第三十四話 ガルディア王国からの使者
アストレア王国の王宮は、その日、いつにも増して華やかな空気に包まれていた。
アストレア王国最大の祭に合わせ、ガルディア王国から視察団が訪れる。
先日の一件を経て、アストレアとガルディアの間には不可侵条約が結ばれた。
その後の両国の関係を、より強固なものにするための、極めて重要な外交の場だ。
大広間の壁には、アストレア王国の紋章旗と、今回の来訪を歓迎するために掲げられたガルディア王国の旗が並んでいる。
楓はそんな大広間で、深い藍色のドレスに身を包み、ステファンの隣に立っていた。
以前ならば、このような華やかな場に立つだけで緊張していただろう。
今だって、緊張していないわけではない。
けれど、それ以上に前を向こうという気持ちが強かった。
王妃教育を重ね、貴族としての礼儀も学んできた。
その努力は、確かに楓の力になっていた。
「カエデ、緊張してる?」
隣から低く穏やかな声が降ってくる。
楓が視線を向けると、ステファンが僅かに目を細めた。
「うん、少しだけね。でも大丈夫よ。なんとかなるわ」
「あはは、そうだね。うん、なんとかなるよ」
その言葉は、二人にとって大切な言葉。
王としてではなく恋人として優しい声音で、ステファンが笑いかけてくれ、楓も小さく微笑み返した。
その時、大広間の扉がゆっくりと開かれた。
「ガルディア王国王太子、アルベルト・ガルディア殿下、ならびに第一王女、ロザリア・ガルディア殿下のご到着です」
厳かな声が響き、視線が一斉に入口へ向く。
先に姿を見せたのは、燃えるような赤髪の青年だった。
肩ほどまである髪を後ろで一つに束ね、鋭い緑色の瞳が周囲を見渡す。その立ち姿には隠しきれない覇気があったが、同時に、どこか自由な空気も纏っていた。
その隣には、同じく美しい赤い髪を綺麗に結い上げた少女。
華やかな薔薇色のドレスを纏い、整った顔立ちに、美しい微笑を浮かべている。
二人はステファンの前まで進み出ると、優雅に礼を取った。
その姿を見た瞬間、楓は小さく目を瞬かせた。
ガルディア王国と聞いて想像していたのは、もっと威圧的で荒々しい王族だった。
けれど、目の前の二人の印象は違った。
洗練された立ち居振る舞いと気品を備えたその姿は、楓が抱いていたガルディア王族のイメージとは大きく異なっていた。
それはどうやら楓だけではないらしく、同じように意外そうな表情を浮かべている者も少なくなかった。
「ガルディア王国王太子、アルベルト・ガルディアと申します。この度はお招きいただき、誠に感謝いたします」
「ガルディア王国第一王女、ロザリア・ガルディアですわ。こうしてアストレア王陛下にお目にかかれましたこと、光栄に存じます」
ガルディア王国とアストレア王国では言語が異なる。
それでも二人の言葉は驚くほど流暢で、発音にもほとんど違和感はなかった。
外交の場に立つ王族として、日頃から研鑽を積んできたことが窺える。
それに対し、ステファンも穏やかに応じる。
「アストレア王国国王、ステファン・アストレアです。ご多忙の中、アストレアまでお越しいただき、感謝いたします」
そして、隣に立つ楓へ視線を向けた。
「こちらは、私の婚約者であるカエデ・ルヴァイン公爵令嬢です」
楓は静かに一礼する。
「カエデ・ルヴァインと申します。この度はお越しいただき、誠にありがとうございます。ご滞在の間、どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」
楓が挨拶を終えた直後、アルベルトが目を見開いた。
「あ。……あんた、」
楓も驚いて、思わず声を上げる。
「え?あ、この前の……」
そこにいたのは、先日、男の子が落とした果物を拾った時に、川で転びそうになったところを助けてくれた、あの男性だった。
髪色は赤ではなく茶色だったが、その顔と印象的な緑の瞳は、間違いようもない。
まさかあの人がガルディア王国の王太子だったとは、と楓が驚いていると、アルベルトは意外な再会を喜ぶように笑みを浮かべた。
「あんた、ステファン陛下の婚約者だったんですか」
「え?」
「公爵令嬢ってだけでも驚きなのに、陛下の婚約者とか……。マジで驚きましたよ」
彼の声音から、ただ純粋な驚きと、再会を喜んでくれていることが伝わってきて、楓も自然と笑みを浮かべた。
「私もとても驚きました。まさか王太子様だったなんて」
その時、二人のやりとりを見つめるステファンの瞳が、ほんの僅かに鋭さを増したが、楓はそれに気が付かなかった。
一方で、ロザリアは興味深そうに楓とアルベルトを見ていたが、すぐに視線をステファンへ戻した。
「ステファン様のお噂はかねがね伺っておりました。お会い出来るのを楽しみにしていましたのよ」
鈴を転がすような甘やかな声で、言葉を続ける。
「滞在中、ぜひ仲を深めたいですわ」
その言葉に、周囲の空気が微かに揺れる。
それはあまりにも露骨な好意だった。
けれどステファンは、あくまで王として客人をもてなす態度を崩さずに、穏やかに対応した。
「私も、アルベルト殿下とロザリア王女殿下のお噂は聞き及んでおります。滞在中に、少しでも多く本国を知っていただき、また貴国について知る機会となれば幸いです」
「まあ」
ロザリアが嬉しそうに微笑む。
「それは光栄ですわ。ステファン様、肩書きでお呼びになる必要はございません。どうぞ名前でお呼びくださいませ」
「……ありがとうございます。では、アルベルト様、ロザリア様と呼ばせていただきます」
促されるまま、ステファンはそう返した。
するとロザリアは花がほころぶような可憐な笑みを浮かべた。
そんな彼女の笑顔を見ながら、楓は胸の奥に違和感を感じた。
ロザリア王女は、とても綺麗な人だと思う。華やかで、自信に満ちていて、王族としての気品もある。
そして何より、ステファンへ向ける視線に一切の迷いがない。
その姿を見ていると、どうしても落ち着かない気持ちになってしまった。
そんな楓の様子に気づいたのか、ロザリアがふと視線を向ける。
そして、まるで楓の感情を見透かしたかのように、くすりと小さく笑った。
「……っ」
楓は堪らなくなって、僅かに視線を逸らした。
一方その頃、ステファンもまた、静かにアルベルトと話す楓を見ていた。
自然に笑う楓と、気安い口調で返すアルベルト。
その空気は、自分の知らない楓の一面を見せつけられているようで、胸の奥にドロドロとした嫉妬の感情が滲む。
王として、外交の場で感情を乱すなど愚かしいとそう理解しているのに、楓が他の男へ笑いかける姿を見ると、どうしても心が落ち着かない。
けれど、ステファンはそれを顔に出すつもりはなかった。
ただ静かに微笑み、目の前の歓談へ意識を戻したのだった。




