03 潜入開始①
クレイス王立魔法学園。
白亜の校舎が青空へ向かってそびえ立ち、広大な敷地には色鮮やかな花々が咲き誇っていた。
登校する生徒たちが友人と言葉を交わしながら校舎へ入り、朝練を終えた生徒たちが足早に駆け抜けていく。
楽しげな笑い声が、あちらこちらから聞こえてきた。
学園全体が活気に満ちている。
「……想像以上ですわね」
馬車を降りたセレナは、正面に広がる校舎や丁寧に手入れされた庭園を見渡し、素直な感嘆を漏らした。
「「すご……」」
続けて馬車を降りたノアとリアの口からも声が漏れる。
「建物、いくつあるんだよ」
「向こうにも校舎が見えるわ」
二人が興味深そうに辺りを見回す傍らで、シルヴィアは正門から見える範囲を一通り確認していた。
中央校舎を囲むように複数の棟が建ち、そのさらに奥には演習場らしき広い区画も見える。生徒の数も事前に渡された資料から想像していた以上で、今も次々と馬車が到着し、異なる意匠の制服を身につけた留学生たちも門をくぐっていた。
これだけの広さと人数があれば、一人ひとりの行動を学園側が完全に把握するのは難しいだろう。
潜入には好都合だ。
「皆さん、こちらです」
出迎えに来ていた教師に促され、五人は校舎へ足を踏み入れた。
磨き上げられた廊下を歩いていくと、五人が通り過ぎるたび、空気がざわめく。
「編入生?」
「五人も?」
「ねぇ、美形揃い過ぎない?」
「一人だけ地味だけどな」
最後の言葉が耳に届いた瞬間、辺りの空気がひやりと冷えた。
声を上げた男子生徒へ、突き刺さるような殺気が放たれる。
「っ……」
男子生徒は肩を跳ねさせ、何かに首筋を撫でられたように辺りを見回した。額にはうっすらと汗が浮かび、隣にいた友人が不思議そうに顔を覗き込んでいる。
「どうした?」
「いや……今、なんか……」
「お前達」
シルヴィアが前を向いたまま告げる。
声音は低くも強くもなかったが、その一言で四人の殺気は跡形もなく消えた。
ノアとリアは揃って視線を逸らし、セレナは何事もなかったように髪を耳へ掛け、エリオットは変わらず涼しい顔をしていた。
やがて二年棟へ着くと、案内役の教師が一つの扉の前で足を止めた。
「こちらが二年A組です。アークレイさん、ローエンさんはこちらになります」
シルヴィアとエリオットは軽く会釈をする。
「グランベルさんは二年B組、アスター兄妹は一年A組です。お三方はこちらへ」
「わかりましたわ」
「「はーい!」」
「では、お二人はこちらへどうぞ」
三人はそのまま案内役の教師に着いて行き、シルヴィアとエリオットは担任に促され教室へ入った。
先ほどまで交わされていた話し声が、二人の姿を認めた途端、少しずつ小さくなっていく。窓際にいた者も、教科書を開いていた者も、隠す気のない好奇心を向けていた。
「本日編入してきた、シリル・アークレイさん、エリオット・ローエンさんです」
二人が並んで一礼すると、教室中の視線が一斉に集まった。
その中で、一人の女子生徒の視線が、エリオットに引き寄せられていた。
栗色の髪を柔らかく整え、澄んだ緑の瞳に穏やかな笑みを浮かべた青年。
その整った顔立ちに女子生徒は目を見開き、そっと口元へ手を添える。
(うそ……ギルたちに見劣りしないくらいかっこいい……)
視線に気づいたエリオットが、挨拶の代わりのように微笑みを向けた。
(……っ! いい、あの人も私の近くに欲しい……)
女子生徒は添えた手の下で、静かに口元を緩ませた。
エリオットへ注がれる視線を追うように、シルヴィアもその女子生徒を見た。
淡いピンクの髪。
ヘーゼルの瞳。
—— 報告書に記されていた特徴と一致する。
(……あれが聖女か)
そのすぐ近くには、同じく報告書に記されていた四人の姿もある。
(第一王子と、側近候補の貴族令息たちだな)
「それでは、席へ着いてください」
担任の言葉に従い、二人は指定された席に向かった。
シルヴィアは窓際の後方。エリオットはユイたちに近い中央の席だった。意図的な配置ではないだろうが、エリオットが聖女へ接触するには都合がいい。
椅子を引いて腰を下ろす間にも、ユイの視線は何度かエリオットへ向けられていた。隣に座るギルバードが話しかけても、返事が一拍遅れるほどだった。
午前の授業は滞りなく進み、特に気になるような出来事もない。
お昼を知らせるチャイムが鳴ると、それぞれの役目を果たすため動き出した。
***
エリオットは教室の後方へ、ちらりと目を向けた。
ちょうど席を立ったシルヴィアと、短く視線を交わす。
軽く制服の裾を整え、歩き出そうとした時だった。
「あの、エリオットさん」
背後から掛けられた声に振り返る。
聖女・ユイがこちらへ歩いてきていた。
その後ろには、第一王子ギルバード・クレイス、オスカー・レインズ、ルーカス・ハミルトン、カイル・ウェインの姿もあった。
(報告書には、『容姿の優れた男子生徒へ関心を示す傾向あり』と記されていたが……あちらから来てくれるとは好都合だ)
ユイはエリオットの前まで歩み寄ると微笑んだ。初対面とは思えないほど、ためらいのない優しげな笑み。
なるほど、とエリオットは思う。この笑顔を向けられれば、多くの者が好意を抱くのも頷けた。
「さっきは自己紹介だけだったから、ちゃんとご挨拶したくて」
そう言って、ユイは胸元へ手を添える。
「初めまして。聖女のユイです。よろしくお願いします」
言葉とともに右手が差し出された。
その時、ふわりと甘ったるい香りが鼻先をかすめる。
(……香水か? 随分と甘い香りだな)
「こちらこそ。本日編入してまいりました、エリオット・ローエンと申します。どうぞ、エリオットとお呼びください。聖女様、よろしくお願いいたします」
エリオットは柔らかな笑みを浮かべるとその手を取り、貴族として身につけてきた礼儀に従い、指先を支えて手の甲へ口づけた。
顔を上げると、ユイのヘーゼルの瞳が真っ直ぐこちらを見つめている。社交界でも時折見かける、自らが拒まれるとは微塵も考えていない者の眼差し。
「お会いできて光栄です」
「私に、ですか?」
期待に応えるよう言葉を続けると、案の定弾んだ声が返ってくる。
「はい。聖女様のご高名は、我が国でも広く知られておりますので」
「そうなんですね。嬉しい」
「慈悲深く、お優しい方だと伺っておりましたが……」
一呼吸置いて、エリオットは笑みをもう一段深める。
「実際にお会いしてみると、そのお美しさに驚きました」
「えっ……そ、そんな……」
ユイは頬に手を当て、恥じらうように顔を伏せた。だが、その可憐な仕草に、迷いは感じられない。
俯くユイの肩へ、ギルバードがそっと手を置く。
「ユイは見た目だけではない。心もまた美しいんだ」
その言葉に応じるように、ルーカスが続ける。
「それに誰にでも分け隔てなく接するので、皆さんからとても慕われています。これほど素晴らしい聖女は他にいないでしょう」
隣に立つオスカーが深く頷いた。
カイルも同じく「うんうん」と頷きながら口を開く。
「ユイが学園へ来てから、学園全体が明るくなったってみんな言ってるよな!」
「もう。みんなして褒めすぎ」
周りからの賞賛にユイは照れたように笑うが、その表情に戸惑いの色は見えなかった。
五人の様子を前に、エリオットは笑みを崩さない。
(今のところは、予想通りか……)
王子もその側近候補たちも、ユイへ向けるのは信頼と好意だけだ。
一方で、ユイの反応だけは想定以上だった。まさか編入初日から、自ら接触してくるとは思わなかった。
ギルバードと視線が合う。
「申し遅れた、私はギルバード・クレイス。立ち話も何だ。よければ昼食を一緒にどうだろうか」
「ありがとうございます。ぜひ、ご一緒させていただきます」
「じゃあ、行きましょ!」
上機嫌なユイを先頭に、食堂へと向かった。




