第四話 君がくれた理想
「……ここは少し人目が多いね。場所を移そうか」
ステファンがそう呟いた直後、楓の身体がふわりと浮いた。
「え、ちょっ……!?」
突然の浮遊感に楓は思わず声を上げる。
気づけば肩に担ぎ上げられるような形で、ステファンに抱え上げられていた。
「ス、ステファン!?」
「あ……」
下の方から困ったような声が返ってくる。
その直後、抱えられていた身体がするりと滑るように動いた。
「……っ!?」
流れる様な動きで横向きに抱き直される。
いわゆる、お姫様抱っこの状態だ。
「ごめんね、カエデ」
ステファンが申し訳なさそうに眉を下げる。
「俵担ぎみたいに運ぶだなんて、どう考えても失礼だった」
真上から覗き込むその顔が、とても近い。
美しくサラサラと流れる金の髪、長い睫毛、透き通る様な碧色の瞳。
幼かった頃の面影を残しながらも、今のステファンは、息を呑むほど美しく凛々しい青年に成長している。
そんな相手に至近距離で見つめられ、楓の顔に一気に熱が集まった。
「い、いや、そういう問題じゃ……」
しどろもどろになりながら答えると、ステファンはぱちりと目を瞬かせた。
それから、ふっと優しく笑う。
「ふふ、安心して。落としたりしないから。これでも結構、鍛えてるんだ」
その笑顔があまりにも自然で、楓の心臓はますます騒がしくなった。
(安心なんて、別の意味で絶対に無理……!)
高校生だった楓が知っている天使の様な少年と、目の前の青年は何もかも違う。
整った容姿もそうだが、それ以上に纏う空気が違った。
王族として育ったからなのか、動きの一つ一つが洗練されている。
それなのに、時折見せる笑顔は、あの頃のステファンのままだ。
そのギャップに、楓の思考は全く追いつかなかった。
ステファンは、戸惑う楓を抱き抱えたまま歩きだした。
赤い絨毯が真っ直ぐ先まで敷かれ、壁には繊細な装飾が施された、とても豪奢な空間だった。
大きな窓から差し込む陽光が床を照らし、まるで映画の世界みたいだった。
途中、何人もの騎士や使用人とすれ違った。
その度に彼らは驚いたように目を見開き、慌てて頭を下げていく。
「え……?」
「その方は……?」
戸惑う視線が次々と向けられる。
どこの誰とも知れない少女を王子が抱えて歩いているのだから、当然そうなるだろう。
けれどステファンは気にした様子もなく、涼しい顔で歩き続け、やがて大きな扉の前で足を止めた。
「着いたよ」
扉が開かれ中に入ると、そこは広々とした部屋だった。
落ち着いた色合いで統一された室内は品があり、窓際には大きなソファが置かれている。
ステファンは楓をそこまで運ぶと、壊れ物を扱うように丁寧な手つきでそっと下ろした。
「わ……」
身体が沈み込むような柔らかさに、楓は目を丸くする。
「すごい……ふかふかだ……」
思わず呟くと、ステファンが小さく笑った。
「ふふ、気に入った?」
「う、うん……。こんなソファ初めて座ったわ……」
楓が戸惑いながら周囲を見回していると、ステファンは隣に腰掛け、穏やかに微笑む。
「ここは私の部屋だから、誰にも邪魔されずに話せるよ」
低く優しい声に、楓の胸がまた小さく跳ねた。
改めて見ると、ステファンは本当に大人になっていた。
あの頃は細く華奢だった肩も、今ではしっかりとした厚みがある。
背も随分高くなっていて、並ぶと圧迫感すら覚えるほどだ。
けれど、楓を見る瞳だけは変わらない。
あの夏の日々と同じ、どこか安心したような、柔らかな色をしていた。
「……本当に、ステファンなのね」
ぽつりと呟くと、ステファンは少しだけ目を細めた。
「 うん……また、会えたね。ずっと君に、会いたかった」
その声音には、長年抱えていた願いが叶ったような響きが滲んでいた。
それから二人は、空白だった年月を埋めるように互いの話をした。
ステファンは、今二十歳なのだという。
「第一王子と第二王子は……もういない」
その言葉に、楓は息を呑んだ。
「互いに暗殺を仕掛け合って、共倒れになったんだ」
静かな口調だった。
けれど、その内容はあまりにも重い。
「そんな……」
楓が呟くと、ステファンはわずかに目を伏せた。
「第一王子の母君は、今もご存命だ。……だけど、息子を失われてからは表舞台から退かれて、今は静養という形で、王都近郊の離宮に籠もっておられるよ」
そこで一度言葉を切る。
「第二王子の母君は、息子の死後、自ら命を絶った」
楓は思わず息を詰めた。
王子達だけではない。
その争いは、多くのものを壊してしまったのだ。
「父上も、あの一件で完全に心を病んでしまった」
ステファンは淡々と語る。
まるで他人事のように静かな声音だったが、その奥にある疲弊は隠しきれていなかった。
「……私が成人した直後、父上は王位を譲ると宣言した」
「え……?」
「最初は周囲も反対したよ。まだ父上は生きているし、本来なら退位するには早すぎるからね」
けれど、とステファンは小さく笑った。
「けれど、父上はもう耐えられなかったんだと思う。王子達を失った王宮に居続けることにも、崩れかけた国を立て直すことにも」
その声音に、責める色は無かった。
ただ、冷え切った諦めだけが滲んでいた。
「父上は王宮を去った。今は地方の離宮で、隠居生活を送っているらしい」
逃げるように、という言葉を、ステファンは口にしなかった。
だが、楓にはそう聞こえた。
「じゃあ……今、この国を治めているのは……」
「私だよ」
さらりと言われて、楓は言葉を失う。
幼い頃、いらない子だと言われていた少年。
誰にも必要とされていないと思っていたあの子が、今は王座に座っている。
その姿は、楓の記憶の中の少年の頃には無かった、強く気高い王の貫禄がある。
けれどその瞳の奥には、誰にも踏み込ませない孤独が滲んでいる様にも見えて、楓は切なくなった。
「面白いよね」
ステファンが淡く笑う。
「昔は私を見向きもしなかった人達が、今では必死に頭を下げてくる」
その笑みは穏やかなのに、どこか痛々しい。
「でも実際は、王になった途端、崩壊寸前の国を丸ごと押し付けられただけだ」
ぽつりと落ちた言葉に、楓の胸が締め付けられる。
「地方貴族達は未だに派閥争いを続けている。王子達の争いで疲弊した民の傷も、到底癒えたとは言えない」
静かな声だった。
「命を狙われることも、以前よりずっと増えたしね」
さらりと言われたその言葉に、楓の胸がぎゅっと痛んだ。
「……ステファン」
気付けば、楓はそっと手を伸ばしていた。
さらりとした彼の金の髪に、触れる。
ステファンが少し驚いたように目を見開く。
楓はそのまま、幼い子どもをあやすみたいに、優しく頭を撫で、静かに告げる。
「私は、ステファンならきっと良い王様になれるんじゃないかなって思うよ」
碧の瞳が揺れる。
「あなたは、ちゃんと民の気持ちを考えられる人だもの」
幼い日のことを思い出す。
国中の人が学べる世界を羨み、もっと多くの人が救われればいいと語っていた少年の姿と、今の彼が重なる。
ステファンは眩しいものを見るように目を細めた。
それから、頭を撫でていた楓の手をそっと取る。
大切な宝物に触れるような手つきだった。
そのまま、きゅっと優しく握り締める。
「うん、ありがとう」
低く穏やかな声が落ちる。
「……私も、民を大切にする王を目指したいと思っているんだ」
真っ直ぐに楓を見つめる。
「あの日、君が話してくれた理想の王を、私はずっと忘れられなかった」
楓は目を丸くした。
そんな風に思ってくれていたなんて、想像もしていなかった。
ステファンが静かに微笑む。
「だから君の言葉は、今もずっと私の支えなんだ」
胸がじんわり熱くなり、楓は柔らかく笑った。
「うん。ステファンなら絶対に出来るよ」
そして、きっぱりとした声で言う。
「私が保証する」
一瞬、ステファンが目を大きく見開いた。
次の瞬間、とても嬉しそうに笑った。
大人びた顔立ちになっていても、その笑顔には、幼いあの日に鏡越しで見せてくれた面影が残っていた。
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陽ノ下 咲




