第三十六話:正しさの代償
薄明りの静まり返った部屋。
無機質な空間、その中央に、
ファリンは一人で立っていた。
共鳴兵装は外している。
黒い戦闘服だけ。
王家の血を引く者専用の赤いラインが、やけに目立つ。
「……」
何も考えていないようで、頭の中は騒がしい。
レンの姿。
ブレードを下げた瞬間。
あの選択はありえない。
任務違反。
危険行為。
正しくない。
「……なのに」
喉の奥が、引っかかる。
グロキシニアの中に見えた“形”。
確かに一瞬だけ少女の輪郭。
「……違う」
首を振る。
「あれは錯覚」
「ただの情報の再現」
「意味なんてない」
何度も繰り返す。
だが、完全には消えず、胸の奥に残る“違和感”。
「……どうして」
問いが漏れる。
自分でも、何を聞いているのか分からない。
その時記憶が、蘇る。
――あの日。
崩壊する空間で鳴りやまない警報。
歪む光。
ユウリが、そこにいる。
「ファリン!」
叫び声。
レンが手を伸ばしている。
ファリンも動いていた。
間に合う距離。
あと一歩。
その時、頭に響いた“命令”。
『優先順位を維持しろ』
『装置を守れ』
『対象は後回し』
一瞬迷った。
ほんの一瞬。
その一瞬で遅れた。
ユウリの手が、空を切る。
「……っ」
現実に戻る。
ファリンの呼吸が乱れる。
「……違う」
強く否定する。
「あれは正しかった」
「優先順位は間違ってない」
「装置がなければ、もっと被害が出てた」
「でも……守れなかった」
認めてしまう。
その瞬間、膝がわずかに崩れる。
すぐに立て直す。
誰も見ていない。
それでも、崩れるわけにはいかない。
「……私は」
ゆっくりと、言葉を出す。
「間違ってない」
言い聞かせる。
「間違ってない」
繰り返す。
心の奥で、別の声がする。
――本当に?
強く目を閉じる。
その時、静かに扉が開く。
振り向くとデイジーが立っている。
少しだけ、躊躇った顔。
「……ファリン」
ファリンはすぐに表情を戻す。
いつもの冷静な顔。
「何?」
デイジーは少し迷ったが言う。
「さっきの……」
ファリンの目が細くなる。
「レンのこと?」
デイジーは首を振る。
「違う」
少しだけ、息を吸う。
「グロキシニア」
沈黙。
ファリンの視線が、わずかに揺れる。
デイジーが続ける。
「やっぱりさ」
「“あれ”、敵じゃないと思う」
ファリンは即答する。
「敵よ」
強く言いすぎる。
デイジーが一歩踏み込む。
「でもさ」
「“やめて”って言ってた」
「“怖い”って言ってた」
「レンの名前も呼んだ」
一つずつ状況を重ねる。
逃げ場をなくすように。
ファリンが言う。
「模倣よ」
今度はすこし迷ったように言う。
デイジーが見逃さない。
「本当に?」
静かに問いかける。
ファリンの喉が、わずかに動く。
言葉が出ない。
デイジーが続ける。
「もしさ」
少しだけ、声が震える。
「もし、あれがユウリだったら」
空気が止まる一言。
ファリンの目が見開かれる。
「……やめて」
小さく言う。
拒絶。
デイジーは止まらない。
「助けられるかもしれない」
「まだ間に合うかもしれない」
一歩近づく。
「それでも、消すの?」
長い沈黙。
ファリンは何も言えない。
言えないはずなのに。
言わなければいけない。
“正しい答え”を。
口が動く。
「……排除する」
声が、かすかに揺れる。
「それが正しい」
デイジーが見つめる。
何も言わない。
ただ、分かってしまう。
“この人も迷っている”と。
デイジーが小さく言う。
「……そっか」
デイジーはそのまま、部屋を出ていく。
扉が閉まると途端に静寂が下りてくる。
ファリンは、その場に立ち尽くす。
「……私は」
小さく呟く。
「正しい」
もう一度。
「正しい……はず」
視線を落とす。
手が、わずかに震えている。
気づいている。
完全には、信じきれていないことに。




