第二十七話 王宮に戻って
目を覚ますと、視界に飛び込んできたのは見慣れた天蓋だった。
ぼんやりと天井を見つめながら、楓はゆっくり瞬きをした。
「……あ……」
掠れた声が漏れる。
ここが王宮の部屋だと分かった瞬間、張り詰めていた心が一気に緩んだ。
無事に帰ってこられたのだ。
同時に、意識を失う直前の光景が脳裏に蘇る。
扉が破られた瞬間の眩しい光、血相を変えて駆け寄ってきたステファン。そして、強く抱き締められた温もり。
血相を変えて駆け寄ってきたステファンの姿を思い出し、楓はほっと息を吐き出した。
身体を起こそうと小さく身じろぎした、その時だった。
「カエデ様……!」
すぐ傍から声が響いた。
驚いて視線を向けると、ベッドの横に座っていたマリアが、泣きそうな顔でこちらを覗き込んでいた。
「マリア……」
その姿を見た瞬間、胸の奥に込み上げていた不安が一気にほどけていく。
「良かった……。あなた、身体は無事?」
そう問い掛けると、マリアは涙で目を潤ませながら頷いた。
「はい、大丈夫ですわ。カエデ様は、どこか痛いところなどございませんか?」
「ええ、大丈夫よ」
本当は身体のあちこちが重く、まだ少し怠さも残っていた。
けれど、それ以上に安心の方が大きかった。
「良かった……。本当に、良かったです……」
マリアは胸を押さえるようにしながら、小さく息を吐き出した。
その目元は赤く腫れている。
きっと楓が眠っている間、ずっと心配してくれていたのだろう。
申し訳なさと嬉しさが同時に込み上げ、楓は小さく微笑んだ。
「心配かけてごめんね」
「そんな……!カエデ様が謝ることではありませんわ……!」
マリアは慌てたように首を振ったあと、安心したように微笑んだ。
「……では、すぐに陛下を呼んで参りますね」
そう言って立ち上がると、マリアは急ぐように部屋を出て行った。
扉が閉まり、静かになった室内で、楓はそっと胸元を押さえた。
ステファンが助けに来てくれた時の、彼の表情が忘れられない。
あれほど取り乱した彼を見るのは初めてだった。
思い返すだけで胸が締め付けられる。
自分が攫われたことで、きっと彼に大きな心配をかけてしまった。
「……ちゃんと、お礼言わなきゃ」
小さく呟いた、その時だった。
廊下の向こうから、慌ただしい足音が聞こえてきた。
次の瞬間、勢いよく扉が開かれる。
「カエデ……!」
ステファンが飛び込んできた。
呼吸を乱し、その青い瞳は大きく揺れていて、今にも泣き出しそうな顔で楓を見つめていた。
その表情を見た瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「ステファン……」
名前を呼ぶだけで、涙が出そうになった。
彼は数歩でベッドの傍まで来ると、縋るように楓の顔を見つめた。
「身体は苦しくない?どこか痛むところとかは?」
「ううん、大丈夫よ」
安心させるように微笑む。
「本当にありがとう。助けてくれて」
そう告げた瞬間、ステファンの顔がくしゃりと歪む。
「……っ」
堪えていたものが決壊したように、彼の瞳から涙が零れ落ちた。
「良かった……」
震える声だった。
「無事でいてくれて、本当に……良かった……」
そう言って、ステファンは楓をそっと抱き締めた。
壊れ物に触れるような、優しい抱擁。
けれど、その腕は微かに震えていた。
どれほど不安だったのか、その震えだけで伝わってきて、胸が締め付けられた。
「……ステファン」
楓もそっと彼の背へ腕を回す。
彼の腕の中にいるだけで、恐怖も不安も少しずつ溶けていく気がした。
ああ、帰ってこられたのだ。この人のところへ。
そう実感した瞬間、楓の目にも涙が浮かんだ。
しばらくの間、二人は何も言わず抱き締め合っていた。
やがてステファンが少しだけ身体を離した。
近い距離で視線が重なる。
ステファンは一瞬だけ迷うように目を伏せた後、意を決したように口を開いた。
「カエデ、聞いて欲しいことがある」
真剣なその声音に、楓の心臓がドクリと大きく跳ねる。
「……ええ、分かったわ」
楓も自然と表情を引き締めた。
するとステファンは小さく息を吸い込み、ゆっくり口を開いた。
「私は……」
その時だった。
グゥゥゥ……と、静かな部屋に驚くほど大きな音が響いた。
「「……」」
一瞬、空気が止まった。
今の音は、間違いなく自分のお腹だ。
しかも信じられないくらい盛大に鳴った。
「っ……!」
理解した途端、かぁぁ、と顔が熱くなる。
「ご、ごめんなさい……!」
楓は羞恥で真っ赤になりながら慌てて謝った。
よりにもよって、こんな空気の中、ステファンが真剣な話をしようとしていた瞬間に。
穴があったら入りたいとはこのことだと思った。
だがステファンは、一瞬呆気に取られたように目を丸くした後、ハッとした顔になった。
そして次の瞬間、困ったようにふっと笑う。
「いや、こちらこそごめん」
「え?」
「まともに食べてないんだから、お腹が空いて当然だよね」
言われてみれば、攫われてからほとんどまともに食事を取っていなかった。
「すぐに食事を用意させよう。話はその後で」
ステファンはそう言って、どこか安心したように笑った。
先ほどまで泣いていたとは思えないほど穏やかな笑みに、楓もつられて小さく笑ってしまう。
張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ気がした。




