09 故郷の味
大学の一年間は、あっという間に過ぎていった。
相変わらずの課題の多さは生徒達を疲弊させたが、同時に濃密な講義内容は生徒達の知的好奇心を刺激した。
ティアも、どちらかと言えば不得意な方だった物理学や数学の奥深さを知り、課題にも熱心に取り組んだ。成績はアニスが飛び抜けていたが、ティアも常にクラスで上位の成績をおさめた。
他のクラスでは三、四名は進級できずに退学処分となったが、ティアのクラスは全員が進級することができた。
二年生になると、講義内容はさらにレベルアップしたものの、課題の提出は大幅に少なくなった。オリエンテーションの際に自主性を重んじるためと大学側は説明していたが、それでも課題の内容自体は更に難しくなったので、学生達は気の抜けない日々を送っていた。
たまには贅沢して、美味しいものでも食べにいかない。
リデルの提案に、ティアとノイは喜んでのった。
寮生の二人は、当然のことながら寮で提供される食事が中心の食生活を送っていた。栄養のバランスも考慮された寮の食事は、なかなか美味しかったが、毎日となるとやはり多少なりとも飽きてくる。外食したい気持ちはあったが、ヴァイスの街のことをほとんど知らない二人にとっては、ハードルが高かった。
「でも、お金は大丈夫なの」
ノイが不安そうに訊ねると、リデルは胸を張った。
「お小遣い貯めてあるから大丈夫」
「私も出すよ。親からの仕送りあるし」
ティアも続いた。王女様なので、仕送りの額は他の寮生を凌駕していた。
「この間、結構高い服買っちゃったからなあ」
ミーアは、ばつが悪そうに頭をかいた。
「いいよ。私が全部出す」
「だめだめ。私も出すよ」
「えっと、うんと」
話し合いの結果、ティアとリデルで食事代を折半することになった。ミーアは小躍りし、ノイはひたすら恐縮した。
「いいんだよ、ノイは。遠慮しないで」
リデルが言うと、ノイは肩をすぼめた。王族や貴族出身の三人とライマ帝国の一般家庭出身のノイとは、経済状況に雲泥の差があった。
「出世払いだね。ライマで、うんと偉くなるんだよ」
ティアがおどけて言うと、ノイはようやく表情を崩した。
リデルに連れられてやってきたのは、ヴァイスの郊外にある小さなレストランだった。
建物自体は真新しかったが、夕飯時にも関わらず閑散としていて、どことなく不気味な雰囲気があった。
「こんなお店、知らなかった。いつできたの」
ミーアは、首をかしげた。
「オープンして、まだ三ヶ月も経ってない。知る人ぞ知るお店だよ」
リデルは、得意気に言った。
「美味しいの、ここ。全然お客さんいなさそうだけど」
不安がるミーアの肩を、リデルはぽんと叩いた。
「食べればわかるって。さあ、入るよ」
ミーアの背中を押して歩くリデルの後ろを歩きながら、ティア期待に胸を膨らませた。
エレル王国にいたときも、王宮の外で食事をすることは稀だった。何より、同年代の子達と夕飯を取ることなど、立場的にも不可能だった。
今朝から何も食べてないから、おなかペコペコ。
いっぱい食べるぞ。
ティアは、口元のよだれを手の甲で拭った。
扉を開けると、涼やかな鈴の音が鳴った。出迎えたのは、二十代後半の女性店員だった。
「いらっしゃいませ。ご予約の四名様ですね。こちらへどうぞ」
柔和な笑みを湛えた店員に案内されたのは、店唯一のテーブル席だった。他にカウンター席が五つしかなく、良く言えばアットホームな、悪く言えば商売っ気のないレイアウトだった。
四人が席に着くなり、店員は水の入ったコップとメニュー表をテーブルに置いた。
「おすすめは、何なの」
ミーアが訊ねると、リデルはメニュー表の一番上を指さした。
「羊のロースト、ですよね」
リデルが言うと、店員は笑顔で頷いた。
「あと、こちらもおすすめです」
店員が指さしたメニューを見たティアは、思わずあっと声を上げた。
「パナポルアって、エレルの郷土料理だ」
「よくご存じですね。香草で包んだ鱈をじっくり焼き上げ、エレルから直輸入したスパイスで味付けしたものです。カリッと焼き上げたパンとの相性も抜群ですよ」
店員の解説を聞きながら、ティアは昔の味を思い返していた。
「ヴァイスでエレル料理を出すお店なんて、聞いたことないや」
ミーアは、感心したように言った。
「そうですね。国境沿いならまだしも、ヴァイスのように内陸だとエレルのスパイスを手に入れるのは大変ですからね。鮮度が落ちやすいので。でもうちの店主、私の夫なんですけど、王都エレルにあるレストランと独自のルートを持っていて、定期的に輸入しているんです」
「店主さんは、エレルの出身なんですか」
ティアが訊ねる。
「いえ、ここヴァイスの出身ですが、料理の修行でエレルに三年ほど留学した経験があるんです。その修業先が王都エレルのレストランで、修行が終わってからも交流は今も続いているんですよ」
「そうなんですね」
まさかヴァイスで、パナポルアが食べられる日が来るなんて。
ティアは、興奮を抑えきれないでいた。
四人で話し合った結果、羊のローストとパナポルア、食後のフルーツ盛り合わせを注文した。
「私のために、調べてくれたの」
ティアが訊ねると、リデルは照れくさそうに笑った。
「ただの偶然だって。たまたま親に連れられて来たら、パナポルアがメニューにあってびっくりして。これは、絶対にティアに食べさせてあげなくちゃって思ったの。ティアには、いつもお世話になっているからね。恩返しじゃないけど、これで少しでもエレルのことを懐かしんでもらえたらなって」
「リデル」
「ん」
「今、猛烈にリデルのことを抱きしめたくなった」
「やめて。そういう趣味はないから」
リデルが顔を真っ赤にすると、テーブルは笑いに包まれた。
パナポルアが運ばれてきた瞬間、脳内に故郷の景色が映し出された。
両親との思い出、王宮での日々、野山を駆け巡って一緒に遊んだ友達の笑顔。
スパイスの香りは、ティアの食欲だけでなく郷愁をもかき立てた。
その味も、絶品だった。今まで食べてきたどのパナポルアよりも、美味しかった。鱈の焼き加減、スパイスの分量、香草の包み方、どれもが完璧だった。
「パナポルアって、こんなに美味しかったんだ」
ノイが、感嘆の声を漏らした。
「私も初めて食べたけど、これは癖になるね」
ミーアも、満足げに言った。
「どう、ティア」
リデルが訊ねると、ティアは深く頷いた。
「ますますエレルが好きになったよ」
楽しい食事の時間はあっという間に過ぎ、四人は名残惜しそうにレストランを後にした。
「めちゃくちゃ美味しかった」
ミーアは、お腹をさすった。
「ご満足、いただけましたか」
リデルが訊ねると、三人は何度も頷いた。
「大満足。また行きたいな」
ノイは、しみじみと言った。
ティアはふと、理事長の言葉を思いだした。
私の新婚旅行はエレルだったのよ。王都のレストランのディナーは美味しかったわ。あのレストラン、今も在るのかしら。
店主さんの修業先って、ひょっとしたら理事長の言っていたレストランなのかも。
「今度、理事長にも教えてあげよう」
ティアのつぶやきに、三人は目を丸くした。
「いつの間に、理事長と仲良くなってるの」
リデルは、ティアの社交性の高さに舌を巻いた。




