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ひとりぼっちの女子高生は、異世界の地でかつて救った孤独な王に溺愛される  作者: 陽ノ下 咲
一章 ひとりぼっちの女子高生と孤独な王

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二十九話 あなたの隣で

 唇がゆっくりと離れ、静かに視線が重なった。

 至近距離で見つめ合ったまま、しばらく二人とも言葉を発さなかった。

 互いの気持ちが、ようやく同じ場所へ辿り着いたのだと分かる。

 その実感が、胸を温かく満たしていた。

 ステファンが幸せそうに微笑む。

 その穏やかな笑顔を見て、楓も自然と頬を緩めた。

 こんな風に誰かを想い、想われる日が来るなんて、以前の自分なら想像もしていなかった。


 けれど不意に、彼が少し不安気な様子で眉を寄せた。


「……でも、いつどのタイミングで帰ってしまうのか、まだ分からないんだよね?」


 その言葉に、楓は少しだけ困ったように視線を揺らした。

 そして、どこか気まずそうに口を開く。


「……多分、今後転移することはないと思うわ……」


 それを聞いたステファンが目を見開いた。


「え……?」


 楓は小さく息を吐く。


「……ごめんなさい。かなり前から、帰り方は分かってたの」

「分かってたって……どういうこと?」


 楓は少しだけ視線を伏せた。


「……その頃にはもう、言えなくなっていたから」


 ステファンが戸惑ったように眉を寄せる。


「言えなくなっていた……?」

「うん。少し長くなるかもしれないけど、順を追って説明させてほしい。……聞いてくれる?」


 不安げに尋ねる楓に、ステファンはうなずいた。


「うん、もちろん。聞かせて」


 その返事に、楓はほっと息を吐いた。

 そして立ち上がってベッドサイドへ向かうと、そこに置かれていた古びた革表紙の書物を手に取った。


「これを見てくれる?」


 ソファに戻り、ステファンにそれを渡す。

 彼は不思議そうにしつつ、それを受け取った。


「これは……?」


 年月を感じさせる擦り切れた表紙。

 丁寧に扱われていたことが分かるその本を、彼は慎重に開いた。

 数ページ目を通したステファンは、意外そうに瞬きをした。


「……初代王妃の日記?」


 楓は静かに頷いた。

 

「うん、そう」


 楓は、初めてこの日記を見つけた日のことを思い出す。

 何気なく手に取った古びた革表紙の日記。

 それはこの部屋の本棚にひっそりと置かれていたものだった。

 

「この日記を書いたのは、この国の初代王妃様よ」


 一呼吸置いてから、言葉を続ける。


「初代王妃様は、私と同じ異世界から来た人だったの」


 ステファンは驚いたように楓を見つめた。


「しかも、私達とよく似た状況だったみたい。鏡を通して、この世界の王子様と出会ったんだって。読み進めると、転移についてのことも書かれていたわ」


 それだけじゃない。

 宮廷での振る舞いや貴族社会の慣習についても、初代王妃は日記の中で度々触れていた。


「社交界では相手を大袈裟なくらいに褒めるじゃない?それに驚いたことなんかも、この日記に書かれていたわ」

「いや、大袈裟に褒めるってことはないと思うけど。……初代王妃はきっと本当に美しい方だったんじゃないかな」


 ステファンは言いながら何かを思い出したのか、その顔に、わずかに不機嫌そうな色を浮かべた。

 急にムッとした表情になった彼に、楓はきょとんと首を傾げた。けれど理由は分からず、そのまま話を続ける。

 

「日記によると、転移は危機的状況下で、向こうの世界に行きたいと強く願った時に起こるんだって。転移先は必ずしも鏡の前って訳では無いみたい。私も来た時、ステファンの目の前だったしね」

「うん、確かにそうだったね……」


 ステファンはあの日のことを思い出すように、小さく呟いた。


「だから帰れないわけじゃないの。だけど、逆に言えば帰りたいと思わなければ、もう元の世界には戻らないんだと思うわ」


 楓は静かに目を伏せた。


「初代王妃様も、最初は元の世界へ帰りたいと思っていたみたい。でも、この世界で大切な人が出来て、もう帰りたくないって思うようになったって……死ぬ間際の日記に残されていたの」


 その日記に記された言葉には、長い人生をこの世界で生き抜いた穏やかな覚悟が滲んでいた。


「ただ、異世界から来た人間には爵位も後ろ盾もないでしょう?だから王様との結婚には反対も多かったみたいで……。それで初代王妃様は、公爵家の養女になったって書かれていたわ」


 歴史上の記録では、初代王妃は由緒ある公爵家の令嬢として扱われている。 

 記録に残っていないのは、そういう事情があったらしい。

 

「……だから、異世界から来た人が居たっていう事実自体、今ではほとんど知られていないのね」

「そんなことが……」


 呆然と呟くステファンを見ながら、楓は静かに続ける。


「でもね、この国に昔から伝わってる御伽話は、その時の出来事が元になってるんだって」

「……女神と王子の話だね。絵本にもなってる」


 その御伽話は、この国に生まれた者なら誰もが知っている、『黒い髪の女神とさみしい王子』という話だ。

 その童話絵本を読んだから、ステファンは八歳のあの日、鏡の向こうに楓を見た瞬間、本気で女神だと思ったのだ。

 黒髪に、黒目がちな優しい瞳、透けるように白い肌。絵本の挿絵に描かれていた女神と楓が、あまりにもよく似ていたから。

 どこか呆然としたように楓を見つめるステファンを見ながら、楓は言葉を続ける。


「……私ね、ここに来た時、不思議だったの。異世界のはずなのに、どうして言葉も文字も通じるんだろうって」


 楓は一度言葉を切った。


「でも、日記を読んで納得したわ。初代国王様が、王妃様の話す言葉の響きとか文字の形をとても気に入って、この国の公用語にしたんですって」


 そこで小さく笑う。


「その証拠に、私、ガルディア王国の言葉は全然分からなかったもの」


 ステファンは静かに息を吐く。


「そうだったのか……」


 楓は少し視線を落とす。


「それとね、今回鏡に私の姿が映ったのも、初代王妃様のおかげなんじゃないかなって思うの」

「……それは、どうして?」


 不思議そうなステファンに視線を向けて、楓は答える。


「日記の最後のページに、もし次の転移者が現れたなら、きっと力になるから持っていてほしいって書かれていたの」


 それは未来の誰かを案じるような、優しい言葉だった。


「あの日、ちょうど読み返していて持ってたんだ。……多分、あの日記には、鏡と同じような力が宿ってるんじゃないかな」


 ステファンは静かに目を細めた。


「……じゃあ、私たちは初代王妃に感謝しないとね」

「うん、そうね」


 楓はそう言って微笑んだ。

 そしてその後、少し申し訳なさそうに俯く。


「……ごめんなさい。本当は、かなり早い段階で、日記を見つけてた」


 眉尻を下げ、もう一度、謝罪の言葉を口にした。

 そんな彼女を、ステファンは黙って見つめる。


「でも、その時にはもう……私は、ずっとステファンのそばに居たいって思ってしまっていたから」


 だから言えなかった。

 帰りたくないと思っていることを知られたら、優しいステファンはきっと気にしてしまう。

 王として沢山のものを背負っている彼に、これ以上、自分の気持ちまで背負わせたくなかった。


「だから、黙ってたの……」


 楓は俯いたまま唇を噛む。


「怒る……?」


 こんな大切なことを、自分の気持ちを優先して黙っていた。

 ただ、彼のそばに居たかったから。

 自分勝手だと、分かっている。怒られても、呆れられても仕方がない。

 そう思いながら恐る恐る問い掛けた。



 ステファンはしばらく言葉を失った。

 かなり前から、楓は帰り方を知っていた。

 その事実に驚かなかったと言えば嘘になる。

 けれど、俯いたままの楓を見ているうちに、胸に浮かんだのは責める気持ちではなかった。


 帰り方を知ってから、彼女はどれほど一人で悩んできたのだろう。

 そのことを思うと、胸が痛んだ。



 その時、ステファンの逞しい腕が伸び、ふわりと楓の身体を抱き寄せた。


「……っ」


 楓が驚いて顔を上げる。

 ステファンはどこか切なそうな表情で、眉を下げた。


「どうして一人で抱え込んでいたの?」

「え……」

「帰り方を知ってから、ずっと悩んでいたんでしょ?…… 私には相談してほしかったな」


 とても優しい声音でそう言った。

 責められても仕方ないと覚悟をしていたのに、ステファンは楓を責めるどころか、心配してくれた。

 その優しさに、楓の胸がキュッと締め付けられた。

  

「まあ、カエデらしいけど……」


 そう言うと、ステファンはふっと微笑んだ。


「嬉しいよ」

「え……?」

「帰る方法を知っても、それでも私のそばに居たいと思ってくれていたんでしょ?……そんなに前から私のそばに居たいと思ってくれてたって知れて、本当に嬉しい」

 

 ステファンの瞳が優しく細められる。

 その声はどこまでも温かく、心から安堵しているのが分かった。


「カエデ、これからも、ずっと一緒にいようね」

「……うん」


 ステファンは楓を抱き締めたまま、小さく笑う。


「実は、前から考えてることがあるんだ」

「考えてること?」

「うん」


 彼は少し照れたように目を細めた。


「今はまだ、この国を整えることが最優先だけど」


 王位継承争いの傷跡は、まだ完全には癒えていない。

 地方貴族達の混乱も残っている。

 だから、やるべきことは山ほどある。

 それでも、ステファンには、ずっとしたいと思っていたことがあった。

 

「落ち着いてきたら、国民の誰もが学べる学舎を作りたいと思っているんだ。……カエデが元いた世界では、ガッコウと言うんだったよね?」


 楓は目を見開いた。


「……学校を?」

「うん」


 その瞳は真っ直ぐだった。


「身分に関係なく、子供達が学べる場所だ」


 楓の胸が熱くなる。

 それはかつて楓が話した元の世界の話だった。

 日本では、子供達が当たり前のように学んでいること。

 友達と机を並べ、文字を学び、夢を見つける場所。

 その話を、ステファンはずっと覚えていてくれたのだ。


「この国は、まだ貴族しか十分な教育を受けられない」


 ステファンは静かに言う。


「けれど、学ぶ機会が増えれば、もっと多くの人が未来を選べるようになると思うんだ」


 楓は嬉しくてたまらなかった。

 彼はただ優しいだけではない。

 この国の未来を、本気で考えている。

 そんな彼だからこそ、楓は惹かれたのだ。


「……素敵ね」


 思わずそう呟くと、ステファンは少し照れたように笑った。


「その時は、協力してくれる?」


 楓は大きく頷く。


「もちろん!喜んで」


 そう答えると、ステファンは心から嬉しそうに笑った。

 それにつられて、楓も笑う。

 

 二人の未来は、今、ようやく始まったのだった。






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