採用されたのに、三千円。
ピピピピピピッ。
「……んあ?」
目覚ましが鳴っている。
枕元のスマホを手探りでつかみ、画面を確認する。
午前六時。
「…………」
眠い。
めちゃくちゃ眠い。
普段なら、まだ夢の中にいる時間だ。
というか、普段はあと六時間くらい寝ている。
でも、今日は違う。
今日はコンビニの面接がある。
午前十時。
絶対に寝坊するわけにはいかない。
「……よし」
俺は目覚ましを止め、なんとか体を起こした。
……。
…………。
「……早すぎたな」
分かっている。
さすがに六時は早かった。
面接場所までは歩いて行ける距離だし、九時に起きても十分に間に合う。
でも、もし寝坊したらどうする?
せっかく服まで買って、履歴書も書いて、髪まで切ったんだ。
ここで寝坊したら、今までの苦労が全部無駄になる。
それだけは避けたい。
「……まあ、寝坊するよりはましか」
それに、時間があるなら面接対策をもう一度確認できる。
昨日はかなり練習した。
ネットでよく聞かれる質問を調べて、自分なりに回答を考え、何度も声に出して覚えた。
俺は記憶力が特別いいわけじゃない。
突然何かを聞かれて、すぐに気の利いた答えが出てくるタイプでもない。
だから、反復練習だ。
何度も繰り返して、頭に染み込ませる。
これが一番、俺に合っている。
「……よし、やるか」
机の上に置いてあったノートを開く。
『志望動機を教えてください』
「はい。自宅から近く、通勤しやすいため、長く勤務できると考え応募しました」
……うん。
問題ない。
『あなたの長所は何ですか?』
「一つの作業に集中して、丁寧に取り組めることです」
これも大丈夫だ。
『あなたの短所は何ですか?』
「慎重に考えすぎるところがありますが、事前に準備することで、落ち着いて行動できるよう心がけています」
「……おお」
我ながら、よくできた回答だと思う。
実際、今日は四時間も前に起きている。
事前準備という点では、十分すぎるくらいだ。
ほかにも、空白期間について聞かれた場合の答えや、勤務可能な曜日についても確認した。
「……完璧だな」
まあ、いってもコンビニのアルバイトだ。
ここまで準備する必要はないのかもしれない。
でも、今回の面接は俺にとって大事な第一歩だ。
ここから働いて、お金を稼ぐ。
百万円を貯める。
そうすれば、あの頃に戻れる。
「……ふふ」
考えるだけで嬉しくなってくる。
ようやく俺の人生が動き出す。
大学時代に戻ったら、今度こそちゃんと卒業しよう。
友達とも遊ぼう。
就職活動だって、きちんとやる。
そのためにも、まずは今日の面接だ。
「……よし!」
俺はノートを閉じた。
まだ七時にもなっていない。
朝飯でも食うか。
冷蔵庫を開けると、食パンと卵が残っていた。
トーストと目玉焼き。
十分だろう。
フライパンを取り出して、卵を割る。
ジュウッ。
「……なんか、いいな」
朝早く起きて、朝食を作って、これから仕事の面接に行く。
こういう生活も、なかなか悪くない。
朝食を済ませたあと、シャワーを浴びた。
昨日買った紺色のシャツと黒いズボンに着替える。
鏡を見る。
「……おお」
いいじゃないか。
ちゃんとして見える。
ズボンは少しきつい気もするが、普通に歩けるし問題ない。
髪も自分で切ったばかりだ。
前髪の右側が若干短い。
……いや、そんなに目立たないだろ。
写真と少しくらい違っても、同じ人間なんだし。
「……うん、大丈夫」
履歴書を確認する。
財布。
スマホ。
忘れ物はない。
あとは時間まで待つだけだ。
俺はもう一度、面接対策のノートを開いた。
*
午前九時三十分。
俺はコンビニの前にいた。
「……早く着きすぎたな」
まあ、遅刻するよりはいい。
ただ、三十分も前に入るのはさすがに早いだろう。
店の前でずっと立っているのも変だしな。
少し離れた場所へ移動して、スマホを取り出した。
面接対策の最終確認だ。
志望動機。
問題なし。
長所。
問題なし。
短所。
問題なし。
空白期間。
……まあ、大丈夫だろう。
時計を見る。
九時四十二分。
「……まだか」
九時四十六分。
「…………」
九時四十九分。
「……よし!」
九時五十分。
そろそろいいだろう。
俺はスマホをポケットにしまい、コンビニへ向かった。
自動ドアが開く。
ピロリロリーン。
「いらっしゃいませー!」
レジにいた店員が声をかけてきた。
俺はそのままレジへ向かった。
「お、おはようございます!」
「あ、おはようございます」
「十時に面接のお約束をしている者なんですが……」
「ああ、はい! 面接の方ですね!」
店員はすぐに理解してくれた。
「こちらへどうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
案内されたのは、店の奥にあるバックヤードだった。
小さな机と椅子が置いてある。
壁にはシフト表や、何かの連絡事項が貼られていた。
周囲には段ボールが積まれている。
「こちらで少々お待ちください」
「はい、ありがとうございます!」
椅子に座る。
「…………」
……ここで面接するのか?
てっきり、もっとちゃんとした部屋があるものだと思っていた。
いや、コンビニなんだから、こんなものなのかもしれないけど。
それにしても。
すぐ近くに、ほかのアルバイトらしき人がいる。
段ボールを開ける音が聞こえるし、店内の声も普通に聞こえてくる。
「……丸聞こえじゃね?」
俺の志望動機とか、長所とか、全部聞かれるんじゃないか?
大学を中退した理由なんて聞かれたらどうするんだ。
ほかの店員にも聞こえるだろ。
プライバシーとか、どうなってるんだろう。
……まあ、いいか。
面接に集中しよう。
俺は背筋を伸ばした。
しばらくすると、一人の男性が入ってきた。
五十代くらいだろうか。
穏やかな顔をした、少しふっくらとしたおじさんだった。
「おはようございます!」
俺はすぐに立ち上がった。
「ああ、おはようございます。今日はありがとうございます」
男性はにこやかに笑った。
「店長の森田です。よろしくお願いします」
「あ、よろしくお願いします!」
「どうぞ、座ってください」
「はい!」
俺は椅子に座った。
森田店長も向かい側に腰を下ろす。
「いやあ、朝は冷えるねえ」
「あっ、そうですね!」
「もう十月も終わるからねえ。朝晩は寒くなってきたよ」
「そうですねえ!」
「今日は歩いて来られたの?」
「あ、はい! 家が近いので!」
「それはいいねえ」
森田店長は笑いながら履歴書を受け取った。
「じゃあ、面接を始めさせてもらいますね」
「はい! よろしくお願いします!」
……よし。
始まった。
俺は頭の中で、覚えてきた回答を確認した。
志望動機。
長所。
短所。
空白期間。
何が来ても大丈夫だ。
さあ、来い。
森田店長は履歴書に目を落とした。
「…………」
じっと読んでいる。
「…………」
……。
…………。
長いな。
どこを見ているんだろう。
学歴か?
やっぱり大学中退が気になるのか?
それとも職歴か?
俺は背筋を伸ばしたまま、次の質問を待った。
森田店長は履歴書の裏側まで確認している。
「……なるほどねえ」
小さく頷いた。
来るか?
「コンビニでアルバイトした経験はありますか?」
来たああああ!
想定内だ!
これは昨日、何度も練習した!
「はい! コンビニでの勤務経験はありませんが、さまざまな業務があることは理解しております!」
おお。
ちゃんと言えた。
「一つずつ着実に仕事を覚えて、丁寧に取り組んでいきたいと考えています!」
完璧。
噛まなかった。
森田店長は頷いた。
「ああ、そうですか。それはいいですね」
「はい!」
よし。
いい感じだ。
次は何だ?
志望動機か?
長所か?
森田店長は履歴書に視線を戻した。
「夜中の勤務は大丈夫ですか?」
おっ。
これも大丈夫だ。
「はい! 問題ありません!」
そもそも俺は夜型だ。
むしろ夜のほうが元気なくらいだ。
「週四日くらいは入れますか?」
「はい! 大丈夫です!」
「そうですか。助かりますねえ」
森田店長は履歴書を机に置いた。
そして、にこやかに言った。
「じゃあ、採用ということで」
「……はい!」
……。
…………。
「……え?」
採用?
今、採用って言った?
「うちも夜の時間帯は人が足りなくてねえ。ぜひお願いしたいと思います」
「……あっ、はい!」
え?
もう?
終わり?
「初出勤の日程については、こちらからお電話しますね」
「あっ、分かりました!」
「最初は覚えることが多いと思いますけど、少しずつ慣れてもらえれば大丈夫ですから」
「はい! 頑張ります!」
「では、今日はありがとうございました」
「あっ、こちらこそ! ありがとうございました!」
俺は立ち上がり、頭を下げた。
森田店長も笑顔で見送ってくれた。
バックヤードを出る。
店内を通り、入口へ向かう。
ピロリロリーン。
自動ドアが開いた。
「…………」
外へ出る。
「…………」
……。
…………。
「……受かった?」
今の、受かったんだよな?
採用って言ってたよな?
初出勤の電話をするって言ってたよな?
俺はスマホを取り出した。
午前十時十二分。
「……早っ!」
十二分!?
いや、実際に面接していたのは十分もなかったんじゃないか?
あれだけ準備したのに!
志望動機も聞かれなかった。
長所も聞かれなかった。
短所なんて、もちろん聞かれなかった。
空白期間についても、何も言われなかった。
「……なんだよ」
思わず笑ってしまった。
「……余裕じゃん!」
すげえ。
俺、すげえ。
面接って、こんなに簡単だったっけ?
しかも、その場で採用だぞ。
普通、結果は後日連絡しますとか言うものじゃないのか?
ということは。
「……相当、印象よかったんじゃね?」
そうだよな。
ちゃんと挨拶したし。
受け答えもできたし。
服装も問題なかったし。
髪も、まあ、ちゃんとしていたはずだ。
やっぱり準備しておいてよかった。
「……ふふっ」
俺は少し胸を張って歩き始めた。
考えてみれば、俺は昔から初対面の人には割と印象がいい。
最初だけは、結構ちゃんとできるんだ。
問題は、そのあとなんだよな。
しばらく付き合いが続くと、なぜか相手の期待がどんどん大きくなっていく。
こっちは最初と同じつもりなのに、いつの間にかがっかりされる。
……いや、勝手だろ、それ。
最初から、そんなに期待されても困るんだけど。
まあ、今回は大丈夫だろう。
コンビニの仕事なんだから、一つずつ覚えていけばいい。
「……しかし、余裕だったなあ」
ひょっとして、正社員の求人に応募してもよかったんじゃないか?
今なら結構いける気がする。
面接だって、ちゃんと準備すれば大丈夫なんだし。
……いや、まあいいか。
まずはコンビニだ。
いきなり無理をする必要はない。
百万円を貯めるのが目的なんだから。
「……よーし!」
なんだか足取りが軽かった。
これから毎月、給料が入る。
週四日で、夜勤なら時給もいいだろうし。
「……結構貯まるんじゃね?」
ふふ。
百万円、意外と早くいけるかもしれないな。
あの老人に会える日も、少し近づいた気がした。
「……最高じゃん!」
俺は久しぶりに、気分よく家へ向かった。
*
「ただいまー!」
誰もいない部屋に、少し大きな声で言ってみた。
もちろん、返事はない。
でも、今日は別に気にならなかった。
「……いやあ、やったなあ」
俺は買ったばかりのシャツを脱ぎ、ハンガーに掛けた。
面接終了。
採用決定。
もう、これ以上ないくらい順調だ。
「……とりあえずシャワー浴びるか」
面接中、結構汗をかいた。
自分では落ち着いていたつもりだったが、やっぱり緊張していたらしい。
まあ、無事に終わったんだからいい。
浴室へ向かう。
服を脱ぐ。
シャワーの蛇口をひねる。
ジャーッ。
水が出た。
「……ふぅ」
お湯になるまで少し待つ。
……。
…………。
「……ん?」
冷たい。
まだ水だ。
まあ、最初はこんなものだろう。
もう少し待つ。
……。
…………。
「……あれ?」
冷たい。
ずっと冷たい。
「あれ? おかしいな」
蛇口を一度止める。
もう一度ひねる。
ジャーッ。
冷たい。
「…………」
……なんで?
朝はちゃんとお湯が出たぞ?
朝、普通にシャワー浴びたじゃないか。
「……ちょっと待てよ」
給湯器のリモコンを確認する。
電源は入っている。
設定温度も問題ない。
なのに、水しか出ない。
「……ええええ?」
なんだよ。
なんなんだよ。
さっきまで、あんなにいい気分だったのに!
「……故障?」
まさか。
そんな。
とりあえず、電源を何度か入れ直してみた。
変わらない。
水のままだ。
「……くそっ!」
俺は仕方なくシャワーを止めた。
寒い。
めちゃくちゃ寒い。
いくら昼間とはいえ、もう十月も終わりだ。
水のシャワーなんて浴びられるわけがない。
「……なんだよ、もう」
浴室から出て、服を着直した。
どうする?
これ、どうすればいいんだ?
賃貸だから、勝手に修理を頼んでもいいのか分からない。
「……不動産屋に電話するか」
スマホを取り出し、管理会社の連絡先を探した。
「……もしもし」
事情を説明する。
朝までは普通にお湯が出ていたこと。
突然、水しか出なくなったこと。
リモコンは動いていること。
担当者は、給湯器の故障かもしれないと言った。
「……あー、やっぱりですか」
確認のため、ベランダにある給湯器を見てほしいと言われた。
俺は窓を開けた。
「あ、これか」
壁に取り付けられた四角い機械。
普段はシャワーを使うと、ここから「ボーッ」という音がする。
それが今は、妙に静かだった。
「……音、してないですね」
電話の向こうで、担当者が何かを確認している。
『本日中に業者を手配できるか確認しますね』
「あ、はい! お願いします!」
電話を切った。
「……ふぅ」
なんだよ。
今日、せっかく面接受かったのになあ。
まあ、給湯器が壊れたくらいで採用が取り消されるわけじゃない。
それに、賃貸なんだから修理代は大家さんが出してくれるはずだ。
俺が壊したわけじゃないし。
朝まで普通に使っていただけだ。
「……まあ、なんとかなるだろ」
しばらくすると、管理会社から電話があった。
午後にはガスの業者が来られるらしい。
「……おお、助かる!」
今日中に来てくれるなら、ありがたい。
何日もシャワーを浴びられないなんて、さすがに困る。
しかも、これから仕事が始まるんだ。
清潔感は大事だからな。
「……よし、待つか」
俺はゲームを起動した。
……。
…………。
「……いや、待てよ」
業者が来るんだった。
ゲームに夢中になって、チャイムに気づかなかったら困る。
「……動画にしとくか」
音量を小さくして、適当な動画を流した。
今日はなかなか忙しい。
*
午後。
ピンポーン。
「……おっ、来た!」
玄関を開けると、作業着を着た男性が立っていた。
「給湯器の点検に伺いました」
「あ、はい! お願いします!」
業者の男性をベランダへ案内した。
工具を取り出し、給湯器を確認している。
カバーを開ける。
リモコンを操作する。
何かを測っている。
しばらくすると、男性がこちらを向いた。
「……ああ、これは故障していますね」
「やっぱりですか!」
「そうですね。内部の部品が動いていないようです」
「……あー」
壊れてるのか。
本当に。
「これ、直ります?」
「修理より交換になると思います。ただ、今日は新品の手配が間に合わないので」
男性は持ってきた機材を指さした。
「応急用の中古機がありますから、管理会社の了承もいただいていますし、ひとまずこちらに交換しておきますね」
「えっ、そんなことできるんですか?」
「はい。正式な交換は後日になると思います」
「おお! 助かります!」
なんだ。
よかったじゃないか。
今日中にお湯が使えるようになるんだ。
男性は手際よく作業を進めていった。
俺には何をしているのか、さっぱり分からない。
でも、工具を使って配管をつなぎ、何かを確認している姿は、いかにもプロという感じだった。
「……すげえなあ」
思わず呟いた。
こういう仕事ができる人って、格好いいよな。
俺には絶対無理だ。
……いや、給料がよかったら考えてもいいかもしれないけど。
でも、ガスとか怖いしな。
やっぱりコンビニでいいや。
しばらくして、男性が声をかけてきた。
「一度、お湯を出してみてもらえますか?」
「あ、はい!」
俺は浴室へ向かった。
シャワーをひねる。
ジャーッ。
最初は水だった。
だが、しばらくすると。
「……おっ!」
温かい。
お湯だ!
「出ました! お湯!」
「はい、大丈夫そうですね」
「ありがとうございます!」
いやあ、助かった。
これでシャワーを浴びられる。
本当によかった。
男性は工具を片づけながら、説明を始めた。
正式な交換は後日になること。
今回の応急対応で、とりあえずお湯は使えること。
給湯器本体の交換費用は、管理会社を通じて大家さん側で負担すること。
「……あ、そうなんですね」
よかった。
金はかからない。
俺は少し安心した。
ところが。
「あ、それとですね」
「……はい?」
「故障した機器の撤去処分費なんですが、三千円ほど別途かかるという案内になっていまして」
「…………え?」
三千円?
「……え、俺がですか?」
「こちらの案内では、入居者様にお願いすることになっているんですが……」
「……いや、でも、給湯器って大家さんのものですよね?」
「そうですね」
「それなのに、俺が払うんですか?」
「本体の交換については大家さんの負担なんですが、撤去処分費は別という話になっていまして」
「……え?」
ちょっと待ってくれ。
どういうことだ?
大家さんの給湯器が壊れた。
だから大家さんが交換する。
でも、壊れた給湯器を捨てる金は俺が払う?
「……それも大家さんじゃないんですか?」
「そう思われますよね。ただ、私も管理会社から受けた案内なので、詳しい負担については確認していただいたほうがいいと思います」
「……あー」
なんだよ、それ。
俺は何もしてないぞ。
普通にシャワー浴びようとしただけだぞ。
「……三千円かあ」
なんとも微妙な金額だ。
十万円とか言われたら、絶対おかしいって思う。
でも、三千円。
払えないほどじゃない。
……いや、今は払えないんだけど。
「……ちなみに、今日払わないとダメですか?」
「いえ、すぐにお支払いいただく必要はありません。まず管理会社に確認してみてください」
「あ、そうですか」
少し安心した。
男性は金額と振込先が書かれた案内用紙を渡してきた。
「では、何かありましたらご連絡ください」
「……分かりました。ありがとうございました」
男性は工具を持って帰っていった。
玄関のドアを閉める。
「…………」
三千円。
俺は手元の紙を見つめた。
……。
…………。
「……くそっ!」
なんでだよ!
なんで俺が払うんだよ!
俺は壊してないぞ!
朝まで普通に使えていたんだぞ!
「……あー、もう!」
これ、管理会社にもう一回聞いたほうがいいよな。
さっきの業者さんも、確認していいって言ってたし。
……。
でも、また電話か。
説明するのも面倒くさいな。
「……まあ、後でいいか」
とりあえず今は、お湯が出る。
それが一番大事だ。
正式な交換のときに、もう一回確認してみよう。
三千円も、今すぐ払えと言われたわけじゃない。
「……よし」
俺は紙を机に置いた。
そして、もう一度シャワーを浴びに行った。
ジャーッ。
温かいお湯が出る。
「……ああああ」
気持ちいい。
本当に気持ちいい。
さっきまで、こんな当たり前のことができなかったんだよな。
「……いやあ、助かった」
頭を洗う。
体を洗う。
ようやく、面接のときの汗が流れていく。
「……ふぅぅ」
最高だ。
シャワーって、こんなに気持ちよかったっけ。
それにしても、今日は大変だったな。
朝六時に起きた。
コンビニへ行った。
面接を受けた。
その場で採用された。
帰ってきたら給湯器が壊れていた。
業者を呼んだ。
交換してもらった。
そして、三千円を請求されかけた。
「…………」
……。
…………。
「……いや、でもさ」
考えてみれば、悪い日じゃない。
だって、バイトに受かったんだぞ。
あれだけ心配していた面接を、あっさり突破した。
しかも、その場で採用だ。
給湯器だって、今日中に直してもらえた。
普通なら何日もかかるかもしれないのに。
「……そうだよな」
結果的には、全部うまくいってるじゃないか。
三千円は、まあ、ちょっと気になるけど。
でも、これから俺は働くんだ。
働けば三千円くらい、すぐに取り戻せる。
「……ふふっ」
なんだ。
全然問題ないじゃないか。
俺はシャワーを止めた。
タオルで体を拭きながら、少し笑ってしまった。
「……俺、結構いけるな」
仕事も決まった。
給湯器も直った。
これから給料だって入る。
百万円への道は、ちゃんと始まっている。
「……よし!」
あとは初出勤の連絡を待つだけだ。
それまでに、コンビニの仕事を少し調べておこうかな。
レジの操作。
宅配便の受付。
公共料金の支払い。
覚えることは多そうだけど、まあなんとかなるだろう。
面接だって、あれだけ簡単だったんだから。
「……ふふ」
俺は部屋に戻り、ベッドに腰を下ろした。
スマホを手に取る。
小田のSNSを開いた。
相変わらず、仕事や勉強の投稿が並んでいる。
「……小田、俺も働くことになったぞ」
もちろん、本人にメッセージを送ったわけじゃない。
ただ、画面に向かって呟いただけだ。
それでも、少し嬉しかった。
「……待ってろよ、あの頃」
百万円。
まだまだ遠い。
でも、もう大丈夫な気がする。
まずはコンビニでしっかり働こう。
夜勤だから朝早く起きる必要もない。
家からも近い。
それに森田店長も優しそうだった。
なかなかいい職場を見つけたんじゃないか?
「……楽しみだなあ」
俺はスマホを置いた。
今日はもう十分頑張った。
明日からは、また忙しくなるかもしれない。
だから、今日はゆっくり休もう。
そうだ。
ゲームでもするか。
……。
…………。
「……いや、今日は動画でいいかな」
俺はベッドに寝転がった。
天井を見上げる。
あの老人が突然現れた日のことを思い出す。
『ならば、まず百万円を貯めてみせろ』
「……ふふ」
ちゃんとやってるぞ。
俺。
仕事も決まった。
あとは働いて、百万円を貯めるだけだ。
そうしたら、またあの教室に戻れる。
小田にも会える。
昔の彼女にも会える。
今度こそ、ちゃんと笑って話せるはずだ。
「……最高じゃん」
俺は小さく笑った。
ふと、机の上に目をやる。
さっき渡された、三千円の案内用紙が置いてあった。
「…………」
……。
「……明日、電話するか」
俺は目を閉じた。
今日は本当に、いい日だった。




