第三十三話 川辺の出会い②
「……す、すみません」
思わず謝ると、男性は一瞬きょとんとした後、ふっと笑った。
「いや。無事で良かったよ」
そして呆れた様に続ける。
「けど、あんた見かけによらず無茶すんだな」
「え?」
「いや、普通、あんなとこまで拾いに行かねえだろ」
そう言われて、楓は急に恥ずかしくなった。
確かに、勢いで川へ入ってしまったけれど、今思えばかなり大胆な行動だったかもしれない。
しかも盛大に転びかけてしまった。
「うぅ……」
自分の行動を顧みて、顔が一気に熱くなる。
そんな楓を見て、男性はどこか楽しそうに目を細めた。
「ほら、行こうぜ」
そう言って、彼は楓の身体を支えながら岸へ導いてくれた。
川から上がると、マリアがすぐに駆け寄ってきた。
「カエデ様!」
その顔は青ざめている。
「お怪我はありませんか!?」
「だ、大丈夫よ」
「大丈夫ではありません!」
珍しく声を荒げるマリアに、楓は思わず肩を縮めた。
「もし流れに足を取られていたらどうなっていたか……!」
「ごめんなさい……」
しゅんとなる楓に、男の子がおずおずと近付いてくる。
「お姉ちゃん……ありがとう」
差し出された果物を受け取りながら、少年は嬉しそうに笑った。
その表情を見て、楓の顔にも自然と笑みが浮かんだ。
「もう転ばないように気を付けてね」
「うん!」
元気よく頷いた少年は、ぺこりと頭を下げると、そのまま駆けていった。
その背を見送りながら、楓は改めて助けてくれた男性へと向き直る。
「助けてくださって、本当にありがとうございました」
隣でマリアも深く頭を下げた。
「ありがとうございました。本当に助かりましたわ」
「別に、大したことしてねえよ」
男性は軽く肩を竦める。
「でも、本当に危なかったので」
楓がそう言うと、男性は少しだけ目を細めた。
「まあ、そう思うなら、今後は気を付けろよ」
どこか面白がるような声音だった。
楓は少し照れながら、「はい」と小さく頷く。
その後、マリアに半ば引きずられるようにして、その場を後にした。
「本当にもう……!」
歩きながらも、マリアはまだ青い顔をしている。
「今後は絶対に、あのような無茶はなさらないでくださいませ!」
「ご、ごめんなさい……」
「ごめんなさいではありません!」
珍しく本気で怒っているらしい。
楓はしょんぼりしながら謝り続けた。
そんな二人の後ろ姿を、その男性は静かに見つめていた。
緑色の瞳が、どこか楽しげに細められる。
その時、風が吹き抜け、風が彼の髪を静かに揺らした。
茶色の髪の隙間から、燃えるような赤髪が僅かに覗いていた。
*
その日の夜。
ルヴァイン公爵家の屋敷でくつろいでいた楓は、慌ただしい足音に顔を上げた。
次の瞬間、扉が開く。
「カエデ!」
「ステファン?」
現れたのは、息を切らしたステファンだった。
その姿は、珍しく余裕がなかった。
金髪が少し乱れ、普段の冷静な王の姿とは違って見えた。
楓が目を瞬かせていると、ステファンは真っ直ぐこちらへ歩み寄る。
「川に落ちたって聞いて、慌てて来たんだ」
「えっ」
どうやら既に話が伝わっているらしい。
「カエデ、怪我は無い?大丈夫なの?」
その声音には、隠しきれない不安が滲んでいた。
楓は慌てて首を横に振る。
「落ち着いて、ステファン。川に落ちたわけじゃないわ」
「でも転びかけたって」
「それはそうだけど……助けてもらったから大丈夫よ」
そう言うと、ステファンはようやく少しだけ安堵したように息を吐いた。
「……よかった」
本当に心配していたのだろう。
張り詰めていた空気が、僅かに緩む。
そして次の瞬間、ステファンはそっと楓を抱き寄せた。
「だけど、心配するから、危ないことはしないでね」
低く落ちた声は、どこか切実だった。
抱き締める腕は優しいのに、少しだけ強い。
楓は胸が温かくなるのを感じながら、小さく笑う。
「……ありがとう」
心配して、こうして来てくれたことが嬉しかった。
楓もそっと抱き締め返した。
*
楓の細い腕が背中に周ってきて、ステファンは一瞬だけ動きを止めた後、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
表面上は、楓が無事だったことに安堵した様子で、努めて穏やかに振る舞っている。
けれど彼の内心では、別の感情が渦巻いていた。
マリアから受けた報告によると、楓を助けたのは茶髪の男だったという。
自分の知らない男が、彼女に触れ、支えた。
助けてくれたことは素直にありがたいとも思うが、その事実だけは、どうしようもなく気に入らなかった。
自分でも驚くほど、胸の奥がざわついている。
だが、それを口に出すのは違うと思った。
そんなことで嫉妬するなんて、あまりにも余裕がない。
楓に小さな男だと思われたくなかった。
だからステファンは何も言わない。
ただ静かに、楓を抱き締める腕に力を込めたのだった。




