08 郊外実習①
翌朝、晴れ渡った空から降り注ぐ陽射しが、学園の白い校舎を眩しく照らしていた。
教室へ入ると、普段よりも賑やかな声が耳へ飛び込んでくる。
「今日は討伐実習だろ?」
「フォレストボアなら余裕ね!」
「俺、絶対二頭は倒す!」
あちこちから期待に満ちた声が聞こえてくる。
シルヴィアは自席へ腰を下ろしながら、その様子を眺めた。
(討伐実習、か)
学園周辺には、生徒の実習用として管理された演習区域が存在する。そこには下級魔獣が生息しており、その魔獣を討伐することで、実戦経験を積む。それが今日の授業だった。
今回の対象は下級魔獣であるフォレストボア。
猪型の魔獣で多少の突進力はあるものの、その動きは単純で、大きな怪我をする可能性は極めて低い。
チャイムとほぼ同時に、教師が教室へ入ってきた。
「本日の実技は、学園から少し離れた森で魔獣討伐を行います。各自準備を終えたら校門の前に集合するように」
教師の指示に、生徒たち声を掛け合いながら、次々と廊下へ飛び出していった。
シルヴィアも支給された剣を腰へ下げ、教室を後にする。
***
学園から馬車で一時間ほど。演習区域のある森へやってくると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。湿った土と草木の匂いが鼻をくすぐる。木々が陽射しを遮り、踏みしめる落ち葉が乾いた音を立てた。
森に入って少し歩いた所で、教師が足を止める。
「ここから先が演習区域です。各班ごとに行動し、フォレストボアを討伐してください。危険と判断した場合は無理をせず、直ちに教師へ報告するように」
生徒たちが真剣な表情で頷く。
「では、開始!」
号令と同時に、生徒たちが班ごとに森へ散っていく。
「じゃあ行こうか」
「うん!」
ギルバードが先頭でユイの手を引き、オスカー、ルーカス、カイル、そしてエリオットもその後へ続いた。
歩き始めて間もなく、茂みの奥から枝を踏み折る音が響く。
「いた!」
茶色い塊が飛び出した。鋭い牙を突き出し、一直線に駆けてくるフォレストボア。
「私が行こう」
ギルバードが一歩踏み出る。炎を纏った剣から火花が舞い、フォレストボアは断末魔を上げる間もなく倒れ伏した。
「わぁ……さすがギルね!」
ギルバードはユイへ爽やかな笑みを向けながら剣を収めた直後、左右の茂みが激しく揺れ、フォレストボアが次々と姿を現した。
「任せろ」
オスカーが雷を纏った剣を振るう。ルーカスの氷魔法が獲物を貫き、さらにカイルの風刃が駆け抜けると、フォレストボアは次々と倒れていった。
「今日も絶好調だな」
笑い合う四人を見ながら、ユイは目を輝かせて拍手を送る。
「みんな本当に強いのね! すごくかっこいい!」
「ユイが見てるから張り切っちゃうんだよ」
カイルが照れたように笑いながら返す。
(なるほど、これが学園最強と謳われる面々の実力か。怪しまれないよう合わせなくてはな)
がさりと音がして、少し離れた茂みから、またフォレストボアが姿を現した。
エリオットが手をかざすと、風の刃が一直線に放たれ、フォレストボアの喉元を正確に貫き、音を立てて崩れ落ちる。
「おお……」
「エリオットも強いのね!」
ユイが感心したように声を上げる。
「見事だな」
「正確な魔法でした」
「いえ、運良く急所を捉えただけです」
そんな話をしていると、少し離れた場所で女子生徒の悲鳴が上がった。
「きゃあっ!」
別の班の男子生徒が、相手にしていたフォレストボアに突進され、弾き飛ばされていた。
「大丈夫!?」
そこにすぐさま駆け寄るユイ。
倒れた男子生徒の足へそっと手を添えると、柔らかな光が溢れた。流れていた血が止まり、傷がみるみる塞がっていく。
「ありがとうございます、聖女様……!」
「よかった。大きな怪我じゃなくて」
「また一段と治癒速度が上がったな。さすがユイだ」
ギルバードの言葉に続くように、周囲の生徒たちからも称賛の声が上がる。
その中で、エリオットだけがふと眉をひそめた。
(……静かだ)
森に満ちていた鳥のさえずりが、いつの間にか止んでいる。木々のざわめきも消え、肌へまとわりつくような嫌な気配が辺りを包んでいた。
(この魔力は……)
——ガサッ。
茂みが揺れ、一匹の魔獣が姿を現した。灰色の体毛に鋭い牙。低く唸りながら、生徒たちを睨みつけて茂みを押し分ける、中級魔獣のウルフ。
「……ウルフ!?」
「どうして演習区域に!」
「全員、下がれ!」
教師の声が飛んだ。
和やかだった空気が、一瞬で緊迫したものへ変わる。教師たちは生徒たちの前へ出て、剣を構える。
「退避準備! 近くの者同士で固まれ!」
その指示に従い、生徒たちが慌てて後ろへ下がる。
だが、ウルフは一匹では終わらなかった。左右の茂みが揺れ、さらに二匹が姿を現す。
「三匹も……!」
「私たちも出る。オスカー、カイル」
「ああ」
「任せろ」
ギルバードたちが教師の横へ並んだ。
「殿下、下がってください!」
「足止めだけです。生徒の退避を優先してください」
ギルバードが炎を纏わせた剣を構える。
教師は一瞬だけ迷い、すぐに判断を切り替えた。
「……分かりました。無理は禁物です!」
「はい! では、いくぞ!」
三人は同時に地面を蹴った。炎が走り、雷が弾け、風が唸る。さらにルーカスの氷の槍が最後の一匹を貫いた。三匹のウルフは瞬く間に倒れ伏す。
「やった!」
「さすがギルバード様たちだ!」
生徒たちの間に安堵が広がる。
しかし、倒れたと思われた一匹が、最後の力を振り絞るように首を持ち上げた。
「——ウォオオオオン!!」
遠吠えが森中へ響き渡ると、四方八方の茂みが激しく揺れた。その鳴き声に引き寄せられたウルフが次々と姿を現す。
「な、こんなにもたくさん……!」
「くそ、囲まれた……!」
「総員退避! 教師は後方へ! 生徒を出口まで誘導しろ!」
教師たちが一斉に動く。
氷の障壁が立ち上がり、生徒たちとウルフの間を遮る。
その奥で木々を押し分けるように、一際大きな影が姿を現した。通常のウルフとは比べものにならない巨体。黒みを帯びた毛並み。ギラリと光る鋭い黄金色の瞳が、ユイたちをまっすぐに射抜いた。
上級魔獣のハイウルフだ。
「ハイウルフ、だと……!? この区域にはゲートなんて存在しないはずなのに、一体なぜ……!?」
教師の顔色が変わった。
「全員で止めろ! 絶対に近づけるな!」
複数の魔法がハイウルフに向かって一斉に放たれた。
いくつもの魔法がその身を打つ。だが、ハイウルフは意にも介さず、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
ギルバードが震えるユイを庇うように前へ出た。
「ユイ、下がれ!」
「ギル……!」
オスカーが雷を纏わせた剣を構え、カイルが風で進路を断つ。ルーカスの水魔法が足元を狙った。
それでも、ハイウルフは止まらない。
騒然とする中、エリオットだけは静かに状況を見定めていた。
(そろそろ限界、か……)
援護へ踏み出そうとした、その時——。
ハイウルフは、自身に向けられた殺気に耳をぴくりとさせると、歩みを止めた。黄金色の瞳が木々の陰に立つ黒髪の男子生徒の姿を捉える。
シルヴィアはエリオットをちらりと一瞥すると、ハイウルフを誘うように森の奥へと姿を消した。
ハイウルフはユイたちへの興味を失ったように、低く唸りながらその背を追い、周囲のウルフたちも続くように駆け出す。
突然の出来事に動きを止める教師たちに、エリオットは叫んだ。
「先生方! 今のうちです!」
「あ、ああ! 何かわからんが、森から出るぞ!」
***
シルヴィアは一定の距離を保ち、木々を揺らしながら森の奥を駆け抜けると、人の気配が完全に消えたところで足を止めた。
ゆっくりと振り返る。
八匹のウルフが半円を描くように並び、その中央でハイウルフが牙を剥いていた。
低い唸り声が森の空気を震わせる。
シルヴィアは無言のまま、紫の瞳を獣たちへ向けた。
「ガアアァァッ!!」
ハイウルフの咆哮を合図に、八匹のウルフが一斉にシルヴィアに襲いかかる。四方から迫る牙。
だが、シルヴィアはその場から動かない。
腰へ添えていた剣に右手が触れると、銀色の軌跡が走った。
——ヒュンッ。
ドサッ。
八つの肉塊が、ほぼ同時に地面へ落ちた。
首を断たれて溢れたウルフたちの血が、落ち葉を赤く染めていく。
残るは、ハイウルフ一匹。
シルヴィアは左手の指輪を一つ外した。辺りの空気が変わり、黄金色の瞳が初めて警戒の色を宿したが、それでも獣は牙を剥き、低く唸りながらシルヴィアを睨み続ける。
シルヴィアは口元に緩く弧を描く。
「ほう、逃げないか」
「……ガアアアアア!!」
ハイウルフが地面を蹴り、巨体が一直線にシルヴィアへと飛びかかった。目前まで鋭い牙が迫る。
一閃。
キィン——。
すれ違うように通り過ぎたシルヴィアは、そのまま数歩前へ歩いた。
背後で、ハイウルフの動きがぴたりと止まる。
一瞬の静寂。
首が音もなく滑り落ちた。
巨体がそのまま前のめりに倒れ込む。
——ドォンッ!
森に響く鈍い音。
(……わずかに魔力を流しただけだが、やはり保たないか)
右手に握られた剣の剣身が、ピシリッと音を立ててひび割れる。
そのまま鞘へ収めると、シルヴィアは森の出口へ歩き始めた。




