第十話 失いたくない大切な人
「……この後、どうするの?」
落ち着きを取り戻した楓がそう尋ねると、ステファンは一瞬、言うべきか悩む素振りをみせた。
けれど、意を決した様に楓を見ると、静かな声で言った。
「先程の者に、尋問をするよ。誰の指示で動いたのかを調べる必要があるからね」
返ってきた重い答えに、楓は小さく息を呑んだ。
するとステファンは、楓を怖がらせないようにするみたいに、そっと声音を和らげた。
「心配しなくていいよ。カエデに危害が及ぶようなことには絶対しないからね」
その言葉に、楓の胸がちくりと痛んだ。
(こんな時にも、ステファンは守ろうとしてくれる。……なのに私は、この人に何も返せてない)
そんな思いが胸に残った。
*
その日の夜。
楓は部屋で一人、本を開いたままぼんやりしていた。
文字が全く頭に入ってこない。
脳裏に浮かぶのは、ステファンの静かな横顔ばかりだった。
コンコン、と控えめなノックの音が響く。
「カエデ様、失礼いたします」
そう言って入ってきたのはマリアだった。
けれど、その表情は普段と違って、どこか硬かった。
「どうしたの?」
楓が尋ねると、マリアは少しだけ言いにくそうに視線を伏せた。
「……本日の件ですが」
「……うん」
「あの使用人の男、以前より第二王子派閥と繋がりがあったようです」
マリアの口から出たその名前に、思わず息を呑む。
第二王子は、既に亡くなっている人物のはずだ。
「派閥自体は崩壊しておりますが、未だに陛下を快く思わない者もおりますので……」
マリアの静かな声に、楓は唇を噛み締める。
「……これから、ステファンはどうするの?」
恐る恐る尋ねると、マリアは一瞬だけ迷うように目を伏せ、そして静かに答えた。
「……あの者を処刑なさいます」
その瞬間、楓の身体が小さく強張った。
「っ……」
「王族暗殺未遂は、極刑に値します」
当然のことを告げるような声音だった。
けれど、楓にとって『処刑』という言葉はあまりにも縁遠かった。
その事実が、楓の心に重く響いた。
マリアはそんな楓を見つめ、静かに言った。
「……陛下は、とてもお優しい方です」
楓が顔を上げる。
「本来なら、もっと苛烈な対応を取る貴族や王族も珍しくありません」
マリアは続ける。
「ですが陛下は、必要以上の粛清を望まれません。処罰も、必ず理由と証拠を確認した上で決断なさいます。私は、そんな主を、誇らしく思います」
優しい声で、そう締め括った。
マリアが下がった後も、楓はしばらく動けなかった。
楓の生きてきた世界では、処刑など、テレビの向こう側で起きている話で、正直楓には全く縁のないものだった。
ここは、自分のいた世界とは違うのだと改めて実感する。
綺麗なドレスも、豪華なお城も、その裏には常に、命のやり取りが存在している。
ステファンは、そんな場所で生きてきたのだ。
昼間の、毒の入った紅茶のことを思い返し、楓は痛む胸元をぎゅっと押さえた。
もしも、ステファンが死んでしまったら。
考えたくもない最悪の事態が脳裏を過り、苦しくて、怖くて、息が詰まりそうになる。
「……嫌」
ぽつりと声が漏れる。
「そんなの、絶対に嫌……」
彼を失いたくない。
その感情が、胸の奥から強く溢れ出る。
初めて会った時から、ステファンは特別だった。
孤独だった楓に居場所をくれた人。
泣きそうになりながら「会いたかった」と抱きしめてくれた人。
いつも守ってくれる、大切な人。
そして今、彼を失うことを想像しただけで、こんなにも怖くなってしまう。
その時、楓はようやく気が付いた。
「……私」
口から、小さく震える声が漏れる。
「ステファンのこと……」
好きなんだ。
これまでずっと胸の奥に抱えていた想いが、はっきりと輪郭を持った。
名前の分からなかったこの気持ちの正体を、楓はようやく理解した。
優しくされるたびに嬉しくなったのも、触れられるたび苦しくなったのも、ずっと彼の側にいたいと願ってしまうのも。
全部……全部、恋だった。
「……っ」
その感情を理解した途端、顔が一気に熱くなった。
異世界から来た自分なんかが、よりによってこの国の王を好きになってしまった。
けれど、それでも。
(……守りたい)
その気持ちだけは、驚くほどはっきりしていた。
(もうこれ以上傷付いてほしくないし、苦しんでほしくもない。ずっと笑っていてほしい。……出来ることなら、私の隣で)
(私は……彼を失いたくない)
そう強く願ってしまうほどに、楓はステファンのことを好きになっていた。




