第三十七話 負けていられない
それからというもの、王宮でロザリア王女の姿を見かけるたび、楓の胸はざわつくようになった。
ステファンの隣で堂々と微笑み、政務の話を自然に理解し、迷いなく言葉を返す姿は、まるで最初から王妃として完成されているようだった。
ロザリアの一つひとつの所作が、楓には眩しすぎた。
「……」
以前なら、ステファンと話す時間は心が安らぐものだった。
少し目が合うだけで嬉しくて、名前を呼ばれるだけで胸が温かくなった。
それなのに今は、どこか気持ちが違う。
ステファンの前に立つと、どうしても、不安や嫉妬の気持ちを知られたくなくて、無理に笑おうとしてしまい、結果的に、どこかぎこちなくなってしまった。
「カエデ?」
「あ、えっと……ごめんなさい、どうしたの?」
「……いや」
以前なら自然に噛み合っていた会話もどこかぎこちなくて、ステファンも、時折考え込むような表情を見せるようになっていた。
それでも楓は、本当の気持ちを打ち明けられなかった。
こんな子どもじみた自分勝手な感情を知られたくないという気持ちばかりが頭にあった。
そんな中、これまで時折ステファンと二人で取っていた昼食に、ロザリア王女とアルベルト王子も同席するようになった。
外交の一環としては、ごく自然なことだ。
けれど楓にとっては、穏やかではいられない時間になった。
「ガルディアでは、地方ごとの裁量をもう少し広く取っていますの」
ロザリアが優雅に紅茶へ口をつけながら言う。
「ですが、アストレアの中央集権的な管理体制も合理的ですわね。特に災害対応においては、とても有効だと思いますわ」
「ありがとうございます。本当はもう少し地方の裁量を増やすのが理想なのですが……」
ステファンは少し眉を下げ、続ける。
「以前の王位後継争いの影響もあり、まだ地方任せに出来ない部分も多いのです。王が各地の状況を把握し、全体を見ておく必要がありますから」
「なるほど」
「ですが、いずれは領主達が適切に領地を治め、王は国全体の方針を示す、そんな形にしていきたいと思っています」
その声音には、自らが目指す国への揺るぎない信念が滲んでいた。
「素敵ですわね」
ロザリアは頷きながら柔らかく微笑んだ。
「王が全てを抱え込むのではなく、国全体が健全に機能する仕組みを作る。わたくしは、その考え方はとても好きですわ」
一度言葉を区切り、少しだけ表情を和らげる。
「ガルディアは王が武力によって、各領地をまとめています。もちろん、それで秩序が保たれている面もありますけれど……」
ロザリアは静かに紅茶へ視線を落とした。
「いつかは、その力だけに頼らずとも国が回る仕組みを作れたら素敵だと私も思いますわ。力は必要ですが、それだけでは人の心までは治められませんものね」
ステファンもその言葉に頷いた。
二人の会話は淀みなく穏やかに続いていく。
楓がまだ勉強中の内容を、ロザリアは自然に語ってみせる。
しかも、それを鼻にかける様子もなく、ごく自然に話している。
その姿には圧倒的な自信があった。
胸の奥がじわりと重くなる。
ロザリアがステファンへ微笑みかけるたび、その光景から目を逸らしたくなった。
自分はこんなにも心の狭い人間だったのだろうか。
そう思うと、ざわりとした苦い気持ちが胸に広がった。
*
そんなある日の昼食時だった。
祭の視察についての話題になった時、ロザリアがふと微笑む。
「そういえば、建国祭の案内のことなのですが」
「はい」
「ぜひ、ステファン様自らご案内くださらないかしら?」
その言葉に、空気が静まる。
本来、その役目は宮廷典礼官が担う予定になっていた。
ステファンは僅かに困ったような表情で言った。
「……本来であれば、典礼官に任せる予定なのですが」
「もちろん、それは承知しておりますわ」
ロザリアは柔らかく笑う。
「ですが、もし叶うなら、私はステファン様のお話を伺いながら、アストレアを見て周りたいのです」
優雅な仕草でティーカップを置く。
「それに、せっかくのお祭りですもの。できればあなたと二人きりで回れたらと思いまして」
そのあまりにも率直な願いに、ステファンは一瞬、言葉を詰まらせた。
返答を探すように、わずかに眉を寄せる。
そんな二人のやりとりを見て、楓の胸の中で何かが弾けた。
これまで、王族として必要な交流なら受け入れられると、そう思ってきた。
けれど、ロザリアが口にした「二人きりで回れたら」という願いだけは、どうしても受け入れたくなかった。
ステファンの隣だけは絶対に譲りたくないと強く思った。
「あ、あの……!」
気付けば声を上げていた。
三人の視線が一斉に向く。
楓は鼓動が速くなるのを感じながら、それでも言葉を続けた。
「私も……、私もそこに、ご一緒させていただけないでしょうか……!?」
一瞬、場が静まり返る。
最初に反応したのはステファンだった。
碧の瞳が大きく見開かれる。
その瞳に隠しきれない喜色が滲んだ。
「カエデ……」
思わず零れたような声だった。
楓は少しだけ頬を熱くする。
すると今度は、ロザリアが、意外そうな顔をして目を瞬かせた。
けれどその後、まるで面白いものを見つけたかのように、口元がゆっくりと持ち上がった。
「あなたって……」
何かを言いかけた、その時だった。
「あー、じゃあ俺もそっちに同行させてくれませんか?」
軽い声が割って入った。
その声に、ロザリアが言葉を止める。
視線がアルベルトへ向いた。
アルベルトはとても楽しげに瞳を細め、明るい声で言った。
「またとない機会だ。俺もステファン様の案内で祭を見て回りたいです。…… 典礼官には申し訳ないが」
ロザリアは一瞬だけ兄を見つめた。
何かを考えるような沈黙。
だがすぐに、花が咲くような笑みを浮かべる。
「あら」
アルベルトと楓を交互に見て、にっこりと微笑んだ。
「それ、とっても良いじゃない」
楽しげに声を弾ませる。
「お兄様もカエデ様もご一緒なら、きっと賑やかになりますもの」
その笑顔は華やかだった。
けれど楓には、その瞳の奥で何かがきらりと光ったような気がした。
その言葉を聞いたステファンは、わずかに眉を寄せた。
視線が一瞬だけアルベルトへ向く。
その眼差しは、ほんのわずかに冷えていた。
ステファンは小さく息を吐いた。
「……そうですね」
そう言ったステファンの声音は僅かに硬かったが、今の楓はそのことに気付く余裕がなかった。
楓の胸の奥では、緊張と不安が入り混じっていた。
けれどそれ以上に、自分から一歩踏み出せたことが嬉しかった。
ステファンの隣に立ちたいなら、自分から頑張らないといけない。
まだ何も出来なくても、ロザリアのように完璧ではなくても、それでも、自分なりに頑張りたい。
(大丈夫よ。なんとかなるわ)
そう胸の中でそっと呟く。
小さな決意が、胸の奥で静かに灯っていた。




