06 聖女への訴え①
午後のティータイム。
食堂には紅茶の豊かな香りが漂い、それぞれが束の間の休息を過ごしていた。
エリオットもティーカップを片手に、聖女ら五人との他愛ない会話へ相槌を打っていると、一人の生徒がこちらに向かって歩いてくる気配を感じた。
足取りに迷いはない。真っ直ぐ向かってくるその気配に、エリオットは視線だけを向ける。
肩で揃えられた濃い茶色の髪の女子生徒。
(……初めて見る顔だな)
女子生徒はユイの前で立ち止まった。ぎゅっと握り締められた拳が、小さく震えている。
一度だけ息を吸い込むと、意を決したように口を開いた。
「……聖女様、お願いです……婚約者を……キースを返してください」
「……え?」
周囲の空気が変わる。談笑していた生徒たちの視線が、次々と女子生徒へ集まっていった。
ユイの表情から笑みが失われる。
「最近まで、彼は私との結婚を楽しみにしてくれていました。なのに急に……急に人が変わってしまったんです」
震える声に合わせるように、女子生徒の瞳がみるみる潤んでいく。
「毎日聖女様のお話ばかりするようになって……私との約束も全部忘れて……挙げ句の果てには先日、婚約を一方的に破棄されて……!」
女子生徒は言葉を詰まらせ、唇を強く噛み締めた。こらえ切れなかった涙が、頬を次々と伝っていく。
震える息を整えるように一度だけ俯き、もう一度顔を上げる。
「お願いです……返してください……!!」
「そんな……私、何もしてないよ? どうしてそんなこと言うの……?」
ユイは小さく首を横へ振る。その表情には困惑の色が浮かんでいた。
瞳が潤み、今にも涙が零れそうになる。
「そんなはずありません……! あの人は、聖女様と話した日を境に人が変わってしまったんです!」
「私……ほんとに何もしてない……」
ぽろり、と涙が頬を伝い落ちる。
その雫を目で追うより早く、椅子を引く音が食堂へ響いた。
「もういい」
立ち上がったギルバードが、女子生徒を真っ直ぐ見据える。
「ユイは何も悪くない。これ以上彼女を侮辱するな」
「ですが……!」
「聞こえなかったのか」
鋭く放たれた一言に、食堂の空気が張り詰める。
「もう一度だけ言おう。ユイは何も悪くない。これ以上続けるつもりならそれ相応の覚悟をすることになる」
オスカーも無言のまま女子生徒の前へ歩み出た。
続いてルーカスが眼鏡へ指先を添える。女子生徒へ向けられた眼差しは、どこまでも冷淡だった。
「何の証拠もなく他者を糾弾するとは、あまり感心できる振る舞いではありませんね」
カイルの口元からも笑みが消えた。女子生徒に向ける瞳には、はっきりと怒りが宿っている。
「もうやめようよ。ユイがこんなに泣いてるじゃないか」
「私は……ただ……」
「マリー・フェルナー!」
騒ぎを聞きつけた教師が、足早に駆け寄った。
「聖女様の前で何をしているのです! まずは落ち着きなさい」
「ですが先生……!」
「さぁ、こちらへ」
女子生徒はなおも何かを訴えようと口を開く。しかし、その声は教師によって遮られた。
教師に促されるまま、女子生徒は何度も振り返りながら食堂を後にする。
ユイは震える指先で涙を拭うが、また次の雫が頬を伝う。
「ごめんなさい……せっかくのティータイムなのに……」
「ユイが謝る必要はない」
ギルバードがハンカチを差し出し、ユイの背中へ優しく手を添える。
「そうだ。悪いのはユイじゃない」
四人の慰める声が、次々とユイへ向けられる。
涙を拭うユイを囲むその光景を見つめながら、エリオットはわずかに目を細めた。
***
その騒ぎから少し離れた席では、セレナが令嬢たちとテーブルを囲んでいた。少し冷めた紅茶を一口含む。
「またなの……?」
「聖女様、お可哀想に……」
(また……?)
セレナはティーカップをソーサーへ戻し、首を傾げた。
「……以前にも、このようなことがあったんですの?」
「ええ。二か月ほど前にも、食堂で同じような騒ぎがありましたわ」
「私は先月、廊下で叫ぶ女子生徒を見かけました」
「きっと聖女様へ嫉妬しているのでしょうね」
令嬢たちは口々に語るものの、その表情に大きな動揺の色は窺えない。
何度も起きている出来事だからなのか。
それとも、別の理由があるのか。
目の前の令嬢たちだけではなく、他の生徒や教師も同様だ。この出来事を特別なものとは受け止めていないようだった。
それに、誰一人としてマリーへ同情の言葉を口にしないことも気になる。
聞こえてくるのは、涙ぐむ聖女を案じる言葉ばかり。
(……これは、すぐに報告する必要がありますわね)
***
放課後の校舎の屋根。吹き抜ける風が、さらりと黒髪を揺らした。
学園を見下ろすシルヴィアの後ろに、2つの影が姿を現す。
「「団長」」
「……エリオットとセレナか。どうした」
片膝をついたまま、エリオットが先に口を開く。
「ご報告です。本日、食堂で三年B組の女子生徒、マリー・フェルナーが聖女へ『婚約者を返してほしい』と訴える騒ぎがありました」
シルヴィアは言葉を挟まず、続きを促す。
「聖女は本当に身に覚えがないといった様子で涙を流し、第一王子をはじめ周囲の三名は、一切マリー嬢の話へ耳を貸そうとはしませんでした。駆けつけた教師もまた、事情を確かめることなく、そのままマリー嬢を連れ出しました。」
「……そうか」
「わたくしも、同じく食堂で令嬢方とティータイムをしていたのですが、教師や生徒の皆様に動揺したご様子は見られませんでしたわ」
セレナの言葉に、エリオットが小さく顎を引く。
「令嬢方がおっしゃるには、どうやらこのような騒ぎは今回が初めてではないようです。二か月ほど前にも食堂で、先月は廊下でも聖女様へ詰め寄った女子生徒がいたとのことですわ」
「……わかった。また何かあれば知らせてくれ」
「「御意」」
二人が去ると、屋根の上にふわりと風が吹き抜けた。
教師の対応、生徒たちの反応。そして、ここへ来て初めて現れた聖女へ疑念を向ける者。
この一件を見過ごすわけにはいかない。
(リアに任せるか——)
***
シルヴィアは中庭へ来ると足を止めた。
芝生の周辺では思い思いに談笑する生徒たちの姿があり、噴水の近くでは数人の令嬢が楽しげな笑い声を響かせている。
木陰の下で楽しそうに話す数人の女子生徒の中に、リアの姿があった。
時折ころころと笑い声を上げながら、その輪に溶け込んでいる。編入してまだ数日とは思えない馴染みようだ。
シルヴィアがリアに向けて、僅かに魔力を揺らす。その気配を捉えたリアは何気ない様子で腰を上げた。
「あ、ごめんね。ちょっとお手洗い行ってくる!」
「うん、待ってるね」
「すぐ戻る!」
リアが輪を抜けたことを確認すると、シルヴィアは人目のつかない校舎の陰へ移動した。
少し遅れて聞こえてきた足音が、近くで止まる。
「お待たせしました」
「一つ、頼みたいことがある」
「はい」
シルヴィアの言葉に、リアの顔が引き締まる。
「今日、食堂で女子生徒が聖女へ婚約者を返してほしいと、訴える騒ぎがあった」
「その件、一年の間でも噂になっていました」
「だろうな。女子生徒の名は、マリー・フェルナー。三年B組の子爵令嬢だ。この件について探れ。噂でも構わない。拾える情報は全て拾ってこい。それから、以前にも同じような事例があったらしい。それについてもな」
「御意」
リアが制服の胸元へ右手を添えて頭を下げると、金色の髪がさらりと前に流れた。
(……相手の男子生徒に関しては自分で調べるか)
顎へ添えた指先が、思案するようにゆっくりと動く。
「それじゃあ、私戻りますね」
「ああ」
リアは再び無邪気な少女の笑みを作ると、軽やかな足取りで中庭の女子生徒たちの輪へ戻っていった。
この一つの出来事が、自分たちの追う任務と関係しているのかは、まだ分からない。
答えを出すには、調べるしかない。
踵を返すと、シルヴィアは生徒たちの間へ紛れていった。




