第七話 信頼
一ヶ月無断で連載休止してしまい、大変申し訳ございませんでした。再度また連載の方は再開していきますので、仮面少女の応援引き続きお願いいたします!
少しずつ足音が近づいてくる。
「いた……」
私は覚悟を決めたつもりだった。けれど、実際に怪物を目の前にすると、その覚悟は簡単に揺らいでしまう。
(ぐわぁぁぁぁ!)
怪物が雄叫びを上げた。
体は私より少し大きく、ずっしりとした体格をしている。大きな目をしているが、見た目だけなら、前に戦った怪物と大きな違いはない。
けれど、ひとつだけ気になることがあった。
その目が、どこか悲しそうだったのだ。
(どうして……?)
一瞬、そんな疑問が頭をよぎった。
けれど、今はそんなことを考えている場合じゃない。
私は拳を握り、戦いの構えを取った。
「負けない!」
自分に言い聞かせるように叫ぶ。
怪物がこちらへ向かってくる。
動きはそれほど速くない。これなら、私でも攻撃を避けられるかもしれない。
私は怪物の動きを見極め、攻撃をかわした。
そして、一瞬だけ生まれた隙を見逃さず、怪物の腹に蹴りを入れた。
「やあぁぁぁ!」
手応えはあった。
私はいける、と思った。
けれど――。
怪物は、ほとんど動じなかった。
「えっ……?」
驚いた瞬間、怪物の拳が迫ってきた。
避ける間もなかった。
「ぐはっ!」
体が宙に浮き、そのまま地面に叩きつけられた。
「痛い……!」
腹部に激痛が走る。
私は痛みに耐えながら、お腹を抱えて丸まった。息を吸おうとしても、うまく吸えない。
その隙を、怪物は見逃してくれなかった。
ドンッ!
「ぐあぁっ!」
怪物の蹴りが、私の体に叩き込まれた。
「や、やめ……!」
声を出すのも精いっぱいだった。
体中が痛い。少し動くだけでも、全身に激痛が走る。
口の中に、鉄のような味が広がった。
私の体からは大量の血が流れ出ていた。
前回の戦いとは比べものにならない。
(このままじゃ……本当に負ける)
怪物がゆっくりと近づいてくる。
私は立ち上がろうとした。けれど、足に力が入らない。
「どうしよう……。このままじゃ、負けちゃう……」
せっかく覚悟を決めたのに。
もう、負の感情になんか飲み込まれないと決めたのに。
何も変わっていないじゃないか。
私は、悔しかった。
怪物が怖いことも、自分が傷ついていることも、もちろん怖い。
でも、それ以上に、何もできない自分が悔しかった。
「小雪! 仮面の力を使うんだ!」
遠くからマルファスの声が聞こえた。
「相手の負のエネルギーを減らせれば、怪物も弱体化するはずだ!」
(仮面の力……)
私は痛みに耐えながら、必死に意識を集中させた。
仮面を通じて、怪物の内側にある何かを感じ取ろうとする。
すると、どす黒い感情のようなものが、怪物の中に渦巻いているのが分かった。
憎しみ。怒り。そして、深い悲しみ。
その感情に触れた瞬間、私は思い出した。
初めて怪物と戦ったときも、仮面を通じて相手の思いが流れ込んできたことを。
怪物は、ただ人間を襲っているだけの存在ではない。
かつては、私たちと同じ人間だったのだ。
私は、怪物の顔を見た。
やっぱり、悲しそうな目をしている。
「……どうして、そんな目をしているの?」
思わず、問いかけていた。
怪物の動きが止まった。
すると、仮面を通じて、頭の中に声が響いてきた。
『俺が人間だった頃は、誰からも信用されていなかった』
低く、震えるような声だった。
『何をするにしても、みんなに笑われていた。何かを頑張っても、失敗すれば馬鹿にされる。うまくいったって、誰も認めてくれなかった』
私は黙って、その声を聞いていた。
『俺を産んだ親でさえ、こう言ったんだ』
『お前には何も頼まないし、期待もしていない』
『……そんなことまで言われた』
怪物の声が震えた。
『俺が何をしたっていうんだよ』
『俺は、ただ普通に生きたかっただけなんだ』
その声には、怒りだけではなく、どうしようもない悲しみがにじんでいた。
『周りから信頼されるように、できるだけ相手に合わせた。嫌われないように、笑われないように、みんなが望むことをしようとした』
『けど、何をしたって駄目だった。結局、俺は笑われて、馬鹿にされて……』
『俺はどうすればよかったんだよ!』
怪物の叫びが、頭の中に響き渡った。
『俺の何が悪かったんだよ! 俺の何が信用できないんだよ!』
『許せない……。俺を認めなかった奴らが、許せない!』
『周りに受け入れてもらえることは、そんなに難しいことなのか?』
『なぁ……教えてくれよ!』
怪物の悲痛な叫びが、私の心に突き刺さった。
誰からも信用されない。
その辛さが、私には完全には分からなかった。
けれど、誰にも認めてもらえない苦しさなら、少しだけ分かる気がした。
私は、部活動で一生懸命に頑張っていた。
それなのに、私の努力は認めてもらえなかった。
頑張っても、頑張っても、何も変わらなかった。
あのときの悔しさを、私は今でも覚えている。
だからこそ、目の前の怪物を、ただ恐ろしい存在だとは思えなかった。
「……うん」
私は、ゆっくりと口を開いた。
「信頼されないって、とても辛いよね」
怪物は何も言わなかった。
「誰にも認めてもらえないと、自分が何のために生きているのかさえ、分からなくなっちゃうことがあると思う」
私は、怪物の目を見つめた。
「私にも、似たような経験があるんだ。部活で一生懸命に頑張っていたのに、全然認めてもらえなかった」
言葉にするだけで、胸が苦しくなった。
あの頃の私は、誰かに自分の努力を認めてほしかった。
ただ、それだけだった。
「でも……あなたがどんな気持ちで過ごしてきたのか、私には全部は分からない。だから、簡単に分かったなんて言えない」
怪物の大きな目が、わずかに揺れた。
「それでも、あなたがずっと苦しかったことは、伝わってきたよ」
私は、ゆっくりと怪物に近づいた。
「あなたは、誰かに認めてもらいたかったんだよね?」
『……認められたい?』
怪物が、聞き返した。
その声には、戸惑いが混じっていた。
まるで、そんな気持ちを持つことすら許されていなかったかのように。
「うん」
私は頷いた。
「だから……私が、あなたを認める」
怪物は何も答えなかった。
本当に信じていいのか、分からないのだろう。
無理もない。
今まで誰にも信じてもらえなかったのなら、突然そんなことを言われても、すぐに信じられるはずがない。
それでも、私は言葉を続けた。
「もし人間に戻って、また出会うことができたら……あなたと一緒に何かをしたい」
「……本当に?」
怪物の声が、小さく響いた。
「うん。本当だよ」
私は、怪物から目をそらさなかった。
「私は、あなたと一緒に何かをしてみたい。あなたがどんな人なのか、もっと知りたいんだ」
怪物の体が震え始めた。
『……俺を、知りたい?』
「うん」
『俺のことを……信じてくれるのか?』
「今、あなたが話してくれたことを、私は信じたいと思ってる」
その瞬間だった。
怪物は、その場に泣き崩れた。
『うわぁぁぁぁん!』
大きな体を震わせながら、子供のように泣いていた。
『お前は……俺のことを信じてくれるのか』
『こんなの……初めてだ』
『誰かに、こんなふうに言ってもらえるなんて……』
私は、しゃがみ込んでいる怪物に手を差し伸べた。
「あなたと知り合うのは、この世界が元に戻ってからになっちゃうけど……それまで待っていてほしい」
怪物は、涙で濡れた目を私に向けた。
「世界が本当に元に戻るのか、私にも分からない。あなたがどんな人生を歩むことになるのかも、分からない」
私は、一度言葉を切った。
それでも、伝えたかった。
「でも、もし元に戻れたら……今度こそ、あなたが幸せに生きられることを願ってる」
怪物は、差し伸べられた私の手をじっと見つめた。
しばらくして、ゆっくりと顔を上げた。
そこには、今まで見たことのない表情が浮かんでいた。
笑顔だった。
『……分かった』
怪物は、私の手に触れようとするように、そっと腕を伸ばした。
『お前を信じる』
そして、静かに言った。
『だから……俺を救ってくれ』
「……うん」
私は頷いた。
けれど、その返事とは裏腹に、胸の奥がひどく痛んだ。
私は、これから何をしなければならないのか、分かっていたから。
この怪物を救うためには、倒さなければならない。
それが、今の私にできることだった。
私はナイフを握りしめた。
手が震えていた。
怖かった。
怪物を倒すことも、目の前で笑っている相手を傷つけることも。
それでも、私は目をそらさなかった。
「……ごめんね」
小さく呟き、私は怪物に向かってナイフを振るった。
怪物の体が光に包まれていく。
最後まで、怪物は笑っていた。
やがて、その姿はゆっくりと空へと消えていった。
私は、その場に立ち尽くしていた。
涙がこぼれそうだった。
今、私は怪物を倒した。
けれど、本当にこれでよかったのだろうか。
あの怪物は、最後に私を信じてくれた。
その信頼に、私は応えられたのだろうか。
答えは出なかった。
それでも、怪物の最後の笑顔だけは、いつまでも頭から離れなかった。
「……なんとか、今回も倒せた」
自分に言い聞かせるように呟いた。
「お疲れ様、小雪。よくやったな。今回も危なかったな。あまり自分の力を過信するなよ」
マルファスが、こちらへ歩いてきた。
「うん……。これからは気をつけるよ」
私は素直に頷いた。
マルファスの言葉は、私の痛いところを突いていた。
確かに、私は前よりも少し強くなった気がしていた。
覚悟を決めれば、恐怖に負けずに戦える。
そう思っていた。
けれど、実際にはどうだろう。
怪物の一撃を受けただけで、私は何もできなくなった。
覚悟があっても、恐怖は消えない。
それに、もしマルファスの助言がなかったら、私は今頃どうなっていたのだろう。
「……もっと強くならないと」
私は、拳を握りしめた。
そのときだった。
仮面が、ずしりと重くなったような気がした。
「うっ……!」
体の内側に、どす黒い何かが流れ込んでくる。
怪物の負のエネルギーだ。
私は歯を食いしばり、必死に耐えた。
憎しみ。怒り。悲しみ。
さっきまで怪物の中にあった感情が、私の心に入り込もうとしてくる。
「う、うぅ……!」
苦しい。
自分の感情ではないはずなのに、まるで私自身が経験したことのように、心が押しつぶされそうになる。
それでも、私は意識を手放さなかった。
絶対に、飲み込まれない。
しばらくして、ようやく負のエネルギーの流れが収まった。
「はぁ……はぁ……」
私は膝に手をつき、荒い息を整えた。
「今回は……なんとか耐えられた」
けれど、安心はできなかった。
次も耐えられるとは限らない。
今回よりも強い負のエネルギーを吸収したら?
もし、自分ではどうにもできなくなったら?
考えるだけで、背筋が冷たくなった。
「これからも心を鍛えておくんだ。そうすれば、少なくとも気持ちの面で簡単には負けなくなる」
マルファスが、私の様子を見ながら言った。
「……そうだね」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
まだ怖い。
自分が本当に強くなれるのかも、分からない。
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
両親を見つけるために。
柚に、もう一度会うために。
そして、マルファスの家族を救うためにも。
私は、前に進まなければならない。
そう思いながら、ふと足元に目を落とした。
何かが落ちている。
「……ん?」
それは、一枚のメモだった。
こんな場所に、どうして?
私は不思議に思いながら、ゆっくりとメモを拾い上げた。
そこには、何かが書かれていた。
「……これって?」
私は、メモに目を落としたまま、息をのんだ。
見てくださってありがとうございました!次回もお楽しみに!




