第四十四話 あなたとともに
その日、アストレア王国は、国全体が祝福の空気に包まれていた。
雲ひとつない青空の下、王宮に隣接する聖堂は色とりどりの花々で美しく飾られ、多くの来賓たちが静かにその時を待っていた。
高い天井から差し込む柔らかな陽の光が、白い大理石の床を優しく照らしている。
祝福の鐘の音が高らかに響き、その音に合わせるように、重厚な扉がゆっくりと開かれた。
楓は、光を受けるたび淡い碧を宿す純白のウエディングドレスに身を包み、小さく息を吸うと、一歩ずつ祭壇へ向かって歩きだした。
視線の先には、黒を基調とした王族の礼装に身を包んだステファンが立っている。
堂々としたその姿は誰よりも王らしく、凛とした佇まいが自然と人の目を引いた。
けれど、楓へ向けられる青い瞳だけは、優しい熱を宿していた。
ゆっくりとした足取りで祭壇へたどり着く。
ステファンはそっと楓の手を取り、小さく微笑んだ。
「……カエデ、とても綺麗だ」
その一言で、楓の頬がほんのり赤く染まる。
「ありがとう。ステファンも、すごく素敵よ」
小さく笑い返すと、ステファンが幸せそうに微笑んだ。
司祭が静かに式を進めていく。
互いの左手へ指輪が通された瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
司祭の穏やかな声が聖堂へ響いた。
「新郎、新婦。誓いの口づけを」
ステファンの顔が近づいてきて、楓はそっと目を閉じた。
優しく、温かな唇が触れる。
それは、互いの想いを確かめ合うような、穏やかで優しい口づけだった。
大きな拍手が聖堂いっぱいに響く。
祝福の笑顔に包まれながら、楓は隣に立つステファンを見上げる。
彼もまた、幸せそうに笑っていた。
聖堂を出ると、そこにはたくさんの民の姿があった。
王宮前の広場だけでは収まりきらず、大通りまで埋め尽くすほどの人々。
「陛下、おめでとうございます!」
「女神様ー!」
「ステファン陛下、女神様とお幸せに!」
温かな歓声が次々と降り注ぎ、楓は思わず目を丸くした。
「……女神様?」
するとステファンが、そっと耳元で囁く。
「建国祭の視察以降、君は民たちの間で『ステファン王の女神様』って呼ばれているそうだよ」
そう言って微笑むと、どこか嬉しそうに続けた。
「カエデが私だけの女神だって、国内外でもっと広く知られていけばいいな」
その言葉に、思わず頬が熱くなった。
照れたようにはにかむ楓を見て、ステファンは優しく笑った。
「みんな、この日を心待ちにしていたんだよ。この国の王妃として、君を迎えられる今日を」
その言葉に胸が熱くなる。
ステファンと並び、ゆっくりと手を振る。
すると人々はさらに大きな歓声を上げた。
老夫婦が涙ぐみながら拍手を送り、小さな子どもたちが無邪気に笑顔で手を振っている。
幸せそうなその表情を見ているだけで、自然と笑みがこぼれた。
(この人たちが暮らす国を、これからは私も、ステファンと一緒に守っていくんだ)
そっと隣を見る。
民へ穏やかな笑顔を向けるステファンの横顔は、やはり優しくて、そしてとても誇らしかった。
その決意は、もう迷いなく楓の胸の中に根付いていた。
*
式を終えた後は、ステファンとともに祝宴の席へ移り、来賓への挨拶や各国使節との歓談を重ねた。
気づけば、長い一日はあっという間に過ぎていた。
すべてが終わり、寝室へ戻った頃には、窓の外には静かな夜空が広がっていた。
楓がほっと息をつく。
すると、後ろから声がかかった。
「カエデ、お疲れさま。長い一日だったから、きっと疲れたでしょ」
振り返ると、そこにステファンが立っていた。
「ううん、大丈夫よ。……やっとここまでこれたんだもの」
楓が微笑むと、ステファンはほんの少し目を見開き、それからふわりと幸せそうに笑った。
「うん、そうだね。やっとだ。……これからよろしくね、奥さん」
「……っ!うん、よろしくね、旦那さま」
そうして、顔を見合わせて少し照れながら微笑みあった。
そして寝台へ向かうと、二人並んで横になった。
ステファンは身体を楓の方へ向けて、どこまでも優しい瞳で楓を見つめている。
その視線を受け止め、楓も彼を見つめ返す。
やがて彼がそっと額を寄せる。
すぐ目の前にある熱を帯びた青い瞳に、楓の頬がほんのり熱くなった。
「ねえ、カエデ。これから先、君と一緒にやりたいことが、たくさんあるんだ」
「たくさん?」
「うん」
彼が楽しそうに言葉を続ける。
「朝は一緒に朝食を食べて、公務が終わったら、こうしてカエデを抱きしめて、そのまま同じベッドに入って、毎日一緒に眠るんだ」
「ふふ。毎日?」
「うん、毎日。それから、一緒に街にも行きたいし、地方視察にも連れて行きたい」
青い瞳が優しく細められる。
「私が守っている国を、もっとカエデに見て欲しいんだ」
その言葉が嬉しくて、楓はふふっと笑った。
「うん。私も、一緒に頑張るね。ステファンの隣で、ちゃんと支えられる王妃になれるように」
するとステファンは、愛おしそうに楓の髪を撫でた。
「もう十分、支えられてるよ」
「え?」
「カエデがいてくれるだけで、私は幸せだから」
真っ直ぐにそう言われてしまい、楓の胸がいっぱいになる。
堪らない気持ちになって、楓は彼の身体に抱きついた。
「私も幸せ」
すると、強い力でぎゅっと抱きしめ返される。
そして楓の唇に、優しい口づけが降りてきた。
「これから先、ずっと一緒にいてね」
「うん、約束」
その時、楓はふと思いついたように顔を上げた。
「あ、そうだ。ね、ステファン、右手出して。ゆびきりをしよう」
「……ゆびきり?」
不思議そうに差し出された小指へ、自分の小指を絡める。
「向こうの世界では、約束の時にこうするの。子どもの手遊びみたいなものなんだけど」
そう言って、繋いだ指を軽く揺らす。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます。指切った」
歌い終えて指を離すと、ステファンは目を丸くした。
「え、針千本……飲ませるの?」
楓は慌てて首を振る。
「……あ、ううん、本気で針を飲ませる訳じゃないからね!?歌って、そういうもの多いじゃない?」
「ああ、なるほど、そっか……」
彼がほっとしたように息を吐き、楓もつられるように笑う。
そして彼は、自分の小指を眺めながら、嬉しそうに笑った。
「ふふ。約束かあ。いいね、すごく嬉しいな」
その表情と仕草があまりに愛おしくて、そして同時に何故だか胸がキュッと締め付けられて、泣き出したくなるような、そんな気持ちが溢れてきた。
これから先の未来も、ステファンのことを絶対に孤独になんかさせないし、楓ももう、絶対に一人ぼっちになんてならない。
ずっと一緒に生きていくんだ。
そう思うだけで、心が幸せで満たされていく。
楓は、ステファンの腕の中へもう一度、そっと身を寄せる。
すると彼が、楓の身体を大切そうに抱き寄せた。
窓の外では、二人の新しい門出を祝福するように、静かな月明かりが王宮を照らす。
二人はどちらからともなく目を閉じると、そっと唇を重ね合わせた。
*
ずっとずっとはるか昔、初めて二人が出逢ったあの日から、これから先、遙か先の未来までも、ずっと変わらず、あなたとともに。
何度生まれ変わっても、必ず君を見つけ出して、あの日と同じ、約束を交わそう。




