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100万円貯めたら、あの頃に戻れるらしい。  作者: Tranonym


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4/13

採用されたのに、三千円。

ピピピピピピッ。


「……んあ?」


目覚ましが鳴っている。


枕元のスマホを手探りでつかみ、画面を確認する。


午前六時。


「…………」


眠い。


めちゃくちゃ眠い。


普段なら、まだ夢の中にいる時間だ。


というか、普段はあと六時間くらい寝ている。


でも、今日は違う。


今日はコンビニの面接がある。


午前十時。


絶対に寝坊するわけにはいかない。


「……よし」


俺は目覚ましを止め、なんとか体を起こした。


……。


…………。


「……早すぎたな」


分かっている。


さすがに六時は早かった。


面接場所までは歩いて行ける距離だし、九時に起きても十分に間に合う。


でも、もし寝坊したらどうする?


せっかく服まで買って、履歴書も書いて、髪まで切ったんだ。


ここで寝坊したら、今までの苦労が全部無駄になる。


それだけは避けたい。


「……まあ、寝坊するよりはましか」


それに、時間があるなら面接対策をもう一度確認できる。


昨日はかなり練習した。


ネットでよく聞かれる質問を調べて、自分なりに回答を考え、何度も声に出して覚えた。


俺は記憶力が特別いいわけじゃない。


突然何かを聞かれて、すぐに気の利いた答えが出てくるタイプでもない。


だから、反復練習だ。


何度も繰り返して、頭に染み込ませる。


これが一番、俺に合っている。


「……よし、やるか」


机の上に置いてあったノートを開く。


『志望動機を教えてください』


「はい。自宅から近く、通勤しやすいため、長く勤務できると考え応募しました」


……うん。


問題ない。


『あなたの長所は何ですか?』


「一つの作業に集中して、丁寧に取り組めることです」


これも大丈夫だ。


『あなたの短所は何ですか?』


「慎重に考えすぎるところがありますが、事前に準備することで、落ち着いて行動できるよう心がけています」


「……おお」


我ながら、よくできた回答だと思う。


実際、今日は四時間も前に起きている。


事前準備という点では、十分すぎるくらいだ。


ほかにも、空白期間について聞かれた場合の答えや、勤務可能な曜日についても確認した。


「……完璧だな」


まあ、いってもコンビニのアルバイトだ。


ここまで準備する必要はないのかもしれない。


でも、今回の面接は俺にとって大事な第一歩だ。


ここから働いて、お金を稼ぐ。


百万円を貯める。


そうすれば、あの頃に戻れる。


「……ふふ」


考えるだけで嬉しくなってくる。


ようやく俺の人生が動き出す。


大学時代に戻ったら、今度こそちゃんと卒業しよう。


友達とも遊ぼう。


就職活動だって、きちんとやる。


そのためにも、まずは今日の面接だ。


「……よし!」


俺はノートを閉じた。


まだ七時にもなっていない。


朝飯でも食うか。


冷蔵庫を開けると、食パンと卵が残っていた。


トーストと目玉焼き。


十分だろう。


フライパンを取り出して、卵を割る。


ジュウッ。


「……なんか、いいな」


朝早く起きて、朝食を作って、これから仕事の面接に行く。


こういう生活も、なかなか悪くない。


朝食を済ませたあと、シャワーを浴びた。


昨日買った紺色のシャツと黒いズボンに着替える。


鏡を見る。


「……おお」


いいじゃないか。


ちゃんとして見える。


ズボンは少しきつい気もするが、普通に歩けるし問題ない。


髪も自分で切ったばかりだ。


前髪の右側が若干短い。


……いや、そんなに目立たないだろ。


写真と少しくらい違っても、同じ人間なんだし。


「……うん、大丈夫」


履歴書を確認する。


財布。


スマホ。


忘れ物はない。


あとは時間まで待つだけだ。


俺はもう一度、面接対策のノートを開いた。


*


午前九時三十分。


俺はコンビニの前にいた。


「……早く着きすぎたな」


まあ、遅刻するよりはいい。


ただ、三十分も前に入るのはさすがに早いだろう。


店の前でずっと立っているのも変だしな。


少し離れた場所へ移動して、スマホを取り出した。


面接対策の最終確認だ。


志望動機。


問題なし。


長所。


問題なし。


短所。


問題なし。


空白期間。


……まあ、大丈夫だろう。


時計を見る。


九時四十二分。


「……まだか」


九時四十六分。


「…………」


九時四十九分。


「……よし!」


九時五十分。


そろそろいいだろう。


俺はスマホをポケットにしまい、コンビニへ向かった。


自動ドアが開く。


ピロリロリーン。


「いらっしゃいませー!」


レジにいた店員が声をかけてきた。


俺はそのままレジへ向かった。


「お、おはようございます!」


「あ、おはようございます」


「十時に面接のお約束をしている者なんですが……」


「ああ、はい! 面接の方ですね!」


店員はすぐに理解してくれた。


「こちらへどうぞ」


「あ、ありがとうございます!」


案内されたのは、店の奥にあるバックヤードだった。


小さな机と椅子が置いてある。


壁にはシフト表や、何かの連絡事項が貼られていた。


周囲には段ボールが積まれている。


「こちらで少々お待ちください」


「はい、ありがとうございます!」


椅子に座る。


「…………」


……ここで面接するのか?


てっきり、もっとちゃんとした部屋があるものだと思っていた。


いや、コンビニなんだから、こんなものなのかもしれないけど。


それにしても。


すぐ近くに、ほかのアルバイトらしき人がいる。


段ボールを開ける音が聞こえるし、店内の声も普通に聞こえてくる。


「……丸聞こえじゃね?」


俺の志望動機とか、長所とか、全部聞かれるんじゃないか?


大学を中退した理由なんて聞かれたらどうするんだ。


ほかの店員にも聞こえるだろ。


プライバシーとか、どうなってるんだろう。


……まあ、いいか。


面接に集中しよう。


俺は背筋を伸ばした。


しばらくすると、一人の男性が入ってきた。


五十代くらいだろうか。


穏やかな顔をした、少しふっくらとしたおじさんだった。


「おはようございます!」


俺はすぐに立ち上がった。


「ああ、おはようございます。今日はありがとうございます」


男性はにこやかに笑った。


「店長の森田です。よろしくお願いします」


「あ、よろしくお願いします!」


「どうぞ、座ってください」


「はい!」


俺は椅子に座った。


森田店長も向かい側に腰を下ろす。


「いやあ、朝は冷えるねえ」


「あっ、そうですね!」


「もう十月も終わるからねえ。朝晩は寒くなってきたよ」


「そうですねえ!」


「今日は歩いて来られたの?」


「あ、はい! 家が近いので!」


「それはいいねえ」


森田店長は笑いながら履歴書を受け取った。


「じゃあ、面接を始めさせてもらいますね」


「はい! よろしくお願いします!」


……よし。


始まった。


俺は頭の中で、覚えてきた回答を確認した。


志望動機。


長所。


短所。


空白期間。


何が来ても大丈夫だ。


さあ、来い。


森田店長は履歴書に目を落とした。


「…………」


じっと読んでいる。


「…………」


……。


…………。


長いな。


どこを見ているんだろう。


学歴か?


やっぱり大学中退が気になるのか?


それとも職歴か?


俺は背筋を伸ばしたまま、次の質問を待った。


森田店長は履歴書の裏側まで確認している。


「……なるほどねえ」


小さく頷いた。


来るか?


「コンビニでアルバイトした経験はありますか?」


来たああああ!


想定内だ!


これは昨日、何度も練習した!


「はい! コンビニでの勤務経験はありませんが、さまざまな業務があることは理解しております!」


おお。


ちゃんと言えた。


「一つずつ着実に仕事を覚えて、丁寧に取り組んでいきたいと考えています!」


完璧。


噛まなかった。


森田店長は頷いた。


「ああ、そうですか。それはいいですね」


「はい!」


よし。


いい感じだ。


次は何だ?


志望動機か?


長所か?


森田店長は履歴書に視線を戻した。


「夜中の勤務は大丈夫ですか?」


おっ。


これも大丈夫だ。


「はい! 問題ありません!」


そもそも俺は夜型だ。


むしろ夜のほうが元気なくらいだ。


「週四日くらいは入れますか?」


「はい! 大丈夫です!」


「そうですか。助かりますねえ」


森田店長は履歴書を机に置いた。


そして、にこやかに言った。


「じゃあ、採用ということで」


「……はい!」


……。


…………。


「……え?」


採用?


今、採用って言った?


「うちも夜の時間帯は人が足りなくてねえ。ぜひお願いしたいと思います」


「……あっ、はい!」


え?


もう?


終わり?


「初出勤の日程については、こちらからお電話しますね」


「あっ、分かりました!」


「最初は覚えることが多いと思いますけど、少しずつ慣れてもらえれば大丈夫ですから」


「はい! 頑張ります!」


「では、今日はありがとうございました」


「あっ、こちらこそ! ありがとうございました!」


俺は立ち上がり、頭を下げた。


森田店長も笑顔で見送ってくれた。


バックヤードを出る。


店内を通り、入口へ向かう。


ピロリロリーン。


自動ドアが開いた。


「…………」


外へ出る。


「…………」


……。


…………。


「……受かった?」


今の、受かったんだよな?


採用って言ってたよな?


初出勤の電話をするって言ってたよな?


俺はスマホを取り出した。


午前十時十二分。


「……早っ!」


十二分!?


いや、実際に面接していたのは十分もなかったんじゃないか?


あれだけ準備したのに!


志望動機も聞かれなかった。


長所も聞かれなかった。


短所なんて、もちろん聞かれなかった。


空白期間についても、何も言われなかった。


「……なんだよ」


思わず笑ってしまった。


「……余裕じゃん!」


すげえ。


俺、すげえ。


面接って、こんなに簡単だったっけ?


しかも、その場で採用だぞ。


普通、結果は後日連絡しますとか言うものじゃないのか?


ということは。


「……相当、印象よかったんじゃね?」


そうだよな。


ちゃんと挨拶したし。


受け答えもできたし。


服装も問題なかったし。


髪も、まあ、ちゃんとしていたはずだ。


やっぱり準備しておいてよかった。


「……ふふっ」


俺は少し胸を張って歩き始めた。


考えてみれば、俺は昔から初対面の人には割と印象がいい。


最初だけは、結構ちゃんとできるんだ。


問題は、そのあとなんだよな。


しばらく付き合いが続くと、なぜか相手の期待がどんどん大きくなっていく。


こっちは最初と同じつもりなのに、いつの間にかがっかりされる。


……いや、勝手だろ、それ。


最初から、そんなに期待されても困るんだけど。


まあ、今回は大丈夫だろう。


コンビニの仕事なんだから、一つずつ覚えていけばいい。


「……しかし、余裕だったなあ」


ひょっとして、正社員の求人に応募してもよかったんじゃないか?


今なら結構いける気がする。


面接だって、ちゃんと準備すれば大丈夫なんだし。


……いや、まあいいか。


まずはコンビニだ。


いきなり無理をする必要はない。


百万円を貯めるのが目的なんだから。


「……よーし!」


なんだか足取りが軽かった。


これから毎月、給料が入る。


週四日で、夜勤なら時給もいいだろうし。


「……結構貯まるんじゃね?」


ふふ。


百万円、意外と早くいけるかもしれないな。


あの老人に会える日も、少し近づいた気がした。


「……最高じゃん!」


俺は久しぶりに、気分よく家へ向かった。


*


「ただいまー!」


誰もいない部屋に、少し大きな声で言ってみた。


もちろん、返事はない。


でも、今日は別に気にならなかった。


「……いやあ、やったなあ」


俺は買ったばかりのシャツを脱ぎ、ハンガーに掛けた。


面接終了。


採用決定。


もう、これ以上ないくらい順調だ。


「……とりあえずシャワー浴びるか」


面接中、結構汗をかいた。


自分では落ち着いていたつもりだったが、やっぱり緊張していたらしい。


まあ、無事に終わったんだからいい。


浴室へ向かう。


服を脱ぐ。


シャワーの蛇口をひねる。


ジャーッ。


水が出た。


「……ふぅ」


お湯になるまで少し待つ。


……。


…………。


「……ん?」


冷たい。


まだ水だ。


まあ、最初はこんなものだろう。


もう少し待つ。


……。


…………。


「……あれ?」


冷たい。


ずっと冷たい。


「あれ? おかしいな」


蛇口を一度止める。


もう一度ひねる。


ジャーッ。


冷たい。


「…………」


……なんで?


朝はちゃんとお湯が出たぞ?


朝、普通にシャワー浴びたじゃないか。


「……ちょっと待てよ」


給湯器のリモコンを確認する。


電源は入っている。


設定温度も問題ない。


なのに、水しか出ない。


「……ええええ?」


なんだよ。


なんなんだよ。


さっきまで、あんなにいい気分だったのに!


「……故障?」


まさか。


そんな。


とりあえず、電源を何度か入れ直してみた。


変わらない。


水のままだ。


「……くそっ!」


俺は仕方なくシャワーを止めた。


寒い。


めちゃくちゃ寒い。


いくら昼間とはいえ、もう十月も終わりだ。


水のシャワーなんて浴びられるわけがない。


「……なんだよ、もう」


浴室から出て、服を着直した。


どうする?


これ、どうすればいいんだ?


賃貸だから、勝手に修理を頼んでもいいのか分からない。


「……不動産屋に電話するか」


スマホを取り出し、管理会社の連絡先を探した。


「……もしもし」


事情を説明する。


朝までは普通にお湯が出ていたこと。


突然、水しか出なくなったこと。


リモコンは動いていること。


担当者は、給湯器の故障かもしれないと言った。


「……あー、やっぱりですか」


確認のため、ベランダにある給湯器を見てほしいと言われた。


俺は窓を開けた。


「あ、これか」


壁に取り付けられた四角い機械。


普段はシャワーを使うと、ここから「ボーッ」という音がする。


それが今は、妙に静かだった。


「……音、してないですね」


電話の向こうで、担当者が何かを確認している。


『本日中に業者を手配できるか確認しますね』


「あ、はい! お願いします!」


電話を切った。


「……ふぅ」


なんだよ。


今日、せっかく面接受かったのになあ。


まあ、給湯器が壊れたくらいで採用が取り消されるわけじゃない。


それに、賃貸なんだから修理代は大家さんが出してくれるはずだ。


俺が壊したわけじゃないし。


朝まで普通に使っていただけだ。


「……まあ、なんとかなるだろ」


しばらくすると、管理会社から電話があった。


午後にはガスの業者が来られるらしい。


「……おお、助かる!」


今日中に来てくれるなら、ありがたい。


何日もシャワーを浴びられないなんて、さすがに困る。


しかも、これから仕事が始まるんだ。


清潔感は大事だからな。


「……よし、待つか」


俺はゲームを起動した。


……。


…………。


「……いや、待てよ」


業者が来るんだった。


ゲームに夢中になって、チャイムに気づかなかったら困る。


「……動画にしとくか」


音量を小さくして、適当な動画を流した。


今日はなかなか忙しい。


*


午後。


ピンポーン。


「……おっ、来た!」


玄関を開けると、作業着を着た男性が立っていた。


「給湯器の点検に伺いました」


「あ、はい! お願いします!」


業者の男性をベランダへ案内した。


工具を取り出し、給湯器を確認している。


カバーを開ける。


リモコンを操作する。


何かを測っている。


しばらくすると、男性がこちらを向いた。


「……ああ、これは故障していますね」


「やっぱりですか!」


「そうですね。内部の部品が動いていないようです」


「……あー」


壊れてるのか。


本当に。


「これ、直ります?」


「修理より交換になると思います。ただ、今日は新品の手配が間に合わないので」


男性は持ってきた機材を指さした。


「応急用の中古機がありますから、管理会社の了承もいただいていますし、ひとまずこちらに交換しておきますね」


「えっ、そんなことできるんですか?」


「はい。正式な交換は後日になると思います」


「おお! 助かります!」


なんだ。


よかったじゃないか。


今日中にお湯が使えるようになるんだ。


男性は手際よく作業を進めていった。


俺には何をしているのか、さっぱり分からない。


でも、工具を使って配管をつなぎ、何かを確認している姿は、いかにもプロという感じだった。


「……すげえなあ」


思わず呟いた。


こういう仕事ができる人って、格好いいよな。


俺には絶対無理だ。


……いや、給料がよかったら考えてもいいかもしれないけど。


でも、ガスとか怖いしな。


やっぱりコンビニでいいや。


しばらくして、男性が声をかけてきた。


「一度、お湯を出してみてもらえますか?」


「あ、はい!」


俺は浴室へ向かった。


シャワーをひねる。


ジャーッ。


最初は水だった。


だが、しばらくすると。


「……おっ!」


温かい。


お湯だ!


「出ました! お湯!」


「はい、大丈夫そうですね」


「ありがとうございます!」


いやあ、助かった。


これでシャワーを浴びられる。


本当によかった。


男性は工具を片づけながら、説明を始めた。


正式な交換は後日になること。


今回の応急対応で、とりあえずお湯は使えること。


給湯器本体の交換費用は、管理会社を通じて大家さん側で負担すること。


「……あ、そうなんですね」


よかった。


金はかからない。


俺は少し安心した。


ところが。


「あ、それとですね」


「……はい?」


「故障した機器の撤去処分費なんですが、三千円ほど別途かかるという案内になっていまして」


「…………え?」


三千円?


「……え、俺がですか?」


「こちらの案内では、入居者様にお願いすることになっているんですが……」


「……いや、でも、給湯器って大家さんのものですよね?」


「そうですね」


「それなのに、俺が払うんですか?」


「本体の交換については大家さんの負担なんですが、撤去処分費は別という話になっていまして」


「……え?」


ちょっと待ってくれ。


どういうことだ?


大家さんの給湯器が壊れた。


だから大家さんが交換する。


でも、壊れた給湯器を捨てる金は俺が払う?


「……それも大家さんじゃないんですか?」


「そう思われますよね。ただ、私も管理会社から受けた案内なので、詳しい負担については確認していただいたほうがいいと思います」


「……あー」


なんだよ、それ。


俺は何もしてないぞ。


普通にシャワー浴びようとしただけだぞ。


「……三千円かあ」


なんとも微妙な金額だ。


十万円とか言われたら、絶対おかしいって思う。


でも、三千円。


払えないほどじゃない。


……いや、今は払えないんだけど。


「……ちなみに、今日払わないとダメですか?」


「いえ、すぐにお支払いいただく必要はありません。まず管理会社に確認してみてください」


「あ、そうですか」


少し安心した。


男性は金額と振込先が書かれた案内用紙を渡してきた。


「では、何かありましたらご連絡ください」


「……分かりました。ありがとうございました」


男性は工具を持って帰っていった。


玄関のドアを閉める。


「…………」


三千円。


俺は手元の紙を見つめた。


……。


…………。


「……くそっ!」


なんでだよ!


なんで俺が払うんだよ!


俺は壊してないぞ!


朝まで普通に使えていたんだぞ!


「……あー、もう!」


これ、管理会社にもう一回聞いたほうがいいよな。


さっきの業者さんも、確認していいって言ってたし。


……。


でも、また電話か。


説明するのも面倒くさいな。


「……まあ、後でいいか」


とりあえず今は、お湯が出る。


それが一番大事だ。


正式な交換のときに、もう一回確認してみよう。


三千円も、今すぐ払えと言われたわけじゃない。


「……よし」


俺は紙を机に置いた。


そして、もう一度シャワーを浴びに行った。


ジャーッ。


温かいお湯が出る。


「……ああああ」


気持ちいい。


本当に気持ちいい。


さっきまで、こんな当たり前のことができなかったんだよな。


「……いやあ、助かった」


頭を洗う。


体を洗う。


ようやく、面接のときの汗が流れていく。


「……ふぅぅ」


最高だ。


シャワーって、こんなに気持ちよかったっけ。


それにしても、今日は大変だったな。


朝六時に起きた。


コンビニへ行った。


面接を受けた。


その場で採用された。


帰ってきたら給湯器が壊れていた。


業者を呼んだ。


交換してもらった。


そして、三千円を請求されかけた。


「…………」


……。


…………。


「……いや、でもさ」


考えてみれば、悪い日じゃない。


だって、バイトに受かったんだぞ。


あれだけ心配していた面接を、あっさり突破した。


しかも、その場で採用だ。


給湯器だって、今日中に直してもらえた。


普通なら何日もかかるかもしれないのに。


「……そうだよな」


結果的には、全部うまくいってるじゃないか。


三千円は、まあ、ちょっと気になるけど。


でも、これから俺は働くんだ。


働けば三千円くらい、すぐに取り戻せる。


「……ふふっ」


なんだ。


全然問題ないじゃないか。


俺はシャワーを止めた。


タオルで体を拭きながら、少し笑ってしまった。


「……俺、結構いけるな」


仕事も決まった。


給湯器も直った。


これから給料だって入る。


百万円への道は、ちゃんと始まっている。


「……よし!」


あとは初出勤の連絡を待つだけだ。


それまでに、コンビニの仕事を少し調べておこうかな。


レジの操作。


宅配便の受付。


公共料金の支払い。


覚えることは多そうだけど、まあなんとかなるだろう。


面接だって、あれだけ簡単だったんだから。


「……ふふ」


俺は部屋に戻り、ベッドに腰を下ろした。


スマホを手に取る。


小田のSNSを開いた。


相変わらず、仕事や勉強の投稿が並んでいる。


「……小田、俺も働くことになったぞ」


もちろん、本人にメッセージを送ったわけじゃない。


ただ、画面に向かって呟いただけだ。


それでも、少し嬉しかった。


「……待ってろよ、あの頃」


百万円。


まだまだ遠い。


でも、もう大丈夫な気がする。


まずはコンビニでしっかり働こう。


夜勤だから朝早く起きる必要もない。


家からも近い。


それに森田店長も優しそうだった。


なかなかいい職場を見つけたんじゃないか?


「……楽しみだなあ」


俺はスマホを置いた。


今日はもう十分頑張った。


明日からは、また忙しくなるかもしれない。


だから、今日はゆっくり休もう。


そうだ。


ゲームでもするか。


……。


…………。


「……いや、今日は動画でいいかな」


俺はベッドに寝転がった。


天井を見上げる。


あの老人が突然現れた日のことを思い出す。


『ならば、まず百万円を貯めてみせろ』


「……ふふ」


ちゃんとやってるぞ。


俺。


仕事も決まった。


あとは働いて、百万円を貯めるだけだ。


そうしたら、またあの教室に戻れる。


小田にも会える。


昔の彼女にも会える。


今度こそ、ちゃんと笑って話せるはずだ。


「……最高じゃん」


俺は小さく笑った。


ふと、机の上に目をやる。


さっき渡された、三千円の案内用紙が置いてあった。


「…………」


……。


「……明日、電話するか」


俺は目を閉じた。


今日は本当に、いい日だった。

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