……お座り!」

 

キッ、と背筋を伸ばし、かつて飼っていた牛を叱る時のような鋭い声を出す。

 

可愛い鈴を転がすような声のはずなのに、そこには百年を生きた威厳があった。

 

すると、どうしたことか。三つの首が同時に「ビクッ」と震え、巨大な尻もちをついた。

 

「よし、いい子ね。お行儀よくしてたら、飴ちゃんをあげましょうね。……あら、飴じゃなくて乾パンだったかしら」

 

私は、割烹着のポケットから無自覚に取り出した。

 

それは、正一が「もしお腹が空いたら食べて」と入れてくれた初期アイテムの『聖女の乾パン』。


本来、死にゆく戦士を全回復させる伝説の聖遺物である。

 

「はい、あーん」

 

小さな少女が、つま先立ちになって、巨大なケルベロスの口へ乾パンを差し出す。

 

ハフッ、と三つの口が同時に乾パンを受け止めた。

 

その瞬間、ケルベロスの全身から禍々しい闇のオーラが消え失せ、光り輝く『聖獣ゴールデンレトリバー』へと浄化されていく。

 

【聖女の乾パンを摂取:強制浄化ピュリファイが発動しました】

【ワールドアナウンス:1000年ぶりに『真の聖女』が降臨しました】

【ユニークスキル:おばあちゃんの知恵袋により、テイムに成功しました】

 

「これこれ、くすぐったいわよ。……あなた、名前はポチね」

 

黄金の毛並みになった巨犬が、少女をペロペロと舐め回す。少女は箒を放り出して、大きな犬に抱きついた。

 

「ああ、いいお天気。……あ、あそこに生えてる草、ヨモギかしら? お団子にしたら美味しそうねぇ」

 

3.世界の裏側は大騒ぎ

 

その頃、世界の裏側(運営サイトの掲示板)では、未曾有の事態に阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れていた。

 

【エタファン攻略スレ 001】

124:名無しのアタッカー

おい、今ワールドアナウンス出なかったか!?

「第1エリアの主・ケルベロス、浄化完了」って!

 

125:名無しの大魔道士

見た。は? 今日サービス開始初日だぞ?

レベル150のレイドボスを誰が「浄化」したんだよ。チートか?

 

126:名無しのアタッカー

待て、ログが更新されたぞ。

討伐報酬の経験値が入ってない。「テイム(手懐け)」扱いになってる!

 

127:名無しの聖職者

正気か!? ケルベロスのテイムなんて、運営の設定ミスを疑うレベルだぞ。

テイマーのプレイヤー名を見ろ。

 

128:名無しのアタッカー

『キヨ』……。聞いたことねぇ名前だ。

 

129:名無しの隠密

【速報】第1エリアの平原で、ケルベロス(なぜかゴールデンレトリバーになってる)と戯れる、割烹着を着た銀髪ロリを発見。

 

130:名無しのアタッカー

は?????

 

131:運営からの緊急通知(公式)

【調査報告】現在、一部のプレイヤーにより異常なゲーム進行が確認されましたが、不具合ではありません。

 

――特定の隠しステータス「徳」がカンストしているプレイヤーの正当なプレイであることを確認しました。

 

「さあ、ポチ。あそこの街まで連れて行ってくれるかしら? おばあちゃん、ちょっとだけ寄り道をしてみたいの」

 

私は、黄金に輝く大きなポチの背中に、よっこいしょと跨った。小さな身体では、まるで白い雲の上に乗っているようだ。

 

ポチは嬉しそうに尻尾を振り、風を切って走り出す。

 

「ああ、正一に感謝しなくちゃいけませんね。こんなに素敵なピクニックができるなんて」

 

見た目は少女、中身は百歳のおばあちゃんが見つける、新しい世界の歩き方。

 

背後に流れていく草原の景色を眺めながら、私はただ、お団子の材料になるヨモギをどこで摘もうかと、そればかりを考えていた。

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