第二十五話:沈殿
最初は、ほんのわずかだった。
リアクター深部。
観測不能領域。
そこに、“何か”がある。
だが、測定できない。
存在しているのに数値にならない。
「……おかしい」
デイジーが呟く。
画面を何度も切り替える。
拡大、再解析。
だが、結果は変わらない。
「データが取れない」
レンが後ろから覗き込む。
「壊れてんじゃねえのか」
デイジーは首を振る。
「違う。壊れてるなら“ゼロ”になる。でもこれは……」
言葉を選ぶ。
「……無視されてる」
沈黙。
ファリンが眉をひそめる。
「無視?」
デイジーが頷く。
「存在してるのに、処理されてない」
エヴァが口を開く。
「ありえない。リアクターはすべての感情を循環させる」
それが前提で、それが、この世界の仕組み。
だがデイジーは画面を指差す。
「これ、流れてない」
一点。
微かな歪み。だが、歪みではない。
動かずに留まっている。
「……溜まってる」
その一言で、空気が変わる。
流れない感情。
処理されないもの。
ありえない現象。そのはずだった。
ドクン。
リアクターが脈打つ。
今度は、はっきりと全員が見る。
観測不能領域。
そこが、わずかに揺れる。
「……動いた」
レンが低く言う。
デイジーの指が震える。
「増えてる」
数値はない。だが、“感覚”で分かる。
確実に、増えている。
逃げ場なく、じわじわと溜まっていく。
ファリンが呟く。
「……排出は?」
デイジーが首を振る。
「されてない。行き場がない」
感情は、本来流れるもの。
流れて、消化される。
だが、これは違う。
流れず、残る。
沈む。
「……沈殿」
誰かが言った。
それが、一番近かった。
重い感情。
行き場を失ったもの。
底に溜まり、やがて、限界を迎える。
ドクン。
もう一度。
今度は、強く。
空間が、わずかに歪む。
「……来るぞ」
レンが構える。
嫌な予感。
観測不能領域。
その中心に黒いヒビが入る。
静かにゆっくりと。
だが、確実に。
「ヒビ……?」
デイジーが息を呑む。
今までの歪みとは違う。
暴れない、叫ばない。
ただ、“そこにある”。
ヒビが、音もなく開く。
中から、何かが漏れ出す。
黒く重たい霧。
粘つくような存在。
形にならない。
だが、そこにいる。
「……これ」
ファリンが言葉を失う。
レンが一歩前に出る。
「敵か?」
だが、それは動かない。
攻撃もしない。
ただ、揺れている。
苦しむように。
存在を保てないように。
「……何だ、これ」
レンが呟く。
デイジーが震える声で言う。
「……分からない。でも……」
言葉が出ない。
それでも、絞り出す。
「感情…」
沈黙。
全員が、固まる。
感情。それが、形を持っている。
ありえない。
その時、それがわずかに動く。
ゆっくりとこちらを向く。
輪郭が、揺れる。
そして。
かすれた音。
「……あ……」
確かに、言葉にならない、何か。
デイジーの目が見開く。
「今……」
ファリンが一歩下がる。
「……喋った?」
レンが構え直す。
「どっちだ。敵か、違うのか」
答えは出ない。
だがその存在は、ただ“苦しんでいる”。
それだけだった。
ドクン。
リアクターが、強く脈打つ。
黒い霧が、わずかに膨らむ。
増える。
止まらない。
デイジーが叫ぶ。
「このままだと――」
言葉が詰まる。
だが、全員が理解する。
これは歪みじゃない。
もっと別のもの。
もっと、根本的な何か。
処理されなかった感情。
流れなかったもの。
それが、形になり始めている。
カイトの意識。
暗闇の中、沈んでいくその奥。
小さく光る青いヒビ。
その周りに、黒いものが集まる。
包み込むように、飲み込むように。
「……やだ……」
かすかな声。
ユウリ。
「……消えたく……ない」
その感情が、波紋のように広がる。
そして現実へと、滲み出す。




