09 郊外実習②
「全員いるか!? 怪我人の確認を!」
教師たちに誘導され、生徒たちは慌ただしく森の外へ避難していく。
各班の教師が次々と人数を数え始め、その間も生徒たちは不安そうに辺りを見渡していた。
「アークレイさんは?」
一人の教師が名簿へ目を落としながら顔を上げる。
「……ここにいます」
木々の間から、シルヴィアが姿を現した。
制服には落ち葉が数枚付いている。肩で息をする様子もなく、普段と変わらない表情。
「どこへいたんだ?」
「逃げる途中で、皆とはぐれました」
短く答える。
教師は一瞬だけ眉を寄せたが、無事な姿を確認すると表情を緩めた。
「そうか。無事で何よりだ」
「ご心配をおかけしました」
教師は軽く頷くと、すぐに他の生徒たちの確認へ戻っていった。
「全員揃ったな! これより学園へ戻る!」
張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
「助かったぁ……」
「まさか演習区域にハイウルフが出るなんて……」
あちこちから安堵と困惑の入り混じった声が聞こえてくる。
教師たちは森の奥を警戒するように、何度も視線を向けていた。
「……あのハイウルフは、どうなったんだ?」
「分かりません。突然ウルフたちと一緒に森の奥へ走っていきました」
「他の教師にも確認したが、追跡は危険だ。戻ったら王国騎士団へ討伐要請を出す」
「はい」
教師たちは手早く役割を決め、生徒たちを囲むように整列させた。
その様子を少し離れた場所から眺めていたエリオットは、列の最後尾に並ぶシルヴィアに視線を向ける。
目立った外傷はない。風に乗って微かに届く鉄の香りはハイウルフたちのものだろう。
団長がハイウルフ程度に後れを取るはずがない。
それでも、任務となれば己を顧みない人だからこそ、こうして無事な姿を確認すると、胸の内に張っていたものがようやくほどける。
「では、出発します!」
教師の号令とともに、馬車が走り出す。先ほどまでの緊張が残っているのか、口を開く者はほとんどおらず、馬車の中は重たい空気が流れている。
規則正しく響く車輪の音を聞きながら、シルヴィアは片肘をつき、遠ざかる森を窓から眺めた。
***
学園へ戻ると、生徒たちは解散となり、それぞれ寮へ戻っていった。
演習で使用した剣を返却した後、シルヴィアは人目のない旧校舎裏へ足を運ぶ。
ほどなくして、エリオットも姿を現した。
「団長」
「……来たか」
周囲に人の気配がないことを改めて確認すると、エリオットは口を開く。
「ハイウルフの討伐、お疲れ様でした。お怪我はありませんか?」
「ああ」
「そうですか。良かったです。……剣は?」
「……折れた」
返ってきた予想どおりの答えに、エリオットは眉尻を下げて、小さく笑った。
「やはり、ですか」
「あの程度なら問題ないと思ったが、加減を誤った」
「一般生徒用の剣ですので、団長の力に耐えられないのは仕方ありませんね」
「それで?」
「はい。教師たちは、ハイウルフは森の奥へ去ったと判断しています。討伐は王国騎士団へ依頼するそうです」
「そうか」
そう返すと、シルヴィアはしばらく口を閉ざした。
やがてエリオットへ視線を向ける。
「エリオット」
「何でしょうか」
「ハイウルフが現れた時、お前にはどう見えた」
その問いにエリオットは僅かに目を細める。
「……聖女を狙っていたように見えましたね」
シルヴィアはこくりと頷く。
「私も同じ見解だ。教師たちが迎撃しても、ハイウルフは一切進路を変えなかった。私が殺気を向けるまで、視線すら外さなかった」
「その視線の先にいたのは、聖女……」
「ああ。もし空腹ならば、最も近い獲物を襲うはずだ。縄張りを侵されたのであれば、最初に敵意を向けた相手へ飛び掛かる」
シルヴィアは腕を組み、目を閉じた。
「だが、今日のハイウルフの動きは、そのどちらにも当てはまらなかった」
「聖女に何か、魔獣を引き寄せる要因があると?」
「まだ分からない」
淡々とした口調でシルヴィアは答える。
本来、生徒が実習を行う演習区域に、中級魔獣ウルフが現れること自体あり得ない。さらに、その群れを率いる上級魔獣ハイウルフまで出現した。
(偶然……とは考えにくいな)
シルヴィアは旧校舎の壁から背を離した。
「今日のところは戻れ。私も学園側の動きを確認する」
「承知しました」
短く言葉を交わすと、二人はそれぞれ別々の方向へ歩き出した。
***
ハイウルフ襲撃事件の翌日。
授業はいつも通り行われているものの、学園にはまだどこか落ち着かない空気が漂っていた。
休み時間の廊下では、誰かが「ハイウルフが出たんだって」と切り出し、食堂では教師たちが巡回を増やしたことが話題になる。
ユイもまた、窓の外へ視線を向けたまま、小さくため息をついた。
「……なんだか、まだ少し怖いな」
その呟きに、ギルバードは手にしていた本を閉じる。
「無理もない。初めてあんな魔物を目にしたんだからな」
「でも、みんな助かったし……いつまでも気にしてるのもよくないよね」
そう言って笑おうとするものの、その笑顔にはどこか元気がない。
カイルは腕を組んで考え込んでいたが、ぽんと手を打った。
「じゃあ気分転換でもするか?」
「気分転換?」
「そう。街に新しいカフェがオープンしたって、こないだ令嬢たちが言ってたんだ」
「そういえば、そこのケーキが絶品だと私も聞きましたね」
ルーカスも思い出したように口を開く。
「期間限定もあるそうですよ」
「え、本当?」
表情に明るさが戻ったユイを見て、ギルバードは穏やかに微笑んだ。
「決まりだな。今からさっそく行こう」
「うん!」
先ほどまでの沈んだ様子が嘘のように、ユイは嬉しそうに頷いた。
五人と、それに付き添うエリオットは、放課後の中庭を抜けながら街のカフェへ向かう。
色とりどりの花が咲く石畳の小道を歩いていると、不意にユイが足を止めた。
視線の先には、陽だまりのベンチで何人かと楽しそうに話す金髪の双子の姿。陽光を受けて輝く髪は遠目にもよく目立っていた。
「あ、あの二人って……」
ユイの視線を追うように、ギルバードも双子へ目を向けた。
「ああ。アルディオン王国から来た留学生だな」
(ふーん。そういえば一年生に可愛い双子が編入してきたって誰かが言ってたけど、あの子達か……)
「エリオットは二人と面識があるの?」
「ええ。同じアルディオン王国出身ですので、一度ご挨拶した程度ですが」
「へえ、そうなんだ」
(可愛い系の男の子、気になるな……)
ユイはにこりと笑う。
「せっかくだし、挨拶してみようかな」
***
話していた三年生の生徒たちと別れを告げると、ノアは軽く息を吐いた。
「今日はこの辺にしようか?」
リアがそう言って首を傾げる。
「いや、まだ時間あるし、テラスの方も見ておこう。あっちは貴族連中が集まること多いし」
「りょーかい」
二人は並んで歩き出した。
「ねえ、そこの双子ちゃん、待って!」
明るい声に呼び止められ、二人は同時に足を止める。
振り返ると、聖女ユイと、その側にはギルバード。そして側近候補の三人とエリオットの姿があった。
「えっ……」
予想外の出来事に隣のリアが目を丸くした。
まさか自分たちへ声を掛けられるとは思っていなかった。
一瞬だけエリオットと視線が交わる。
ユイは優しげな笑みを浮かべながら、小走りでこちらにやって来た。
「あなたたちが編入してきた一年生の双子のノアくんと、リアちゃんだよね?」
「あ……はい」
ノアが答えると、胸の前で手を合わせてユイは嬉しそうに笑う。
「やっぱり! 一度話してみたかったの」
そう言うなり、ユイは迷いなく右手を差し出してきた。
「私は聖女のユイ。よろしくね」
リアと顔を見合わせると、すぐにノアがその手を取った。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
笑顔でその手を取ったその時、ぶわり、と。
花とも香水とも違う、甘ったるい香りが押し寄せた。
(……なんだ、この匂い)
あまりの甘さに胸の奥がむかついた気がして、思わず顔をしかめそうになり、リアへ視線を向ける。
「妹のリアです。よろしくお願いします」
リアは何事もない様子で笑顔のままユイと握手をしていた。
ノアは胸の奥に残る不快感を悟られぬよう笑みを浮かべ、そのまま他愛もない会話を少し交わした。
「それじゃあ、引き止めちゃってごめんね」
「いえ! 話せて嬉しかったです!」
手を振るユイたちと別れ、ノアとリアは再び歩き出す。
「聖女、思ってたより普通の人だったわね」
腕を組みながらそう口にするリアに返事をしようとしたが、喉の奥で言葉が引っかかった。
冷や汗が額を伝い、鼓動がだんだんと速くなる。
「……ノア?」
返事がないことを不思議に思ったリアが、顔を覗き込んできた。
「え、ちょっと、どうしたの!? 顔真っ青じゃない!」
「だい、じょう……ぶ……」
言葉を最後まで紡ぐことができない。
(気持ち、悪い……)
胃の辺りがむかつき、頭の奥が鈍く痛んだ。
校舎の陰へ入ったところで、ぐらりと視界が揺れ、片膝を着く。
「ノア!? ねえ、どうしちゃったの!」
焦ったリアの声が、ひどく遠く聞こえた。
足に力が入らない。
息が苦しい。
何が起きているのか理解するより先に、身体が前へ傾いた。
「ノア!!」
リアの悲鳴が響く中、ノアの意識は闇へと沈んでいった。




