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100万円貯めたら、あの頃に戻れるらしい。  作者: Tranonym


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7/10

なんで知ってるんだ?

「……まだ、この時間かよ」


俺は時計を見上げた。


午前一時十五分。


「…………」


まだ一時かあ。


あと五時間近くあるじゃないか。


コンビニで働き始めてから、仕事にはすっかり慣れてきた。


掃除。


レジ。


商品の補充。


廃棄の確認。


一日の流れは、もう大体覚えている。


次はこれ。


それが終わったら、あれ。


時間になったら、こっち。


決まった仕事を順番にこなしていく。


やっぱり、俺はこういう仕事に向いている。


突然何かを頼まれるのは苦手だけど、やることが決まっていれば問題ない。


「……ふぅ」


ただなあ。


最近、時間がたつのが遅いんだよな。


最初の頃なんて、覚えることが多すぎて、気づいたら朝になっていた。


今は違う。


掃除が終わる。


時計を見る。


まだ一時。


商品の補充が終わる。


時計を見る。


一時半。


「……長いなあ」


お客さんも少ない。


店内は快適だ。


柴田さんとの仕事にも慣れた。


この前は漫画のことで少し言い合いになったけど、それ以外は別に問題ない。


廃棄のお弁当だってもらえる。


はっきり言って、かなりいい職場だと思う。


……思うんだけど。


「……なんか、めんどくせえな」


最近、そんなことを考えるようになっていた。


いや、分かっている。


贅沢な話だ。


仕事が大変すぎるわけじゃない。


給料だって悪くない。


森田店長も優しい。


柴田さんは、まあ……ちょっと面倒なところもあるけど、仕事は何でも教えてくれる。


それなのに。


「……うーん」


なんだろう。


決まった時間に出勤しなきゃいけない。


……いや、当たり前なんだけど。


今日はゲームをしたいなあと思っても、仕事がある。


今日はずっと寝ていたいなあと思っても、仕事がある。


休みの日はあんなに早く時間が過ぎるのに、仕事中は時計が全然進まない。


「……あーあ」


俺は小さくため息をついた。


……。


…………。


「……もう辞めちゃおうかな」


ふと、そんな考えが浮かんだ。


「…………」


……。


いやいやいや。


待て待て。


何を考えてるんだ、俺は。


せっかく採用されたんだぞ。


あんなに準備して、面接を受けて、仕事も覚えた。


今さら辞めるのはもったいないだろ。


……。


…………。


「あっ!」


そうだ!


俺、百万円を貯めなきゃいけないんだった!


「……ああ、そうだった」


危ない危ない。


何を忘れてるんだ。


俺は百万円を貯めるために働き始めたんだ。


あの頃に戻るために。


大学時代に戻って、もう一度人生をやり直すために。


「……そうだったなあ」


もちろん、戻りたい。


そりゃ戻りたいに決まっている。


あの頃に戻れたら、どんなにいいだろう。


大学をちゃんと卒業して。


友達と遊んで。


今度こそ、もっと楽しい人生にする。


そのためには、百万円。


「…………」


……。


「……百万円かあ」


遠いなあ。


めちゃくちゃ遠い。


あの老人、なんで百万円なんて言ったんだろう。


十万円じゃダメだったのか?


十万円なら、もう少し頑張れる気がするんだけど。


……いや、十万円だって結構大変か。


「……あー、めんどくせえ!」


そもそも、百万円って何か月働けば貯まるんだ?


毎月五万円ずつ貯めたとして……。


えーと。


二十か月?


「……二十か月!?」


一年以上じゃないか!


いや、二年近いぞ!


「……長っ!」


そんなにかかるのかよ。


……。


…………。


まあ、毎月もっと貯めればいいのか。


そうだ。


時給も悪くないし、食費だって浮いている。


頑張れば、もう少し早く貯まるかもしれない。


「……よし」


とにかく働こう。


辞めたら、また仕事を探さなきゃいけない。


面接も受けなきゃいけない。


それはそれで面倒だ。


……だったら、今のままでいいじゃないか。


「……うん」


そうだな。


もう少し頑張ろう。


早く百万円を貯めて、あの頃に戻りたいなあ。


俺はもう一度、時計を見上げた。


午前一時三十二分。


「…………」


……。


「……まだ一時半かよ」


*


それから何日かたった。


今日も夜勤だ。


「……よし、行くか」


家を出るまでは、正直少し面倒だった。


でも、コンビニまで来てしまえば大丈夫だ。


あとはいつもどおり仕事をこなすだけ。


もう初日のような緊張もない。


自動ドアが開く。


ピロリロリーン。


「お疲れさまでーす!」


「ああ、お疲れさま」


レジに立っていた森田店長が、いつもの笑顔で迎えてくれた。


「今日もよろしくね」


「はい! よろしくお願いします!」


俺はそのままバックヤードへ向かおうとした。


そのときだった。


「あ、そういえば」


「……はい?」


森田店長が俺を呼び止めた。


「漫画なんだけどね」


「…………」


……。


…………。


え?


漫画?


「……あ、はい」


「お客さんに見られると、あんまり印象がよくないからね」


「……はい」


「読むなら、お客さんに見られないようにしてね」


森田店長は、いつもの穏やかな口調でそう言った。


「あ、はい! 気をつけます!」


「うん。じゃあ、今日もよろしくね」


「はい!」


俺は頭を下げ、バックヤードへ向かった。


「…………」


……。


…………。


え?


なんで?


なんで知ってるんだ?


俺が漫画を読んでたこと。


「…………」


……柴田さんか?


柴田さんが言ったのか?


いや、でも。


まさかなあ。


この前、ちょっと言い合いになったけど。


それをわざわざ店長に報告するか?


「……いや、あり得るな」


だって、あのとき結構怒ってたもんな。


自分は新聞を読んでいるくせに、俺だけ注意して。


そのうえ店長にまで言っていたとしたら……。


「……おいおいおい」


なんだよ、それ。


自分はいいのかよ!


……。


…………。


いや、待て。


違う可能性もある。


監視カメラだ。


そういえば、レジの上についているじゃないか。


店長があれを確認したのかもしれない。


「……ああ、そうか」


そういうこともあるよな。


防犯カメラなんだから、当然録画しているだろうし。


……。


でも。


「……わざわざ見るか?」


俺が漫画を読んでいるかどうか、わざわざ確認するかね?


そんなに暇なのか?


いや、店長なんだから、たまには映像をチェックするのかもしれない。


何か問題が起きていないかとか。


「…………」


……。


どっちだ?


柴田さんか?


監視カメラか?


「……くそっ」


分からん。


全然分からん。


俺は制服に着替えながら考えた。


そもそも、森田店長はそんなに怒っていなかった。


いつもどおり優しかった。


考えてみれば、まだ俺は新人だ。


しかも未経験で入ったアルバイト。


そんなやつが仕事中に漫画を読んでいたら、店長だって面白くないだろう。


それなのに、あんなに優しく注意してくれたんだ。


「……いい店長だなあ」


本当に。


……。


…………。


でも、なんで知ってたんだろう。


「…………」


……まあ、いいか。


それより、さっきの言い方だ。


『読むなら、お客さんに見られないようにしてね』


確かに、そう言っていた。


「…………」


……ということは。


見られなければいいってことか?


「……ああ、なるほど」


そういうことね。


そりゃ、お客さんの前で堂々と漫画を読んでいたら、印象は悪いだろう。


俺だって、買い物に行ったコンビニで店員が漫画を読んでいたら、ちょっと気になるかもしれない。


……いや、別に気にならないか。


ちゃんとレジをしてくれればいいし。


でも、人によるだろうな。


「……うん」


気をつけよう。


お客さんに見られないように。


そうすればいいんだ。


「……よし!」


俺はメモ帳をポケットに入れた。


最近はほとんど使わなくなったけど、一応持ってきている。


何かあったときに便利だからな。


バックヤードを出ると、柴田さんがレジのところにいた。


「お疲れさまです!」


「ああ、お疲れ」


いつもどおりの返事だった。


「今日もよろしくお願いします!」


「ああ、よろしく」


「…………」


……。


普通だな。


本当に普通だ。


俺は柴田さんの顔をちらっと見た。


特に変わった様子はない。


「……何?」


「あっ、いや! 何でもないです!」


「そう?」


柴田さんはレジの画面に目を戻した。


「…………」


……。


やっぱり分からん。


この人が言ったのか?


それとも監視カメラなのか?


……まあ、いいか。


今は仕事だ。


俺はいつものように、商品の補充を始めた。


*


その日の夜勤は、特に何も起こらなかった。


いつもの掃除。


いつものレジ。


いつもの品出し。


柴田さんとも普通に会話をした。


最近のニュースの話を聞いたり、商品の値上げについて話したり。


漫画のことには、お互い触れなかった。


俺も、今日は漫画を読まなかった。


……別に理由はない。


ただ、何となく読む気にならなかっただけだ。


深夜になると、お客さんも少なくなった。


いつもどおりの静かな店内。


柴田さんは、新聞を広げていた。


「…………」


……。


やっぱり新聞は読むんだな。


俺は商品棚の整理を続けた。


別にいいけどさ。


*


午前六時。


「……ふぅぅ」


今日も無事に仕事が終わった。


「お疲れさまでした!」


「ああ、お疲れ」


柴田さんに挨拶をして、店を出た。


外はもう明るい。


朝の空気が少し冷たかった。


「……ふぁぁぁ」


眠いなあ。


足の裏も少し痛い。


ずっと立っているから、どうしても疲れるんだよな。


まあ、そのうち慣れるだろう。


……。


…………。


「……しかし、なんで知ってたんだろ」


また考えてしまった。


漫画のこと。


柴田さんが言ったのか。


監視カメラなのか。


「……うーん」


考えても分からない。


本人に聞けばいいのかもしれないけど。


『柴田さん、店長に漫画のこと言いました?』


……。


…………。


いやあ。


聞きにくいなあ。


もし違ったら、変な空気になるし。


ただでさえ、この前ちょっと言い合いになったんだから。


「……まあ、いいか」


店長は怒っていなかった。


仕事にも影響はない。


それなら別に問題ないだろう。


それより、早く帰ろう。


今日は廃棄のお弁当ももらえた。


帰ってシャワーを浴びて、食べて、寝る。


「……うん」


完璧だ。


俺は少しだけ歩く速度を上げた。


*


「……ただいまー」


家に着いた。


靴を脱ぎ、バッグを置く。


「……あー、疲れたあ!」


やっぱり家はいいなあ。


誰もいない。


何をしても自由だ。


いつ寝てもいい。


何を食べてもいい。


……まあ、仕事がある日は起きなきゃいけないけど。


「……とりあえずシャワーだな」


着替えを用意しようとして、スマホに通知が来ていることに気づいた。


「……ん?」


銀行からだ。


『口座振替のお知らせ』


「……あれ?」


なんか引き落としあったっけ?


家賃?


いや、家賃はまだだよな。


光熱費かな。


俺は通知を開いた。


そこには、見覚えのない金額が表示されていた。


12,800円。


「…………」


……。


…………。


「……は?」


何これ?


一万二千八百円?


「……え?」


いやいやいや。


何に使った?


俺、何か買ったっけ?


最近、そんな高いもの買ってないぞ。


服だって、もう買ってないし。


仕事が始まってからは、むしろ食費が浮いているくらいなのに。


「……ちょっと待てよ」


俺は急いで明細を確認した。


引き落とし先の名前が表示される。


「…………」


……。


…………。


「あっ!」


ゲームだ!


あのゲームの年間パス!


「……うわあああああ!」


そうだ!


去年、割引キャンペーンで入ったやつだ!


一年間遊べるとか何とかで、安かったから契約したんだった!


「……ああああ!」


忘れてた!


完全に忘れてた!


そうか。


もう一年たったのか。


早いなあ。


……。


いや、違う!


感心している場合じゃない!


「……なんでだよ!」


最近、全然遊んでないぞ!


あのゲーム!


最後に起動したの、いつだっけ?


一か月前?


いや、もっと前か?


「……くそっ!」


それなのに一万二千八百円!?


しかも、去年は割引だったから、こんなに高くなかったはずだ。


「……うわあ、最悪だ」


俺はスマホを握りしめた。


せっかく働いているのに。


食費だって節約しているのに。


こんなところで金が減るのかよ。


……。


…………。


いや、待てよ。


まだ間に合うんじゃないか?


解約すれば、返金してもらえるかもしれない。


そうだ。


とりあえず解約だ!


「……えーと」


俺はゲームの公式サイトを開いた。


ログインする。


アカウント設定。


契約情報。


「……どこだ?」


メニューを開く。


プロフィール。


お支払い情報。


利用履歴。


サポート。


「……いや、解約はどこだよ!」


なんなんだ、このサイト。


契約するときは、あんなに簡単だったのに。


解約しようと思ったら、どこからやればいいのか全然分からない。


「……くそっ!」


俺は画面を何度もスクロールした。


あっちを開いて。


こっちを開いて。


戻って。


また開いて。


「……あった!」


ようやく見つけた。


契約管理。


「……これだろ!」


俺は画面を開いた。


現在のプラン。


年間プレミアムパス。


自動更新。


有効。


「…………」


……。


そして、その下に書かれていた。


次回更新日:2027年10月


「…………」


……。


…………。


「……来年じゃねえか!!」


もう更新されてる!


完全に更新されてるじゃないか!


今から解約しても、来年の更新を止めるだけってことか!?


「……うわあああ」


俺はベッドに倒れ込んだ。


一万二千八百円。


一万二千八百円だぞ。


結構な金額じゃないか。


これ、コンビニで何時間働けばいいんだ?


「……あー、くそっ!」


俺はもう一度、契約画面を見た。


返金についての説明があるかもしれない。


ヘルプ。


よくある質問。


契約について。


……。


…………。


「……あー、分かんねえ!」


いろいろ書いてあるけど、結局どうすればいいんだ?


問い合わせ?


メール?


なんか手続きが必要なのか?


「……めんどくせえなあ」


もう、今日は疲れているんだ。


夜勤明けだぞ。


今からこんな細かい文章を読む気になれない。


「……明日でいいか」


俺はスマホを枕元に置いた。


……。


…………。


いや。


待てよ。


一年間使えるんだよな。


俺はもう一度スマホを手に取った。


契約画面を見る。


そうだ。


来年の十月まで使える。


ということは、今からでも遊べるんだよな。


「…………」


……。


「……せっかく払ったんだしな」


使わないともったいないじゃないか。


一万二千八百円だぞ。


これだけ払ったんだから、遊ばないほうが損だろ。


そうだよ。


もったいない。


「……ふふ」


そういえば最近、あのゲーム、何かアップデートされたんだったな。


新しいイベントも始まったとか、どこかで見た気がする。


久しぶりに遊んでみるのも悪くない。


俺はゲームのページを開いた。


「……おお」


なんか、いろいろ増えてるじゃないか。


新しいキャラクター。


新しいステージ。


新しいイベント。


「……へええ」


結構面白そうだな。


ちょっとだけ遊んでみるか。


シャワーは、そのあとでいいだろう。


「……よし」


俺はゲームを起動した。

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