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100万円貯めたら、あの頃に戻れるらしい。  作者: Tranonym


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6/10

じゃあ、僕も新聞を読みます。

コンビニで働き始めてから、何度か夜勤をこなした。


「……よし」


俺は商品の棚を見回した。


乱れているところはない。


奥に引っ込んでいた商品も、ちゃんと前に出してある。


「……うん」


なかなかいい感じだ。


最初の頃は、何をするにも柴田さんに確認していた。


掃除は何時からだったっけ。


商品の補充はどこからだったっけ。


廃棄のチェックはどうするんだったっけ。


でも、今は違う。


次はこれ。


それが終わったら、あれ。


時間になったら、こっち。


「……ふふ」


やっぱり、俺はこういう仕事に向いているのかもしれない。


一日の流れが決まっている。


何をすればいいのか分かっている。


一度覚えてしまえば、あとはそのとおりに動けばいい。


最高じゃないか。


もちろん、まだ全部の仕事を完璧に覚えたわけではない。


普通の買い物なら、もう問題なく対応できる。


現金でも、カードでも、電子マネーでも大丈夫だ。


最初はあんなに難しく感じたレジも、今ではかなりスムーズに操作できるようになった。


ただし。


「……あれ?」


宅配便。


こいつだけは、まだ少し苦手だった。


そもそも、そんなに頻繁に来ない。


普通の買い物なら一晩に何度も対応するから、自然と覚えられる。


でも、宅配便は違う。


せっかく教えてもらっても、次に対応する頃には少し忘れている。


「……えーと」


俺は伝票を確認した。


送り先。


荷物の大きさ。


支払い方法。


確か、ここを押して……。


「…………」


……これだったかな?


「……あ、すみません。少々お待ちください」


俺は画面を見ながら、慎重に操作した。


柴田さんに確認したいところだが、今は別の作業をしている。


まあ、大丈夫だろう。


前にも一度やったことがある。


「……あ、これか!」


思い出した。


画面を進めていく。


おお。


できた。


「ありがとうございました!」


お客さんが荷物を預けて帰っていった。


「……ふぅ」


よし。


また一つ覚えたぞ。


こうやって少しずつできることが増えていくのは、なかなか気持ちがいい。


そのうち宅配便だって、何も考えずにできるようになるだろう。


「……俺、結構いけるな」


最近、そんなことを考える時間が増えていた。


*


それにしても。


コンビニって、快適だ。


最初の頃は、仕事が終わるたびに汗だくだった。


掃除をしても汗をかく。


レジで緊張しても汗をかく。


柴田さんに急に何か聞かれても汗をかく。


おかげで、店内が涼しいことにすら気づかなかった。


でも、今は違う。


店内はいつも快適な温度に保たれている。


外が寒くても、中は暖かい。


夏になれば、きっと涼しいんだろう。


「……いいなあ」


たまに商品の補充で体を動かして、暑くなることはある。


そんなときは、飲み物の補充をする。


バックヤードから入れる、大きな冷蔵庫だ。


あの、ペットボトルがずらっと並んでいるところ。


扉を開けると、冷たい空気が流れてくる。


「……ふぅぅ」


気持ちいい。


めちゃくちゃ気持ちいい。


俺は棚にペットボトルを補充しながら、少しだけ涼んだ。


もちろん、ちゃんと仕事はしている。


減っている商品を補充しているんだから、何も問題はない。


「……ふふ」


一石二鳥じゃないか。


仕事にも、だいぶ余裕が出てきた。


柴田さんとの会話も増えた。


初日は何となく怖そうな人だと思っていたけど、話してみると案外普通のおじさんだった。


向こうから話しかけてくれることもある。


ただし。


「また値上げだってよ」


「あ、そうなんですか?」


「ほんと、何でも高くなって困るよなあ」


「そうですねえ」


「この前もニュースでやってたけどさ……」


「へええ」


柴田さんの話題は、だいたいニュースだった。


物価。


政治。


事件。


景気。


いろいろなことを知っている。


さすが、毎日のように新聞を読んでいるだけある。


俺はというと、ニュースなんてネットで気になったものを少し見る程度だ。


だから、知らない話も結構あった。


「……へえ、そうなんですね」


「そうなんだよ」


柴田さんは満足そうに頷いた。


……。


…………。


まあ、いいか。


こうやって話せるようになったのは、悪いことじゃない。


最初は仕事のことしか話していなかったのに、今では世間話もする。


なかなかいい関係になってきたんじゃないか?


そう思っていた。


*


ある日の深夜。


その日は、いつも以上にお客さんが少なかった。


掃除も終わった。


商品の補充も終わった。


棚の整理も済ませた。


「……よし」


俺は店内を見回した。


特にやることはなさそうだ。


レジのほうを見る。


柴田さんは、いつものように新聞を読んでいた。


「…………」


……。


…………。


そういえば。


初日に漫画を読んで、注意されたんだったな。


あのときは、まだ何も分かっていなかった。


仕事も全然覚えていなかったし。


そりゃ、注意されても仕方ないか。


でも、今は違う。


一通りの仕事はできるようになった。


柴田さんとも、結構仲良くなった。


「…………」


……。


そろそろ、いいんじゃないか?


俺は雑誌コーナーを見た。


漫画雑誌が並んでいる。


そういえば、あの漫画の続きはどうなったんだろう。


この前は途中までしか読めなかったんだよな。


「…………」


……ちょっとだけ。


ちょっとだけ読もう。


お客さんが来たら、すぐに戻せばいい。


仕事だって、ちゃんと終わらせている。


俺は雑誌コーナーへ向かった。


目当ての漫画を手に取る。


「……おっ」


あったあった。


これだ。


俺はレジの近くへ戻り、ページを開いた。


「……ふふ」


面白い。


やっぱり面白いなあ。


しかも、最新の話が読める。


毎週新しい号が入ってくるんだから、しばらく退屈しないじゃないか。


「……いいなあ、これ」


本当にいい職場だ。


そのときだった。


「……おい」


「……はい?」


顔を上げる。


柴田さんが、新聞の向こうからこちらを見ていた。


「また漫画読んでるの?」


「あ、はい」


「前にも言ったよね。仕事中だぞ」


「……ああ、はい」


そうだった。


確かに言われた。


でも。


「……あの、柴田さん」


「何?」


「柴田さんも新聞読んでますよね?」


「……は?」


「いや、新聞です」


俺は柴田さんの手元を見た。


「これは新聞だろ」


「……はい」


「漫画とは違うでしょ」


「……ああ、なるほど」


やっぱりそうなのか。


初日にもそう思ったんだよな。


新聞と漫画は違う。


ニュースを読むのと、娯楽の漫画を読むのでは意味が違うんだろう。


「……じゃあ、僕も新聞読みますね」


「……は?」


「いや、新聞ならいいんですよね?」


「そういうことじゃないんだよ」


「……え?」


違うのか?


「仕事中なんだから、ちゃんと仕事しないと」


「あ、はい。仕事は終わってます」


「いや、だから……」


柴田さんは少し声を低くした。


「俺はこの仕事、長いんだよ」


「あ、はい。それは知ってます」


「店長だってやってたんだから」


「はい。すごいと思います」


「だから、何をやらなきゃいけないか分かってるんだよ」


「……ああ、なるほど」


そういうことか。


経験の違いか。


「じゃあ、僕も全部覚えたら読んでいいんですか?」


「……お前なあ!」


柴田さんの声が少し大きくなった。


「そういうことじゃないんだよ!」


「……え?」


俺は思わず黙った。


……。


…………。


なんだよ。


じゃあ、どういうことなんだよ。


俺だって、ちゃんと仕事はしている。


掃除も終わらせた。


商品の補充もした。


お客さんが来たら、すぐに対応するつもりだ。


「……あの」


「何だよ」


「柴田さんだけ読んでよくて、僕がダメなのはなんでですか?」


「…………」


柴田さんが新聞から顔を上げた。


「……何だって?」


「いや、僕も仕事はちゃんとやってますし」


「…………」


「柴田さんが読んでるから、僕も読んでいいのかなって思ったんですけど」


「……お前、最近ずいぶん言うようになったな」


「……そうですか?」


「最初の頃はもっと素直だったぞ」


「……ああ」


そうかな。


確かに、最初は何も分からなかったからな。


「仕事、結構覚えましたから」


「…………」


柴田さんは何か言いかけた。


そのときだった。


ピロリロリーン。


「いらっしゃいませー!」


お客さんだ!


俺は慌てて漫画を閉じ、レジの下へ置いた。


そして何事もなかったかのように背筋を伸ばした。


「いらっしゃいませ!」


入ってきたのは、仕事帰りらしい男性だった。


飲み物と弁当を持ってレジへやってくる。


「こちら温めますか?」


「あ、お願いします」


「かしこまりました!」


俺は弁当を受け取り、電子レンジに入れた。


飲み物を読み取る。


支払いは電子マネーだった。


「ありがとうございました!」


お客さんが店を出ていった。


「……ふぅ」


よし。


問題なし。


ちゃんと対応できた。


俺はレジの下に置いた漫画を取り出した。


「…………」


……。


柴田さんを見る。


新聞を読んでいる。


「…………」


……まあ、いいか。


俺は漫画を開いた。


ペラッ。


「…………」


……。


…………。


なんだろう。


さっきまで、あんなに面白かったのに。


なんか読みにくいな。


別に悪いことをしているつもりはない。


仕事だって、ちゃんとやっている。


でも、柴田さんがすぐ横にいる。


何も言ってこない。


新聞をめくる音だけが聞こえる。


ペラッ。


……。


…………。


「…………」


気まずい。


めちゃくちゃ気まずい。


漫画の内容も、あまり頭に入ってこない。


ちらっと柴田さんを見る。


相変わらず新聞を読んでいる。


「…………」


……なんだよ。


でも、ここで漫画を戻すのもなあ。


俺はもう一度、ページに目を落とした。


「…………」


……。


結局、そのあと柴田さんは何も言ってこなかった。


俺も何も言わなかった。


普段なら、ニュースの話をしたり、何でもないことで笑ったりしていたのに。


その夜は、なんとなく会話が少なかった。


*


午前六時過ぎ。


「……ふぅぅ」


今日も夜勤が終わった。


いやあ、疲れた。


いつものように制服を脱ぎ、帰り支度をする。


バッグには、今日も廃棄のお弁当を入れてもらった。


「……おお」


今日はなかなか豪華だな。


帰ってから食べよう。


いや、眠いし起きてからでもいいか。


「お疲れさまでした!」


俺は柴田さんに声をかけた。


「ああ、お疲れ」


返事はいつもどおりだった。


……。


まあ、いいか。


別に喧嘩したわけじゃないし。


ちょっと意見が違っただけだ。


次の勤務では、また普通に話せるだろう。


俺はコンビニを出た。


外はすっかり明るくなっていた。


「……ふぁぁ」


眠い。


でも、今日もちゃんと仕事をした。


レジも問題なかったし。


宅配便だって、少しずつ覚えてきた。


「……ふふ」


なかなか順調じゃないか。


あとはもっと仕事に慣れていくだけだ。


そう思いながら歩いていた。


……。


…………。


「……いや、でもさ」


ふと、さっきの会話を思い出した。


柴田さん。


あれ、どういう意味だったんだ?


自分は新聞を読んでいる。


でも、俺が漫画を読むのはダメ。


新聞ならいいのかと聞いたら、それも違うという。


「……いや、分かんねえよ」


どういうことなんだよ。


俺だって、ちゃんと仕事はしてるぞ。


掃除も終わらせた。


品出しもした。


棚も整理した。


お客さんが来たら、すぐに対応している。


「……別にいいだろ、漫画くらい」


そもそも、柴田さんが新聞を読んでいなかったら、俺だって漫画を読もうなんて思わなかった。


あの人が普通に読んでいたから、いいのかと思ったんだ。


「……なんだよ、あのおっさん」


少し腹が立ってきた。


……。


いや。


少しじゃないな。


結構、腹が立ってきた。


「……自分はよくて、人はダメなのかよ」


なんなんだよ、それ。


初日は仕方ないと思った。


仕事も全然覚えていなかったし。


でも、今は違う。


俺だって、ちゃんと仕事ができるようになってきたんだ。


それなのに。


「……お前、最近ずいぶん言うようになったな、だって?」


思わず、さっきの柴田さんの口調を真似してしまった。


「……そりゃ言うだろ」


だって、おかしいじゃないか。


俺が間違っているなら、何が間違っているのか教えてくれればいい。


それだけなのに。


「……あー、もう!」


俺は大きく息を吐いた。


……。


…………。


まあ、いいか。


考えてみれば、今日も結局漫画は読んだんだ。


注意されたけど、やめなかった。


いつもの俺なら、何も言わずに漫画を戻していたかもしれない。


でも、今日は違った。


ちゃんと自分の考えを言えた。


「……うん」


俺、結構変わってきたんじゃないか?


仕事も覚えた。


人とも話せるようになった。


納得できないことには、ちゃんと意見も言える。


「……ふふ」


なかなかいいじゃないか。


……ただ。


次も柴田さんと一緒に働くんだよな。


「…………」


……。


ちょっと気まずいなあ。


まあ、仕方ないか。


仕事はちゃんとしよう。


挨拶も普通にしよう。


柴田さんが話しかけてきたら、普通に話そう。


俺だって、大人なんだから。


「……よし」


でも。


「……漫画は読むけどな」


思わず笑ってしまった。


だって、面白いんだもん。


もちろん、仕事はちゃんとする。


それは当たり前だ。


そういえば、あの漫画の続きはどうなるんだろう。


いいところで終わってたんだよな。


「……次の号、いつ出るんだっけ」


俺はそんなことを考えながら、家へ向かった。

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