じゃあ、僕も新聞を読みます。
コンビニで働き始めてから、何度か夜勤をこなした。
「……よし」
俺は商品の棚を見回した。
乱れているところはない。
奥に引っ込んでいた商品も、ちゃんと前に出してある。
「……うん」
なかなかいい感じだ。
最初の頃は、何をするにも柴田さんに確認していた。
掃除は何時からだったっけ。
商品の補充はどこからだったっけ。
廃棄のチェックはどうするんだったっけ。
でも、今は違う。
次はこれ。
それが終わったら、あれ。
時間になったら、こっち。
「……ふふ」
やっぱり、俺はこういう仕事に向いているのかもしれない。
一日の流れが決まっている。
何をすればいいのか分かっている。
一度覚えてしまえば、あとはそのとおりに動けばいい。
最高じゃないか。
もちろん、まだ全部の仕事を完璧に覚えたわけではない。
普通の買い物なら、もう問題なく対応できる。
現金でも、カードでも、電子マネーでも大丈夫だ。
最初はあんなに難しく感じたレジも、今ではかなりスムーズに操作できるようになった。
ただし。
「……あれ?」
宅配便。
こいつだけは、まだ少し苦手だった。
そもそも、そんなに頻繁に来ない。
普通の買い物なら一晩に何度も対応するから、自然と覚えられる。
でも、宅配便は違う。
せっかく教えてもらっても、次に対応する頃には少し忘れている。
「……えーと」
俺は伝票を確認した。
送り先。
荷物の大きさ。
支払い方法。
確か、ここを押して……。
「…………」
……これだったかな?
「……あ、すみません。少々お待ちください」
俺は画面を見ながら、慎重に操作した。
柴田さんに確認したいところだが、今は別の作業をしている。
まあ、大丈夫だろう。
前にも一度やったことがある。
「……あ、これか!」
思い出した。
画面を進めていく。
おお。
できた。
「ありがとうございました!」
お客さんが荷物を預けて帰っていった。
「……ふぅ」
よし。
また一つ覚えたぞ。
こうやって少しずつできることが増えていくのは、なかなか気持ちがいい。
そのうち宅配便だって、何も考えずにできるようになるだろう。
「……俺、結構いけるな」
最近、そんなことを考える時間が増えていた。
*
それにしても。
コンビニって、快適だ。
最初の頃は、仕事が終わるたびに汗だくだった。
掃除をしても汗をかく。
レジで緊張しても汗をかく。
柴田さんに急に何か聞かれても汗をかく。
おかげで、店内が涼しいことにすら気づかなかった。
でも、今は違う。
店内はいつも快適な温度に保たれている。
外が寒くても、中は暖かい。
夏になれば、きっと涼しいんだろう。
「……いいなあ」
たまに商品の補充で体を動かして、暑くなることはある。
そんなときは、飲み物の補充をする。
バックヤードから入れる、大きな冷蔵庫だ。
あの、ペットボトルがずらっと並んでいるところ。
扉を開けると、冷たい空気が流れてくる。
「……ふぅぅ」
気持ちいい。
めちゃくちゃ気持ちいい。
俺は棚にペットボトルを補充しながら、少しだけ涼んだ。
もちろん、ちゃんと仕事はしている。
減っている商品を補充しているんだから、何も問題はない。
「……ふふ」
一石二鳥じゃないか。
仕事にも、だいぶ余裕が出てきた。
柴田さんとの会話も増えた。
初日は何となく怖そうな人だと思っていたけど、話してみると案外普通のおじさんだった。
向こうから話しかけてくれることもある。
ただし。
「また値上げだってよ」
「あ、そうなんですか?」
「ほんと、何でも高くなって困るよなあ」
「そうですねえ」
「この前もニュースでやってたけどさ……」
「へええ」
柴田さんの話題は、だいたいニュースだった。
物価。
政治。
事件。
景気。
いろいろなことを知っている。
さすが、毎日のように新聞を読んでいるだけある。
俺はというと、ニュースなんてネットで気になったものを少し見る程度だ。
だから、知らない話も結構あった。
「……へえ、そうなんですね」
「そうなんだよ」
柴田さんは満足そうに頷いた。
……。
…………。
まあ、いいか。
こうやって話せるようになったのは、悪いことじゃない。
最初は仕事のことしか話していなかったのに、今では世間話もする。
なかなかいい関係になってきたんじゃないか?
そう思っていた。
*
ある日の深夜。
その日は、いつも以上にお客さんが少なかった。
掃除も終わった。
商品の補充も終わった。
棚の整理も済ませた。
「……よし」
俺は店内を見回した。
特にやることはなさそうだ。
レジのほうを見る。
柴田さんは、いつものように新聞を読んでいた。
「…………」
……。
…………。
そういえば。
初日に漫画を読んで、注意されたんだったな。
あのときは、まだ何も分かっていなかった。
仕事も全然覚えていなかったし。
そりゃ、注意されても仕方ないか。
でも、今は違う。
一通りの仕事はできるようになった。
柴田さんとも、結構仲良くなった。
「…………」
……。
そろそろ、いいんじゃないか?
俺は雑誌コーナーを見た。
漫画雑誌が並んでいる。
そういえば、あの漫画の続きはどうなったんだろう。
この前は途中までしか読めなかったんだよな。
「…………」
……ちょっとだけ。
ちょっとだけ読もう。
お客さんが来たら、すぐに戻せばいい。
仕事だって、ちゃんと終わらせている。
俺は雑誌コーナーへ向かった。
目当ての漫画を手に取る。
「……おっ」
あったあった。
これだ。
俺はレジの近くへ戻り、ページを開いた。
「……ふふ」
面白い。
やっぱり面白いなあ。
しかも、最新の話が読める。
毎週新しい号が入ってくるんだから、しばらく退屈しないじゃないか。
「……いいなあ、これ」
本当にいい職場だ。
そのときだった。
「……おい」
「……はい?」
顔を上げる。
柴田さんが、新聞の向こうからこちらを見ていた。
「また漫画読んでるの?」
「あ、はい」
「前にも言ったよね。仕事中だぞ」
「……ああ、はい」
そうだった。
確かに言われた。
でも。
「……あの、柴田さん」
「何?」
「柴田さんも新聞読んでますよね?」
「……は?」
「いや、新聞です」
俺は柴田さんの手元を見た。
「これは新聞だろ」
「……はい」
「漫画とは違うでしょ」
「……ああ、なるほど」
やっぱりそうなのか。
初日にもそう思ったんだよな。
新聞と漫画は違う。
ニュースを読むのと、娯楽の漫画を読むのでは意味が違うんだろう。
「……じゃあ、僕も新聞読みますね」
「……は?」
「いや、新聞ならいいんですよね?」
「そういうことじゃないんだよ」
「……え?」
違うのか?
「仕事中なんだから、ちゃんと仕事しないと」
「あ、はい。仕事は終わってます」
「いや、だから……」
柴田さんは少し声を低くした。
「俺はこの仕事、長いんだよ」
「あ、はい。それは知ってます」
「店長だってやってたんだから」
「はい。すごいと思います」
「だから、何をやらなきゃいけないか分かってるんだよ」
「……ああ、なるほど」
そういうことか。
経験の違いか。
「じゃあ、僕も全部覚えたら読んでいいんですか?」
「……お前なあ!」
柴田さんの声が少し大きくなった。
「そういうことじゃないんだよ!」
「……え?」
俺は思わず黙った。
……。
…………。
なんだよ。
じゃあ、どういうことなんだよ。
俺だって、ちゃんと仕事はしている。
掃除も終わらせた。
商品の補充もした。
お客さんが来たら、すぐに対応するつもりだ。
「……あの」
「何だよ」
「柴田さんだけ読んでよくて、僕がダメなのはなんでですか?」
「…………」
柴田さんが新聞から顔を上げた。
「……何だって?」
「いや、僕も仕事はちゃんとやってますし」
「…………」
「柴田さんが読んでるから、僕も読んでいいのかなって思ったんですけど」
「……お前、最近ずいぶん言うようになったな」
「……そうですか?」
「最初の頃はもっと素直だったぞ」
「……ああ」
そうかな。
確かに、最初は何も分からなかったからな。
「仕事、結構覚えましたから」
「…………」
柴田さんは何か言いかけた。
そのときだった。
ピロリロリーン。
「いらっしゃいませー!」
お客さんだ!
俺は慌てて漫画を閉じ、レジの下へ置いた。
そして何事もなかったかのように背筋を伸ばした。
「いらっしゃいませ!」
入ってきたのは、仕事帰りらしい男性だった。
飲み物と弁当を持ってレジへやってくる。
「こちら温めますか?」
「あ、お願いします」
「かしこまりました!」
俺は弁当を受け取り、電子レンジに入れた。
飲み物を読み取る。
支払いは電子マネーだった。
「ありがとうございました!」
お客さんが店を出ていった。
「……ふぅ」
よし。
問題なし。
ちゃんと対応できた。
俺はレジの下に置いた漫画を取り出した。
「…………」
……。
柴田さんを見る。
新聞を読んでいる。
「…………」
……まあ、いいか。
俺は漫画を開いた。
ペラッ。
「…………」
……。
…………。
なんだろう。
さっきまで、あんなに面白かったのに。
なんか読みにくいな。
別に悪いことをしているつもりはない。
仕事だって、ちゃんとやっている。
でも、柴田さんがすぐ横にいる。
何も言ってこない。
新聞をめくる音だけが聞こえる。
ペラッ。
……。
…………。
「…………」
気まずい。
めちゃくちゃ気まずい。
漫画の内容も、あまり頭に入ってこない。
ちらっと柴田さんを見る。
相変わらず新聞を読んでいる。
「…………」
……なんだよ。
でも、ここで漫画を戻すのもなあ。
俺はもう一度、ページに目を落とした。
「…………」
……。
結局、そのあと柴田さんは何も言ってこなかった。
俺も何も言わなかった。
普段なら、ニュースの話をしたり、何でもないことで笑ったりしていたのに。
その夜は、なんとなく会話が少なかった。
*
午前六時過ぎ。
「……ふぅぅ」
今日も夜勤が終わった。
いやあ、疲れた。
いつものように制服を脱ぎ、帰り支度をする。
バッグには、今日も廃棄のお弁当を入れてもらった。
「……おお」
今日はなかなか豪華だな。
帰ってから食べよう。
いや、眠いし起きてからでもいいか。
「お疲れさまでした!」
俺は柴田さんに声をかけた。
「ああ、お疲れ」
返事はいつもどおりだった。
……。
まあ、いいか。
別に喧嘩したわけじゃないし。
ちょっと意見が違っただけだ。
次の勤務では、また普通に話せるだろう。
俺はコンビニを出た。
外はすっかり明るくなっていた。
「……ふぁぁ」
眠い。
でも、今日もちゃんと仕事をした。
レジも問題なかったし。
宅配便だって、少しずつ覚えてきた。
「……ふふ」
なかなか順調じゃないか。
あとはもっと仕事に慣れていくだけだ。
そう思いながら歩いていた。
……。
…………。
「……いや、でもさ」
ふと、さっきの会話を思い出した。
柴田さん。
あれ、どういう意味だったんだ?
自分は新聞を読んでいる。
でも、俺が漫画を読むのはダメ。
新聞ならいいのかと聞いたら、それも違うという。
「……いや、分かんねえよ」
どういうことなんだよ。
俺だって、ちゃんと仕事はしてるぞ。
掃除も終わらせた。
品出しもした。
棚も整理した。
お客さんが来たら、すぐに対応している。
「……別にいいだろ、漫画くらい」
そもそも、柴田さんが新聞を読んでいなかったら、俺だって漫画を読もうなんて思わなかった。
あの人が普通に読んでいたから、いいのかと思ったんだ。
「……なんだよ、あのおっさん」
少し腹が立ってきた。
……。
いや。
少しじゃないな。
結構、腹が立ってきた。
「……自分はよくて、人はダメなのかよ」
なんなんだよ、それ。
初日は仕方ないと思った。
仕事も全然覚えていなかったし。
でも、今は違う。
俺だって、ちゃんと仕事ができるようになってきたんだ。
それなのに。
「……お前、最近ずいぶん言うようになったな、だって?」
思わず、さっきの柴田さんの口調を真似してしまった。
「……そりゃ言うだろ」
だって、おかしいじゃないか。
俺が間違っているなら、何が間違っているのか教えてくれればいい。
それだけなのに。
「……あー、もう!」
俺は大きく息を吐いた。
……。
…………。
まあ、いいか。
考えてみれば、今日も結局漫画は読んだんだ。
注意されたけど、やめなかった。
いつもの俺なら、何も言わずに漫画を戻していたかもしれない。
でも、今日は違った。
ちゃんと自分の考えを言えた。
「……うん」
俺、結構変わってきたんじゃないか?
仕事も覚えた。
人とも話せるようになった。
納得できないことには、ちゃんと意見も言える。
「……ふふ」
なかなかいいじゃないか。
……ただ。
次も柴田さんと一緒に働くんだよな。
「…………」
……。
ちょっと気まずいなあ。
まあ、仕方ないか。
仕事はちゃんとしよう。
挨拶も普通にしよう。
柴田さんが話しかけてきたら、普通に話そう。
俺だって、大人なんだから。
「……よし」
でも。
「……漫画は読むけどな」
思わず笑ってしまった。
だって、面白いんだもん。
もちろん、仕事はちゃんとする。
それは当たり前だ。
そういえば、あの漫画の続きはどうなるんだろう。
いいところで終わってたんだよな。
「……次の号、いつ出るんだっけ」
俺はそんなことを考えながら、家へ向かった。




