第九話 優しい口付け
お茶に、毒が入っていた。しかも、ステファンはそれに対してあまりにも自然に、対応していた。
その事実が、楓の胸を強く締め付ける。
毒への耐性があるということは、それだけ危険な目に遭ってきたということだ。
そんな人生を、この人は歩いてきたのだ。
王に選ばれたという、たったそれだけの理由で、命を狙われ続けてきたのだ。
そう思うと、胸の奥がひどく痛んだ。
苦しくて仕方なくて、次から次へと涙が溢れて止まらなかった。
「……カエデ」
ステファンに心配そうな声で名前を呼ばれ、楓は慌てて目元を拭った。
「ご、ごめ……っ」
そんな楓を見て、ステファンは静かに席を立つと、ゆっくりと楓の方へ歩み寄った。
その足音は不思議なほど落ち着いていて、逆に楓の胸を締め付ける。
次の時、ふわりと楓の身体が温かなものに包まれた。
「……え」
気付けば、ステファンに優しく抱きしめられていた。
広い胸に引き寄せられ、楓は思わず息を呑む。
金の髪がさらりと頬に触れた。
「ごめんね。私のせいで、怖い思いをさせてしまった」
低く穏やかな声が、すぐ耳元で響く。
その声音は、楓を安心させるように、どこまでも優しく響いた。
けれど、その言葉を聞いた瞬間、楓は苦し気に眉を寄せた。
「違う……!」
思わず、ステファンの服をぎゅっと掴む。
「違うの、ステファンは何も悪くないわ……!」
震える声で必死に言葉を紡ぐ。
「ただ、あなたがこれまで、どれだけ大変な思いをしてきたのか考えたら……っ、勝手に、涙が出てきてしまって……」
そう言いながらも胸が痛み、また涙が溢れてきてしまう。
毒を盛られることに慣れてしまうほどの人生を、この人は一体どんな気持ちで受け入れてきたのだろう。
楓は、孤独だった幼い日のステファンを思い返した。
ーー僕はいらない子だから。
あの日、泣きながらそう言っていた小さな少年。
誰にも必要とされていないと思い込み、たった一人で傷付いていたあの子が、今もこんな世界で生き続けている。
そう思うと、どうしようもなく苦しかった。
「私こそ、泣いたりしてごめんなさい……」
涙混じりにそう呟いた。
すると、不意に抱きしめていた腕の力が僅かに緩んだ。
楓が顔を上げると、すぐ近くでステファンが目を見開いていた。
まるで、信じられないものを見るような顔だった。
「……カエデは……、私のために、泣いてくれたの?」
ぽつりと零れた声は、どこか掠れていた。
楓は小さく頷く。
「だって……辛かったでしょう……?」
その瞬間、ステファンの表情が柔らかく崩れた。
ほんの少し瞳を潤ませ、どうしようもなく愛おしいものを見るような眼差しで、楓をじっと見つめ、柔らかく微笑む。
その姿に、楓の胸がどくりと音を立てた。
ステファンはそっと手を伸ばすと、涙で濡れた楓の目元へ優しく触れた。
長い指先が、壊れ物を扱うみたいに頬をなぞる。
「……っ」
何故か息が詰まった。
そのまま、ステファンの顔がゆっくり近付く。
綺麗な碧の瞳が、真っ直ぐ楓を見つめていた。
そして、涙で濡れた目尻へ、そっと柔らかな感触が触れた。
「……え」
一瞬、思考が停止した。
それはステファンの唇だった。
流れるような動作で、ステファンは楓の目尻へ口づけた。
驚きで涙がぴたりと止まる。
楓は呆然としたまま、至近距離のステファンを見上げた。
ステファンはそんな楓を見つめ、ふっと微笑む。
「ありがとう、カエデ」
低く甘い声音だった。
「すごく嬉しい」
その言葉と共に、再び強く抱き寄せられる。
「……っ」
腕の中に全身を包み込むように抱き寄せられ、楓の頬がステファンの胸元へ触れる。
(温かくて安心する……)
怖かったはずなのに、こうして抱きしめられていると、不思議と身体の震えが少しずつ収まっていく。
ステファンの体温が、冷えた心を溶かしていくみたいだった。
けれど同時に、胸の奥が妙に苦しかった。
ぎゅっと締め付けられるような熱が、心の中に広がっていく。
それは、今まで感じたことのない感覚だった。
「……カエデ?」
不意に名前を呼ばれ、楓はびくりと肩を震わせる。
見上げると、ステファンが少し心配そうにこちらを見ていた。
「まだ怖い?」
「……ううん、大丈夫」
楓は小さく首を振った。
本当は、まだ先程起こったいろいろなことに、正直混乱している。
けれど一つだけ、はっきりしていることがあった。
今、自分は、この人に触れられるだけで、胸がギュッと苦しくなるほど、どうしようもなく意識してしまっている。




