第五話 元の世界に戻るまで
穏やかな空気が部屋を満たしていた。
長い年月を隔てて再会したはずなのに、不思議と会話は途切れない。
むしろ、離れていた時間を埋めるように、次から次へと言葉が溢れてくる。
そんな中、ふと、ステファンが小さく首を傾げた。
「そういえば、カエデは今、何歳なの?」
「え?」
「見た目がほとんど変わってないから、少し気になって」
そう言われて楓はハッとして、確かにそれは気になるよね、と思った。
「向こうの世界では、あれから一年くらいしか経ってないの」
「一年……?」
ステファンが目を瞬かせる。
「うん。だからこの前、十八歳になったばっかりよ」
その言葉に、ステファンは一瞬、呆けたような顔をした。
「……十八?」
「そう」
「じゃあ、カエデは私より二つ年下なのか……」
ぽつりと呟く。
あの頃は、楓の方が年上だった。
ステファンにとって、楓は自分の知らない世界を教えてくれる、少し大人のお姉さんのような存在だったはずだ。
だから楓は、思わず苦笑する。
「なんか不思議だよね。お姉ちゃんみたいな存在だった人間が、突然年下になっちゃった」
すると、ステファンは何故か少しだけ眉を下げた。
「……いや」
「え?」
「私はカエデを姉上のようだと思ったことなんて、一度もないけど」
「……え?」
楓は固まった。
あまりにも真顔で返されたせいで、一瞬、理解出来なかった。
少しだけ間があった後、楓が驚いた声を出す。
「えっ、そうだったの!?」
「うん」
そんな楓に、ステファンは平然と頷いた。
その様子を見る限り、冗談ではないらしい。
(そう思ってたのって、私だけだったの!?)
凄く近い存在だと感じていたのは自分だけだったことを初めて知って、楓はじわじわと恥ずかしくなってくる。
「そ、そっか……」
小さく肩を落とすと、ステファンが少し困ったように笑った。
「どうして落ち込むの」
「いや、なんか……普通にお姉ちゃんポジションだと思ってたから……」
「そんな訳ないでしょ。カエデが姉上とか、絶対嫌だよ」
ステファンが少しムスッとした表情で言い、その後、呆れた様にふっと笑った。
そんな表情すら綺麗すぎて、楓はますます居たたまれない気持ちになった。
けれど、たとえ認識が違っていたとしても、あの頃ステファンの存在に救われていたことは変わらない。
孤独だった夏の日々を、楓は確かに彼と一緒に過ごしていたのだ。
そんな事を考えていると、ステファンがどこか含みのある声音で言った。
「……カエデ、十八歳なんだね」
「うん」
「じゃあ、成人までは、あと二年あるな」
「そうなの?」
「この国では、成人は二十歳からだから。……ああ、でも結婚はできる年齢だよ」
さらりと言われ、楓はぱちぱちと目を瞬かせた。
「へえ……」
対するステファンは、なぜか少し嬉しそうに微笑んでいる。
その表情が妙に可愛らしく見えて、楓は思わず吹き出しそうになった。
(なんだろう。大人になったのに、時々すごく昔のままなんだよなぁ)
「私の世界では、十八歳から成人なんだよ」
「そうなんだ?」
「うん。だけどお酒を飲めるのは、二十歳を過ぎてからだけどね」
「へえ……。成人する年齢と、お酒を飲める年齢が違うなんて、なんだか不思議だね」
ステファンが興味深そうに目を細める。
こうして話していると、昔と何も変わらない気がした。
けれどふと、楓は現実を思い出す。
ここは異世界で、自分は突然この場所へ飛ばされてきたのだ。
今後どうするのか、ちゃんと考えなければならない。
すると、まるで楓の思考を読んだかのように、ステファンが静かに口を開いた。
「……カエデ」
「ん?」
「この世界で行く宛てなんて無いよね?」
優しい声だった。
「もし良ければ、このまま王宮に居てくれないかな」
楓は少し目を見開く。
「え、いいの?」
「うん、もちろん」
ステファンは即答して柔らかく微笑んだ後、少しだけ眉を下げる。
「今、この国は、まだ治安が良いとは言いにくい状態なんだ」
その声音には、王族として国を背負う者の重さが滲んでいた。
「兄達の権力争いの影響は、貴族社会だけじゃなく、国全体にも広がってしまっていてね」
静かに続ける。
「今、なんとか立て直そうとしているところなんだけど……正直、完全に安定したと言えるようになるまでは、もう少し時間がかかると思う」
そう言って、ステファンは少しだけ困ったように笑った。
「だから、ここに居るのが一番安全なんじゃないかなって思うんだけど」
どうだろう、と問いかけるようにこちらを見る碧の瞳。
その気遣いが嬉しくて、楓の胸がじんわりと温かくなる。
突然知らない世界へ飛ばされて、不安じゃないと言えば嘘になる。
そんな中で、「ここに居ていい」と言ってくれる存在がいることが、どれほど心強いか。
楓は小さく微笑んだ。
「ありがとう」
そして、素直に頷く。
「じゃあ、元の世界に戻るまでの間、ここでお世話にならせてもらうね」
その瞬間、ステファンの表情が固まった。
「……え?」
「ん?」
「カエデ、元の世界に戻る気だったの?」
思いがけない反応に、楓はきょとんとした。
「え、うん」
むしろ、戻らないという発想が無かった。
「どうやって来たのかも分からないし、戻れる方法もまだ分からないけど……ずっとこのままって訳にもいかないでしょ?」
そう言うと、ステファンはふっと目を伏せた。
長い睫毛が影を落とす。
何かを飲み込むような沈黙が落ちた後、彼は小さく笑った。
「……そっか」
その声は、どこか少しだけ掠れて聞こえた。
「カエデの本来いるべき場所は、あっちの世界だもんね……」
「……うん」
短く頷きながら、楓は胸の奥がちくりと痛むのを感じた。
ステファンはそれ以上、何も言わなかった。
けれど、伏せられた碧い瞳が、ほんの少し寂しそうに見えてしまって、楓は妙に落ち着かなくなる。
「あ、でも、まだ方法は全然分からないし……」
思わずそんな言葉を付け足すと、ステファンは顔を上げた。
「焦らなくて、大丈夫だよ」
穏やかな声だった。
「王宮に居る限り、困ることはない。必要なものがあれば用意させるし、調べたいことがあるなら協力もするから」
「……ありがとう」
自然と笑みが零れる。
相変わらず、ステファンはとても優しい人だと思った。
けれど同時に、楓は少し申し訳なくもなった。
ステファンは、この国を背負う王なのだ。
そんな彼に、いつまでも甘える訳にはいかない。
それに、自分は本来この世界の人間ではないのだ。
(……うん。ここでお世話になりながら、ちゃんと元の世界に戻る方法を探そう)
楓は心の中でそう決めた。
ただ居候のように過ごすのは落ち着かない。
だから翌日、楓は思い切ってステファンに提案してみた。
「せめて、女中として働かせてもらえないかな?」
「それは駄目」
即答でそう返された。
「えっ」
「絶対に駄目」
驚くほど真剣な顔で言われ、楓は目を丸くする。
「いや、でも、何もしないの悪いし……」
「悪くないよ」
「でも……」
「カエデにそんなことさせたくない」
ぴしゃりと言い切られてしまった。
その態度があまりにも頑なで、楓は逆に困ってしまう。
「じゃ、じゃあ、せめて何か手伝いを……」
「必要ないよ」
「……」
珍しく食い気味に楓の提案を否定するステファンに、楓はもう何も言えなくなってしまった。
結局、楓の願いは最後まで聞き入れてもらえず、楓はステファン王の客人として、王宮に滞在することになったのだった。




