十二、宜
起きたら昼だった。
まあ仕事のない日はこんなことはよくある。
よくあるのだが、そんなことより驚くべきことは。
部屋が綺麗になっているーーー
「あれか?今巷で噂の妖精か?」
「妖精でも妖怪でもありません」
「お」
「おはようございます。よく寝ていましたね、刃」
焔羅だ。
昨日あんなことがあったのに妙にさっぱした顔で右手には掃除用具など持っている。
「おー。お前は眠れたか?」
「ええ、まあ、それなりに」
眠れなかったのか。
「実に掃除しがいのあるお部屋ですね。素晴らしいです」
「そんなに褒めるなよ。埃ぐらいしかでねーぞ」
「出さなくて結構です。ありがたいくらい気が紛れました」
それはいいのか悪いのか。
「…そうか。まあ適当にくつろいでくれ。で、守風は?」
「買い出しにいってくださいました」
「ふーん。流石早いなあいつ」
「守風が早いのではありません、あなたが遅いんです」
「いや、待て、時間の感覚ってのは人それぞれでな。何が正しいかは…」
「刃」
適当な言葉を繋ごうとした刃を焔羅はきっぱりと遮る。
「ん?」
「あなたは守風のこと、どこまで知っているのですか?」
「どこまでって。そうだな。礎ってところは知ってる。あとはあいつの家族が返せって殴り込んできたこともあったな」
「!」
焔羅は目を見開いた。
「ああ、言い方が悪かったが、そこはなんとか和解した。…はず」
「私の知る‘礎’はそんなに優しい存在ではないのですが」
「お前も知ってるのか?」
「ええ、おそらくあなたよりは。なぜあなたと一緒にここにいるのか、とても気になりますが今はいいです。これからお聞きする機会もあるでしょうし」
「俺と守風の感動的な話にまた泣いちゃうかもな」
からかように言うとすっと冷たい目から急に笑顔になりーー
「ならば私もあなたを泣かせて差し上げましょう」
そんな恐ろしいことを言った。
「……」
「……」
「只今戻りました!」
凍った空気を打ち破るように守風が笑顔で帰ってくる。
「あれ?何かありました?」
部屋の空気に違和感を感じたのだろう。だが守風が戻ってきたことでまた元の暖かさに戻っていく。
「いや、なんでもない。おかえり。えらく笑顔だな」
「はい。なんだか嬉しくて。出迎えてくれる人が増えたことが」
更に笑顔を深める守風。やっぱりこの顔にはつられる。
横を見ると焔羅も同じような顔をしていた。
「ありがとうございます。守風。あなたには沢山のものを貰ってばかりですね」
「え?私なにかしました?」
「ふふ」
「ほら荷物よこせ」
「あ、は、はい!ありがとうございます。刃さん」
午後は書類の処理と整理。
焔羅がきてくれたことで各段に仕事効率は上がった。
正直かなり助かる。
あっという間に…でもないが夜までかかって溜まっていた書類仕事をほぼ片付けることはできた。
今夜は焔羅が来た祝いに外に食べに行こうということになっていた。
「あー終わった終わった」
「終わってはいませんが今日のところはこんなものでしょう」
「二人ともお疲れさまでした」
「ああ。準備ができてるなら行くか」
「ええ」
「行きましょう!」
最初に二人で祝杯を上げた店を予約していた。
今日も肉中心だ。
柔らかくホワイトソースで煮た鳥の骨付き肉。そこにはチーズとペーストしたじゃがいもを混ぜたもっちりとした優しい味の野菜が添えられている。
次に外側はしっかり焼いてあるが、中にまだ赤身の残る柔らかい牛肉。これにはコクのある濃いめのたれをつけて食べる。
最後に人参や長芋などの根菜を豚のバラ肉で包んだもの。
他にも野菜をしっかり食べてくださいと焔羅から注意を受け適当に温野菜や野菜スープなどが並ぶ。
「はあ…、やっぱりここのは美味しいですね」
とろけそうな顔で守風が言う。幸せの絶頂という表情だ。
「これは…!なんて美味しいんでしょう」
焔羅も驚いている。左館のところでそれなりに美味いものは食べていそうだがそれでも美味いと感じるほどの店ということだろう。
「最高だな」
三人はぺろりとデザートまでたいらげ、満足げに店を後にした。
事務所に戻ったところで守風が言う。
「あの、すみません。焔羅さんちょっといいですか?」
「はい。なんでしょう」
「じゃあ茶でも入れてくる。座ってろ」
「はい、でも刃さんにも聞いていてほしいのでここにいてください」
「わかった」
三人分の茶を入れ、戻ると二人とも向かい合って席についていた。
本来は依頼人が来た時に使う四人掛けの机だ。
「待たせたな」
「いえ、ありがとうございます。刃さん」
そして自分は守風の隣に座る。
「で、何の話だ?」
「はい、焔羅さん。できればお話してほしいのですが。あなたの家族のことを」
「守風…あの時」
「すみません、聞こえてしまいました」
あの時、というその時にいなかった刃にはなんの話かさっぱりだった。
「あなたが左館に仕えていた理由は、妹さんですか?」
「……」
なるほどな。
一度下を向き考えた後、焔羅は告げる。
「…はい。その通りです。守風は知っていたようですが、私の家城井家はそれなりに名のある貴族でした」
「まじか」
「ええ。しかし数年前没落し両親は自殺。元々体の弱かった妹、海羅の病状も悪化していきました」
「そんな…」
「そこを救って下さったのが、左館でした」
「なんでだ?」
「土地、残った遺産、色々と理由はあったのでしょう。今となっては真実はわかりませんが、私も家も利用されたことだけははっきりとわかります」
「……」
もはや憶測することしかできないが、焔羅の家が没落したことにも佐舘が関わっていたのでは…とも勘ぐってしまう。佐舘のやってきたことを考えれば。
「左館は妹の治療費を払う代わりに財産と呼べるもの全てを持ち去り、私を秘書兼護衛として使うようになりました」
「妹さんを人質に…」
「はい」
最悪だ。
「じゃあ妹は」
「援助はもう受けられません。けれど誰かを頼ろうとすることが間違いだったのです。自分でなんとかする方法をもっと考えるべきでした」
「時と場合によるだろ。…なんの病気なんだ?」
首を振る焔羅。
「わからないのです。原因も、治療法も。だから様々な治療法を試し、経過をみているのです」
「そりゃ、高額なわけだ」
「ええ」
沈黙が広がる。どうすればいい。皆それを考え、そして結論は出ない。
「できるだけ私達も力になります」
「なんとかできるかはわからんが、なんでもとりあえず相談しろ」
こんな気休めの言葉しかかけられない自分が情けない。
それでも焔羅が一人で抱え込むよりはずっと良い気がした。
「二人とも…ありがとうございます」
今は少しでも焔羅の心を安心させたい。
金でなんとかなるのなら稼げばいい。それこそ死に物狂いで。
だが原因不明の病となると…。
(金の問題じゃないよな)
それぞれが抱える不安や悩みは尽きない。それでも今できることをやるしかない。
たとえそれが報われないことだとしても。
刃も守風も焔羅も、これからのことを考えながらそれぞれ眠りについた。




