37 お父様
四年に進級したティアは、研究科目として国際政治学を選択した。
世界各国の古代から現代までの歴史を辿り、その時々の政治体制や軍事政策や経済政策などについての研究に没頭した。
迷いなど、一切なかった。
エレル王国民の幸福のために、この身を犠牲にしても構わない。
その覚悟は、もはや揺るぎないものになっていた。
大学での研究はもちろん、休日には王立図書館分館でも自習を続け、寮に帰っても夜遅くまで机にかじりついた。
どんな些細なことでも、構わない。
自分を奮い立たせてくれるような、知識がほしい。
ティアの知識欲は、とどまることを知らなかった。
忙しい毎日を送る一方で、ティアは少ないながらも息抜きもしていた。
それは、月命日に、アニスとレムの墓参りをすることだった。
二人の墓は、ヴァイス郊外の緑豊かな共同墓地にあった。隣同士で仲良く並んでいる墓石を見ていると、胸がいっぱいになった。
ティアは毎月、二人の墓前に色鮮やかな花を供えた。手を組んで目をつむり、心の中で二人に話しかける。
話す内容は、この一ヶ月の間に起きた、他愛もないこと。
寝ぼけたノイが、机の脚に足の指をぶつけて悶絶していたこと。
最近ファオが、右目の眼帯を地味な白色からシックな黒色に変えたこと。
食いしん坊のリデルが、お菓子を頬張りすぎて喉が詰まりそうになったこと。
大学の図書館で勉強していたミーアが派手なくしゃみをして、他の利用者から白い目で見られたこと。
本当に、くだらない日常。でも、そのくだらない日常が、愛おしくてたまらない。
こんなくだらないこと、二人にも分けてあげないと損だもんね。
組んだ手を解き、目を開けたティアは、静かに微笑んだ。
六度目の墓参りにティアが訪れると、先客がいた。
真夏の太陽が照りつけるうだるような暑さの中で、その先客は季節にそぐわない真っ黒な礼服に身を包んでいた。白髪に白髭の男性は、アニスの墓前で、微動だにせずに立っている。
「アニスの、お父さんですね」
ティアが声を掛けると、振り向いたアイケは瞠目した。
「ティア王女様」
アイケは、片膝をついて頭を下げた。
「やめてください。この国では、私は一般人ですから」
ティアが窘めるように言うと、アイケは恐る恐る腰を上げた。
持参してきた花をアニスとレムの墓前に供えたティアは、アイケが動揺を隠せないでいても、いつものように手を組み、目をつむった。
傍らのアイケは、ティアのことを茫然と見ていた。
しばらくして、目を開けたティアは、アイケの方を向いた。
「王女様は、私のことを、さぞかし恨まれていらっしゃるでしょうね」
アイケの声は、微かに震えていた。
「アニスを追い詰めたのは、他ならぬこの私ですから」
アイケは、拳を震わせた。
「私はアニスに、過度な期待をかけてしまった。私の跡取りとして相応しい人間になるよう、私のすべてを注ぎ込みました。そして、アニスに無理難題を押しつけました。王女様に勝てと言ったのも、そのひとつです。でも、優しいアニスは、文句のひとつも言わず、応えてくれました。私はそれに、甘えてしまったのです。甘えるべきは、娘であるアニスだったのに」
アイケの目が、潤む。
「実戦武術を選択したと聞いた時は、耳を疑いました。なぜアニスが、自ら死にに行くようなことを選んだのか、正直理解ができませんでした。今思えばあの時に、全力で止めていればよかった。けれども私は、アニスの優しさにつけ込んでしまった。最終試験を突破することができれば、私を超えることができる。卒業後はラクサール王国を支える英傑として、歴史に名を残す人物になるであろうと」
ティアは表情を崩さず、アイケのことを見つめていた。
「今ならわかります。そんなことは、私のエゴでしかなかった。アニスのためを思えば、引き留めるしかなかったのに、私は正反対なことをしてしまった。本当に、可哀想なことを」
アイケの目から、涙がこぼれ落ちた。
「王女様。どうか私を罵ってください。お前が娘を殺したのだと」
アイケは俯くと、唇をかみしめた。
しばらくの間、沈黙が続いた。葉擦れの音だけが、共同墓地を包み込んでいた。
「お父さん」
ティアの声に、アイケは顔をあげた。
「アニスは、幸せだったと思います」
微笑むティアに、アイケは目を見張った。
「愛するお父さんのために、アニスは全力で生き抜きました。どうか、褒めてあげてください。それに」
一呼吸置いた後で、ティアは、
「私の中でアニスは、とっくに英傑です」
と、かみしめるように言った。
両手で顔を覆ったアイケは、肩を震わせて嗚咽した。
そっとアイケから離れたティアは、共同墓地の出口に向かって歩き出した。
これで良かったんだよね、アニス。
お父さんのこと、まったく恨んでいないと言えば、嘘になる。
けれど、お父さんを責める気持ちは、全然湧いてこなかった。
だって、そんなことをしたら、きっとアニスは悲しむでしょ。
私はね、アニスが、悲しむことはしたくないんだ。
お父さんのことが大好きだったアニスが、私は大好きだから。
足を止めたティアは、おもむろに空を見上げた。
雲ひとつない、抜けるような青い空が、まるで微笑んでくれているようだった。




